第八章
167 奔走
「はぁ、暇よなぁ。こんなにいい女が、よもやないがしろにされるとはな」
床に寝転がったカスパールは悪態をつく。
酒の力を借りても、機嫌は直らないようだ。
そのような態度を表に出しても嫌悪が生じないのは、美人の特権だな。
凡そ機械とは思えない心情を抱きながら、宙に浮いた一つ目のメルキオールは声をかける。
「ないがしろ? マスターからこれだけの寵愛を受けていながら、ないがしろと貴女は言うのですか?」
「寵愛というのはこの部屋のことか?」
エリュシオンという名がついたこの国の中心に、アンリは巨大な城を建てた。
物資の備蓄や軍事的防衛施設の用途に加え、アンリの住居を兼ねたこの城の中でも、一際豪勢な部屋をカスパールは与えられていた。
アンリが惜しげもなく趣向を凝らした部屋は、世界中を見渡しても間違いなく最上位のものであり、高層に構えられたこの部屋なら、エリュシオン大陸中を見渡せるだろう。
しかし、それでもカスパールは満足していない。
「確かに、いい景色なのだろうよ。特に夜になれば、この世の物とは思えぬほどにな」
ゾロ・アスタと名付けられたエリュシオンの首都は、アンリとメルキオールの魔法によりそのほとんどの建物が建築された。
中に住む人がおらず、まだまだ空きは多くあるが、それでも現時点の夜景はカスパールを感嘆させるものだった。
「しかしな、少し視線を先に向ければ、それはまやかしなのだと痛感するわ」
一方で、首都ゾロ・アスタ以外は焦土のままで、復旧には全く手がついていない。
「マスターは多忙ですからね。ですが、人の力は偉大です。貴女の望む景色は、もう少し待っていれば手に入りますよ」
「多忙なやつが、生首を持った気味悪い男の酔狂に手を貸すか? あやつは今、国を作るよりも人間を一人作る方にご執心よ」
カスパールが怒りを感じているのはそこだった。
国を作ったアンリではあるが、ある程度の大枠を作ると後は他の者達に任せ、アフラシア王国から帰って来なくなったのだ。
国が違えど、転移魔法を用いればその距離はゼロに近い。
しかし、一番の愛を求めるカスパールは、タワーマンションを買い与えられた愛人のようなポジションに拗ねていた。
「しかし、バルタザールは本物です。力だけなら、貴女やベアトリクスよりも上かもしれない。あの男を取り込めば、マスターの地盤は更に盤石なものになるでしょう。あれはあれでマスター自身のために必要な作業なのです……趣味に近い気もしますが」
自分よりも上と言われたことには引っかかったが、アンリのためと言われてはカスパールはそれ以上の文句は言えなかった。
「暇ならばマスターを手伝ってみては? その方が貴女もマスターの傍にいられて幸せでしょう。Win-Winです」
メルキオールの提案を聞いたカスパールは、少し寂し気な表情を見せる。
その表情も男は好きそうだなと、メルキオールは赤い一つ目で凝視していた。
「Win-Winではない。アンリにとってのWinがないのじゃ。わしにはお主のような頭が無ければ、聖女やアシャのような眼も持っておらん。シュマのような可愛さもなければ、ジャヒーのように気配りもできん。何もない女じゃよ」
いつも強気なカスパールがこうまで卑屈になっていることを、メルキオールは心配する。
この時、なぜかメルキールには、カスパールを励まさねばと使命に似た意思が宿っていた。
「貴女は十分、魅力的な女性だと思いますよ。それに心配ありません。この後、貴女にしかできない仕事が待っていますから。今、ワタシはその土台を作っているところなのです」
カスパールの視線はメルキオールに向く。
「土台とは? メルキオール、お主は今何をしておるのじゃ?」
手足がないメルキオールはただ浮いているだけにも見える。
しかし、一つ目が不規則に光を放ち、周りの羊皮紙に素早く文字が描かれていくことから、何かの作業をしていたのは間違いない。
「法の制定です」
アンリはメルキオールに、過去の歴史や他国を参考にして法を作るよう命令されていた。
「今は憲法を作成していますが、これが中々難しい。後々にマスターを縛る鎖にならないよう、最大限の配慮をせねばなりません」
