175 楽園を目指した女 5

 いつしかヘイラの夢は叶い、首都ゾロ・アスタに住居を構えることになった。

 ゾロ・アスタでは高額な家賃が必要だ。

 その中でも、月に金貨3枚──エリュシオン通貨では3百万円──と比較的安い屋敷に住むことができたヘイラは、優雅な生活を楽しんでいた。


(ふふ、私は勝ち組。あなた達とは違うのよ)


 首都の端にあり、下々の市民の生活も見ようと思えば見えることから、ヘイラは今の住居をとても気に入っていた。

 下々の民に過去の自分を重ね、優越感に浸りながらワインを飲む時間が、何よりも好きだった。


 ヘイラはお金の使い方にも慣れていった。

 ゾロ・アスタで売られている物はどれも魅力的な物ばかりだ。


「あら? また新作が出てるじゃない。ふふ、これも買っちゃおうかしら。あぁ、あれも欲しいわね」


 新しい物が出る度に買ったバッグは、新品のまま積み上がり山を築いている。

 色に惹かれる度に買ったマニキュアは、両手両足を違う色で塗っても余りがある。

 意味があるのかよく分からない化粧品は、湯船を満たせるほど増えていった。


 ゾロ・アスタの全ては、ヘイラの欲を十分に満たした。

 しかし、ゾロ・アスタからすれば、ヘイラは十分では無かった。


「ぇ? 借金が……なにこれ……?」


 欲のままに贅を尽くした代償は大きかった。

 ヘイラが店でいかに稼ごうが、その全てを払える能力は持ち得てなかったのだ。


 同僚の勧めで、ヘイラは商品の支払いを定額方式にて行っていた。

 それは、どんなに高額な商品を買おうが、月額の支払いは一定で済むという、給料日前でも買い物ができる便利なシステムだった。

 代わりに返済期間は伸び利息は増えていくが、説明を聞いてもよく分からなかったヘイラは保留にしていた。

 毎月の支払を無事に終えていたため、特に問題視していなかったヘイラだが、気まぐれで借金を確認し手が震える。


 金貨100枚。エリュシオンの通貨にすれば1億円。


 膨れ上がった借金の桁は増え、ヘイラはその金額の読み方すら分からなかった。


 ヘイラの脳裏に、過去の店での出来事がよぎる。

 借金をどうしても返せなくなった女が、明らかに堅気ではない男達に無理やり連れ去られていったのだ。

 それ以来、その女を見た者はいないため、とんでもなく良くないことが起こったことは、いくらヘイラでも理解していた。


 借金をなんとか返さなくてはならない。

 それでも、ヘイラは生活水準を下げることを嫌い、月に金貨3枚も必要な今の家から引っ越すことはしなかった。


 その分、ヘイラは働いた。

 朝日が出るまで客と飲み、店が開くころにまた飲み始める。

 一般人であるヘイラでは、当然体にガタがきた。


「あ、あの、ヘイラさん……一度休日をとってはどうですか?」


 目の下にクマを作り、今にも倒れそうなヘイラに、店員は休むよう促す。


「嫌よ……ねぇあなた、少しお金を貸してくれない? 金貨一枚……100万円ぐらいでいいの」


 ヘイラのお願いは、全ての店員に無視された。

 すでに何度かお金を借り、一度も返済をしていないため、それは仕方のない事だった。

 ヘイラは舌打ちを鳴らし、接客に勤めることにした。


 今日の客は、ヘイラにとって今一番都合のいい人物だった。


「アンリさん! 来てくれたんだ!」


 地獄で仏を見つけた勢いで、ヘイラはアンリに密着する。


「ねぇ、ちょっとお願いがあるんです! お金を、少し貸してくれませんか? 金貨100枚程必要なんです。なんでも、なんでもサービスしますよ?」


 ヘイラの懇願を聞いたアンリは、少し驚いたのか目を丸くする。

 そして、いつかのように、蛇のような目でヘイラの全身を舐めまわした。

 鳥肌を立てるヘイラだが、機嫌を損ねてはいけないと無理やり笑顔を作る。

 しかし、出てきた言葉は望むものではなかった。


「無理だね、もう君に価値は見出せない。面白くもなりそうにないしね。金貨100枚ぐらい痛くも痒くもないけど、無駄な投資はしない主義なんだ」


 一度絶望から救ってくれた男が、こうまで直接的に否定してきたことに、ヘイラはカっと熱くなった。


「私の頼みを断るなんて、何様よあんた!」


 癇に障ったヘイラは、大声を上げる。

 大事な重客への失礼に周りの店員がギョッと驚き、ヘイラを取り押さえようとするが、それを掻い潜り店を出ていった。




「なんでこうなるんだろ……私、なにか失敗しちゃったのかなぁ……」


 いつの間にか降り出した雨に打たれながら、ヘイラは過去を思い返す。


「なんでみんな私に辛くするんだろ。こんなに可愛いのに」


 ヘイラでは涙を流しながら考えるが、なにも答えはでない。

 いや、考えているつもりではあるが、その実何も考えていないのだろう。


 美人とはいえ、今は捨てられた猫のようなヘイラに、道を歩く者は皆見向きもしない。

 ヘイラは地べたに座り込み、ただ時間が過ぎるのを待っていた。

 座って泣いていれば、いつかのように救世主が現れると思っていたのだ。


「ねぇ君、大丈夫?」


 そして、今日も救世主が現れた。

 高い身長に、引き締まった細い体。

 整った顔立ちに、優しい声色。

 ヘイラに負けず劣らず身につけている、高級な装飾品の数々。

 白馬はおらずとも、それはヘイラにとっては間違いなく王子様だった。


「こんなに雨に打たれて、寒くない? 俺の店そこだから、ちょっとだけ休んでいく? お金はいらないよ。俺が見たくないだけなんだ……可愛い子の辛い顔をさ」


 甘い、甘い蜜に誘われて、夜の蝶はひらひらと誘いについていった。

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