168 家族団欒

「へっくしょん!」


 大きなくしゃみをしたアンリに、母のフランチェスカが声をかける。


「アンリ、大丈夫なの? あなたが体調を崩すなんて珍しいわね。明日は雪でもふるのかしら?」


 冗談を言ってはいるが、その顔は心配そうだ。

 常識から外れた存在とはいえ、フランチェスカにとっては大事な息子なのだ。


「いいえ、大丈夫です母上。大方、どこかで僕の噂話でもしているのでしょう」


 回復魔法の影響により、生まれてこの方風邪などひいたことのないアンリだ。

 体調を崩せば雪どころの騒ぎではないだろう。


「あらあら、あなたはとても有名人ですものね。アフラシア王国では成人していない一学生だけれど、ペリシュオンに行けば一国の主。困ったわ。今まで通りアンリと呼ぶのは駄目かしら」


 困ったと言いつつ、息子の自慢をするフランチェスカの顔は嬉しそうだ。

 それに答えるのはドゥルジールだ。


「構わんだろう。ペリシュオンで国ができるのは日常茶飯事だ。あの大陸を統一したのはアンリが初めてだが、どうせまたすぐに滅びると思われている。大抵の連中は、まだアンリを王とは認識しないだろうな」


「でしたら父上、統一した国がもし安定すれば、僕はそこの王として認知されます。つきましては、家督はタルウィに譲ってみてはいかがでしょうか」


 ここぞとばかりに提案してくるアンリに、ドゥルジールは苦虫を嚙み潰したような顔を向ける。

 今から自分が引退する時の話をしてくる息子に思うところはあるが、それとは別に、ドゥルジールとしてはアンリに家督を継いでほしかった。

 確かに子供の頃から異常な発達を見せて不気味なアンリではあるが、その力だけは間違いなく本物だ。


 執行人として、ザラシュトラ家の当主は強くなくてはならない。

 王国に仇なす者を誅するために。

 そこで生じる多方面からの恨みを跳ね返すために。


 フランチェスカの腕に抱かれた可愛いタルウィールが、果たしてそのような修羅の道を歩めるか、ドゥルジールは親ながらに不安だった。

 アンリはその点においては、なんの心配もいらないのだ。


「……そうだな、この盤石なアフラシア王国で家督を継ぐよりも、ペリシュオンで王をするほうが魅力的になれば考えよう。まぁ、今すぐに決めることではない。追々検討だな」


「あはは、確かにそうですね。タルウィがどんな子に育つかも分からないのに、気が早かったかもしれません」


 ドゥルジールは、いくら神童と言われたアンリといえど、あの荒れに荒れたペリシュオンを統治するのは不可能と思っている。

 しかし、幼いころから異常ともいえる功績を残してきたアンリを見てきたため、ここでは保留にし逃げることに決めた。


「ああそれと、ペリシュオンではなくエリュシオンという名前ですので、以後お見知りおきを」


 完全に他国に向いている様子のアンリに、ドゥルジールはため息をつき小言を言う。


「どちらにせよ、ここではアフラシア王国の貴族として恥じぬような行動をしなさい。使用人の中で噂になっているぞアンリ。青い肌の大男をこの屋敷に招待したらしいな。それも生首を持った狂人ときた」


「あはは、耳が早いですね父上。流石ザラシュトラ家の当主様だ」


 説教が始まりそうな雰囲気に、アンリは笑って誤魔化そうとする。

 しかしそれでは済まぬほど、ドゥルジールは看過できない内容だったようだ。


「ペリシュオンに表れた魔王とは関係ないのか? なぜ魔族を王都に招き入れた。当主命令だ、今後同じ行いはしないように」


 アフラシア王国では人間至上主義を掲げている。

 特に王都マーズダリアではその傾向が強く、他種族は差別の対象だ。

 ドゥルジールとしては他種族を差別するつもりはないが、周りの家から指を指されるのを嫌っていた。


「カスパール殿のような方ならいいが、狂人はこの家にはいらん」


「あはは、一応あの人は元人間ですので、魔族とは関係ないですよ。ですが、父上の言うことも尤もです。次からは決してばれないように、じゃない、王都に入れないようにします」


 反省の様子がまるで見られないアンリに、ドゥルジールは頭を抱える。


「アンリ、お前ももう14歳。来年には成人だ。もう少し常識を学んではくれないか? 魔法への情熱を100分の1でも分けてはくれないか?」


 そら始まったとアンリは逃げようとするが、フランチェスカからの攻撃が間に合ってしまう。


「そうよアンリ、あなた良い人は見つかったの? 成人になって相手がいないなんて、私が恥ずかしい思いをしちゃうわ。リーゼロッテ公爵令嬢とは仲がいいの? 親同士の話で申し訳ないけど、もう返事をしちゃってもいいかしら?」


 いつの間にやら婚約の話が進んでいたことに、アンリは勿論ドゥルジールも驚愕する。


「あ、あはは、結婚はまだ早いかなぁ。僕としては35歳ぐらいが適齢だと思うんだ」


「ば、馬鹿を言うな! 35歳だと……そんな歳で結婚するやつがどこにいる! ふ、フランもだ……驚いたぞ。しかし、あの狸が愛娘を差し出すとは……いや、奴はアンリをそこまで認めているということか……悪くない。そのためにアンリには訳の分からぬ他国の王ではなく、ザラシュトラ家の当主でいてもらわなくては……」


 いよいよ望まぬ方向に話が進むと確信したアンリは、何かを思い出したふりをして席を立とうとした。

 しかし、それを見たフランチェスカが大声を上げる。


「待ってアンリ! 今日来てもらったのは、あなたに大事な用があったのよ」


 すがりつくような声にアンリは振り返る。


「タルウィの調子が悪いの。いえ、調子が良いのか悪いのか……とにかく、様子を見てほしいのよ」


 アンリの視線は、フランチェスカに抱かれたタルウィールに向く。

 まだ0歳ではあるが、アンリの視線に気付くと、タルウィールはキャッキャと笑っていた。

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