国民の日常生活のルールを定めている民法や、犯罪人を罰するルールを定めている刑法など、法律には様々な種類があるが、その中でも憲法は重要だ。
憲法が律するのは国民ではなく国家。
そのため、メルキオールはアンリの自由を妨げない且つ、国民の権利もある程度主張できる法を定めようと苦労していた。
「はぁ? そんなもの、アンリの言うことが全てにすればいいだけではないか。なぜ王が民に気を遣う必要がある」
「マスターは民主主義を求めています。憲法はこのままですが、ワタシが作成した法律を今後改正するのは国民になります。いえ、国民に選ばれた貴女になりますか」
アンリはエリュシオンにて、過去の日本に倣い三権分立の仕組みを建てつけようとしていた。
国民に選ばれた代表が法律を制定する立法。
法律に乗っ取り政策を実行する行政。
法律の違反を罰する司法。
それぞれを独立させることにより、権力の暴走を止めるものだ。
「貴女には立法をお任せします。見目麗しい伝説のSランク冒険者。国民から選ばれるのには、これ以上ないネームバリューでしょう。マスターのビジネス関係で保有できる組織票を含めれば、貴女が落選する可能性はゼロです。奴隷に選挙権を与えるのもいいかもしれません。あぁ、行政はワタシが行いますので、貴女は派閥をまとめ、ワタシを代表に選んでくださいね。司法の責任者は未定ですが、個人的にはバルタザールを推そうかと思っています」
メルキオールの説明を聞いたカスパールは、阿保らしいとばかりに飲酒を再開する。
「なんじゃそりゃ、全く分立しておらんではないか。わしらはアンリの配下ぞ? ならば、それは絶対王政となんら変わらぬ。ましてやアンリは永遠を生きるのじゃし、王政にしたほうが手っ取り早いではないか」
「形だけでも民意を問えますので、国民に多少の納得感が生じ、反乱の確立が下がります。蓋を開けてみれば国民にとって詰んでいる状態ですが、教育と情報操作により諦めを先行させられることは、ワタシが持ちうる歴史が証明しています」
納得する様子の無いカスパールに、メルキオールは言葉を続ける。
「一番の目的はマスターに無駄な稼働をとらせないことです。マスターに研究と趣味以外で時間を使ってほしくはないので、可能な限り
ふと、文書を作成しているメルキオールの手が止まった。
「しかし、貴女の意見も尤もです。手間はとらせないよう配慮しつつ、三権の上に君臨してもらいましょうか。エリュシオンの王……楽園の王……ふふ、いいですね、浪漫が溢れてきます」
先ほどよりも勢いよく稼働を始めたメルキオールを見て、カスパールは自身が聞きたかったことを切り出した。
「そういえばメルキオールよ、最近の聖女じゃがな、随分アンリと仲が良いように見えた。あの二人、何か進展はあったのか?」
自身の作業に集中しているメルキオールは、若干上の空で返事をする。
「いえ、まだ男女の関係には発展していないようです」
その返事を聞き、カスパールはため息をついた。
「それは良かった……が、頭がおかしいとはいえ、あの女も極上の美人といっていい容姿じゃぞ。なぜ娶らん……アンリは女に興味がないのか……?」
カスパールのそれは独り言だ。
しかし、作業に熱中していたメルキオールは、本心のままに返してしまった。
「マスターの女性への興味は高いほうですよ。妻を迎えないのは、前世で結婚していたので気が引けるのでしょう」
瞬間、空気が凍った。
「前世? 結婚? なんだそれは? メルキオール、お前、アンリの何を知っている。教えろ、お前が知っていることを全て」
そこでやっとメルキオールは自身の迂闊な発言に気付いた。
人間の心を持っていても、流石に冷や汗までは流れないようだ。
「ぜ、絶対に他言無用で、お願いします……」
なぜかメルキオールには、カスパールに対して黙秘や白を切るといった選択肢が生まれなかった。
心の中でアンリに精一杯の謝罪をした後、自白を始めるのだった。
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