170 楽園を目指した女 1

「凄い……ここが楽園……楽園エリュシオン」


 ヘイラは目の前に広がる光景に、目を輝かせていた。

 エリュシオンの大半は焦土のままだが、首都ゾロ・アスタに限り完成されている。

 世界の崩壊を招かないために、アンリは技術に多少制限をかけている。

 それでも、アフラシア王国で平民であったヘイラからすれば、ゾロ・アスタは夢の世界のようだった。


「次の方、どうぞ前へお進みください」


「あ、はい! すみません!」


 声をかけられ、ヘイラは慌てて足を動かすと、メイド姿の女性の前に座った。

 現在、ヘイラは移民審査の手続きを行っていた。

 メイドの手元には予めヘイラが提出していた資料と、白紙のカードが置かれている。


「初めまして、私はジャヒーと申します。ここでは、ご自身のためにも一切の嘘はお止め下さい。ヘイラ様は、観光ではなく移住で間違いございませんね?」


「はい!」


 ヘイラは元気よく返事をすると、周りの様子を窺う。


 アフラシア王国から定期的に出ている飛行船で、今回エリュシオンにやってきたのは三百人ほどだ。

 その三百人が列を作り移民審査を行っているが、それに対応しているエリュシオン側の人間は少なく、列は三つしかできていない。

 普通であれば不満の声が聞こえてきそうだが、移住を希望する者達は皆が逆の気持ちだ。

 エリュシオンにはまだ人材が少ない。

 ならば、自分たちでも要職に就けるのではないかと、期待していたのだ。


「えぇっと、ヘイラ様は18歳で……両親と弟がいますね。今回移住されるのはあなただけで間違いないですか? 親御さんの反対は無かったのですか?」


 書類を見ながらジャヒーが幾つか質問を投げる。

 それぞれの列で同じようにメイドが質問を行っており、その様子を修道服を着たアリアが見つめていた。


「両親には反対されたんですけど……私、どうしてもエリュシオンに住みたいんです!」


 書類に何かを書きながら、ジャヒーは理由を話すよう促す。


「アフラシア王国では……私達平民は生きているとは言えません。生きているのは貴族だけなんです。貴族のために私達は働いて……でも、貴族は私達に何もしてくれない」


 ヘイラは懇願にも見える表情を浮かべていた。


「エリュシオンは楽園なんでしょう? 貴族も平民も無くて、みんなが平等で、私でも政治に関われる。私、どうしてもここに住みたいんです! お願いします!」


「大丈夫です、エリュシオンは誰でも歓迎いたしますよ。この場は邪な目的を持った方がいないか、確認しているだけですので。いえ、もう一つ。適正を調べ、仕事の斡旋も行っています。何かご希望はありますか?」


 ジャヒーの暖かい言葉を受けて、ヘイラはホッと胸をなでおろす。


「できれば首都に住みたいです。こんな夢みたいな世界に住めたら、弟に自慢できますから」


「ふふ、それはあなた次第ですよ。特技は書かれていませんが、何がありますか?」


 ジャヒーの質問に、ヘイラは苦笑いを浮かべる。


「と、特技と呼べるほどのものが無くて……や、やる気は誰よりもあります!」


「やる気ですか……えっと、冒険者登録はされていますか? 魔法の覚えは?」


「い、いえ、冒険者だなんて……争いごとは苦手でして……」


 ジャヒーの顔が曇るのを見て、ヘイラは少し焦りながら声を上げる。


「あ! 魔法は使えます! 争いに活かすことはできませんが……」


 その言葉を聞いたジャヒーは、安心したような笑顔を浮かべた。


「それは良かったです。では、こちらの水晶に手を当ててください」


 ジャヒーが取り出したのは、魔力量を測定するための装置だ。

 ヘイラがその水晶に両手を当てると、淡く薄水色の輝きを放ちだした。


 その光を見て、ジャヒーの顔は再度曇る。


「あ、あの……何か問題がありましたか?」


 平民で魔法を使えることは珍しく、これはヘイラの唯一の誇りだった。

 それでもジャヒーの反応が悪かったことに、堪らずヘイラが疑問を投げかけるが、ジャヒーは質問を無視して手続きを進めだした。


「それでは、ヘイラ様のお金をエリュシオンの通貨に両替いたします。手持ちの貨幣をこちらにお出しください」


 自身の全財産を鞄から搔き集めながら、エリュシオンの通貨制度を聞いたヘイラは驚きの声を上げる。


「キャッシュレス……? えっと、つまり、どういうことですか?」


「はい、貨幣の情報は全てこちらのマイクロチップに登録されます。今後、全ての取引はデータ上で行うことになります。最初は慣れなくて大変かと思いますが、とても便利ですよ。貨幣をそのまま使うことも不可能ではないですが、5割増しで手数料を取られますのでお気を付けください」


 不安なことだらけではあるが、5割増しという言葉を聞いたヘイラは、全てを電子マネーにすることに決めた。

 動きの無いヘイラに、ジャヒーは首を傾げる。


「あの、5割増しですがよろしいのですか?」


 指摘を受けたヘイラは、顔を赤くしながら答えた。


「こ、これが私の全財産なんです……」


 机の上に出されたのは銀貨1枚と銅貨14枚だ。

 ジャヒーの顔は、今日一番の渋い顔になっていた。

 11,400円とジャヒーが呟いているが、何のことか分からないヘイラは自分の心配事を吐露する。


「でも、この小さなチップになったのは便利だと思いますが、無くしちゃったりしそうで怖いですね」


 その指摘を受けると、ジャヒーは大きめの注射針を取り出した。


「後列から見ていなかったのですか? このマイクロチップはあなたの体内に埋め込みます。財布を無くすよりも左腕を失くすほうが難しいでしょう。万が一紛失しても心配ありません。大事なバイタルデータはクラウドにアップロードされている、とのことで、とにかく復旧も可能なようですから」


 自分の体内に得体の知れない物を入れる。

 そのことを知り、ヘイラは初めて躊躇した。

 どうしようかと少しの間悩んでいると──


「今からここは、俺様の国だぁ!」


 ──大きな声が響き渡った。


 煌びやかな首都にはいても、ここは元ペリシュオンなのだと、移住してきた皆は思い出すのであった。

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