176 楽園を目指した女 6
ハーリッヒと名乗った王子様もまた、ヘイラと同じく感情労働を生業としていた。
その対象は男性客ではなく女性客であり、一般的にホストと呼ばれるものだ。
長い耳を持ったエルフであるハーリッヒは、まだ仕事を始めたばかりらしく、特定のお客はついていなかった。
「ほら、お茶。ちょっと熱いから気をつけな。お金はいらないから、落ち着くまでゆっくりしていきなよ」
にも関わらず、獲物である自分に対して何も求めないハーリッヒに、ヘイラはお茶よりも暖かい何かを感じていた。
「私、頑張ったんです。なのに、なのに誰も助けてくれなくて。結局、みんな表面しか見てくれてなかったんです」
初対面のハーリッヒに、ヘイラは自分の苦しみを打ち明ける
それは初対面だからこそ話せたのかもしれない。
「よしよし、頑張ったね」
頭に手をのせて、自分を労ってくれる。
思えば、こうして男性に慰められるのは初めてかもしれない。
優しさをくれたハーリッヒは、ヘイラにとって初めての大切な人になっていった。
エルフがどういうものかは全く知らなかったが、ヘイラにとって種族の壁など目の前のショットグラスよりも低いものだった。
煌びやかな生活がしたいと漠然と思っていたヘイラだが、恋が彼女を変えた。
この人のために生きたい。
この人を喜ばせたい。
生きがいができたヘイラは、毎日欠かすことなくハーリッヒの店に通った。
「ヘイラ、今日も来てくれたんだ。嬉しいけどちょっと心配だな。ここの店、安くないだろ? お金は大丈夫かい?」
「大丈夫よ、私を誰だと思ってるの。群がってくる男達に頼めば、いくらでも金貨が降ってくるわ」
大丈夫では無かった。
ヘイラは生活水準を下げることをしなければ、購買の衝動を抑えることもしなかった。
結果、支出は更に大きくなる。
いくら返しても無くならない借金ではあるが、かといってこれ以上増やすのは流石にまずい。
そう考えたヘイラは、自身の客の中でもお金持ちを狙い、ごくたまにではあるがその身を売りに出していた。
そうして、薄氷の上で踊るかのように、ヘイラは幸せな生活を謳歌していた。
「ねぇハーリッヒ、来週一緒に行く?」
ヘイラの部屋に、ハーリッヒが同居するようになっていた。
賃貸料の金貨3枚はヘイラが払っているが、お互いにそこは納得済のようだった。
「来週って……ごめん、何かあったっけ?」
「ほら、選挙が始まるじゃない。ハーリッヒは誰に投票するの?」
エリュシオンでは、初の国会議員総選挙が始まろうとしていた。
ヘイラは期待していた。
アフラシア王国では国の実権は王一人が握っており、それ以外の意見など何も通らない。
貴族であっても意見することは難しい。ましてや、それが平民であれば意見をした瞬間に首が刎ねられるだろう。
「私、あの若い獣人族に入れようと思うの。彼、種族間の更なる交流を掲げていたわ。勿論、今のエリュシオンにも種族間の壁なんて存在しないけど、あの獣人族が当選したら、もっといい国になると思うの。私達の関係も、ね?」
語るヘイラに、ハーリッヒは首を傾げる。
「ヘイラ、君は店の人から聞いていないのかい? 僕たちはカスパールっていうダークエルフに投票しないといけないよ。あの人がここらの仕事を守ってくれているからね。万が一カスパールさんが落選したら、僕たちの仕事は廃業だ。どうやって生活していくのさ」
そういえばそんなことを店長が言っていたと、ヘイラは思い出した。
今の仕事を続ける以上選択肢は一つしかないことは寂しかったが、それでも自分が政治に参加できるということに、嬉しさが込み上げてきた。
「えー……多くの票を入れてくれたことに礼を言おう。これより立法府で議長を務めさせていただくカスパールじゃ、以上」
ゾロ・アスタの中央広場にて、カスパールが短すぎる就任の挨拶を行っていた。
有名人が見られると、ヘイラとハーリッヒは真昼間だと言うのにその様子を見に来ていた。
大勢の拍手に対して笑顔で手を振るカスパールを見て、二人は呆けていた。
(な、何よあの顔、ずるいじゃないの……私もあれにしてもらえば良かった……)
我に返ったヘイラに出てきた感情は、嫉妬の怒りだった。
自分は親に貰った顔を変えてまで美人になったというのに、その自分より綺麗な顔を持っていることが許せなかった。
顔だけではなく肉体や所作まで美しく、手を振るだけで賞賛を浴びる彼女が許せなかった。
ヘイラは爪を噛みながら隣を見る。
「ふつくしい……」
そこには、見たことのない表情のハーリッヒがいた。
頬を赤く染めた彼を見て、ヘイラは嫉妬の炎が燃え上がった。
その炎のせいだったのかもしれない。
ヘイラが立っている薄氷に、ヒビが入りだしたのは。
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