165 side:アリア 生

「やぁお嬢さん、体に問題はないかな? その目を開けてごらん?」


 ここからは二度目の人生の記憶。

 とっても綺麗で、とても歪な世界の記憶。


「ぁ……あの……失礼ですが、どなたでしょうか」


 随分長いこと意識を失っていたのでしょう。

 記憶が混濁しており、倒れる前のことが朧気ですし、今も生きている実感はありません。


 とりあえず状況を把握するため、支えていただいている殿方が誰か確かめようとしました。

 だけど、いくら顔の作りを確かめても、記憶にある方々とは一致しませんでした。


「えぇっと、問題なく治ってるから、目を開けてくれない? いや、別に触られるのが嫌なわけじゃないんだけどね」


 目が見えない私に、それは無理な話でしょう。

 スライムに空を飛べと言っているようではないですか。

 ですが、その殿方の言うことには、なぜか従ったほうが良いと思ったのです。


 そして、私は目を開けました。

 生まれて初めて、目を開けたのです。


 飛び込んできたのは、輝く世界。


 あぁ、神様、ありがとうございます。

 私にこのような奇跡を寄越して頂き、本当にありがとうございます。


 初めて見た世界は、本当に美しかったです。

 もしかすると、ここは天国なのかもしれません。

 全てが輝きを放ち、私を魅了してきます。


「…………綺麗」


 その中でも、目の前の殿方は突出していました。


「いやいや、君の方が綺麗だよ」


 この方こそ、私の世界。

 この方こそ、私の全て。


 初めて見る男性に、私は鼓動の高鳴りを自覚しました。

 沢山の初めてをくれたアンリ様に、私は恋をしたのです。



 ◆



 私の目は、人とは少し違うようでした。

 秘蹟ひせきの魔眼と呼ばれるそれは、人の心の叫びを見てしまいます。

 アンリ様といる時は、なんにも問題がなかったのです。

 だけど、教会に戻った私を待っていたのは、どうしようもなく汚い世界だったのです。


 ジューダス達の醜い叫びを見てしまい、私は目を潰したくなりました。

 シュマ様に過ちを指摘され、私は耳を塞ぎたくなりました。

 世界の歪さを知ってしまい、何が何やら分からなくなってきました。


 ぐちゃぐちゃです。


 平等とは何なのでしょうか。

 なぜアンリ様は平等なのでしょうか。

 アンリ様は神様なのでしょうか。


 ぐちゃぐちゃです。


 助けを求めにアンリ様の胸に飛び込ました。

 私を助けてくれたアンリ様は、死ぬのが怖いとおっしゃいました。

 ならば、私がアンリ様をお助けしましょう。


「受け入れるしかないのです。ですが絶望ではありません。それは、ある種救いと言ってもいいかもしれません」


「絶望ではない? 死が救い?」


 なぜ、どうして。


 アンリ様はなぜ怒ってしまわれたのでしょうか。

 私は何か失礼なことを言ってしまったのでしょうか。


 私はただ、アンリ様の不安を取り除きたかったのです。

 私はただ、アンリ様のお力になりたかったのです。


 許して。許してください。


 何が好きで、何が嫌いで、何が怒って、何が神様で、何が傷つけて、何が救いで。

 分からない、私には何も分からないのです。


 ぐちゃぐちゃです。


 辛かったです。悲しかったです。

 アンリ様が私をはっきりと拒絶した時は、この世の終わりかとさえ思いました。

 加えて、シュマ様の非情な行いに強制的に手を貸してしまい、私の心はボロボロです。

 このような行いの、何が正しいのでしょうか。

 これのどこが、私達の教義なのでしょうか。


 ぐちゃぐちゃです。


 生きる意味がよく分からなくなっていた時、アンリ様から魔王討伐の支援を求められました。

 涙が出ました。

 決別されたと思っていたのに、アンリ様は私を頼ってくれたのです。


 アンリ様は恐ろしい魔王から私を守ってくれました。

 この胸の高まり。

 あぁ、やっぱり私はアンリ様に恋をしているのでしょう。


 好きです。好きですアンリ様。

 ですが私は既に神様に嫁いでいる身。

 あれ? 私はなんで神様に嫁いだのでしょうか。

 私はなんでスプンタ様に祈りを捧げていたのでしょうか。




 アンリ様が勝ち、魔王の首を落としました。

 必要なこととはいえ、それはあまり見たくない光景です。

 目を逸らし、俯く魔族の方々が視界に入った時、私は後悔しました。


 ”魔王様が……我らの魔王様が”

 ”終わりだ。私達魔族は終わりだ”

 ”うぅ、魔王様ぁ、魔王様ぁぁぁぁ!”


 私の魔眼が、心の悲鳴を見てしまったのです。

 魔王という存在は、魔族の方々にとって大きな心の支えとなっていたのでしょう。

 それを失った皆様の心は、見るに堪えない痛ましいものでした。


 私も気を重くし、アンリ様に救いを求めます。

 しかし、アンリ様は私を無視し、それはもう楽しそうに魔法を唱えました。



『<冥府の感謝祭ハーデース・ジャシャン>』



 世界が黒く、燃えました。


 それは例えではありません。

 私達の立っている場所以外、全て黒い炎で燃えているのです。

 見渡す限りの黒炎。本当にそれ以外、何も見えなくなってしまったのです。


 あぁ、人が燃えてしまう。死んでしまう。


 突如現れた地獄に耐えきれず、私は頭を抱えうずくまります。


「あはは、さぁアリア。デートでもしようか」


 そんな私の腕を引き、アンリ様は空飛ぶ絨毯に乗りました。

 アンリ様と二人っきりで空の旅。

 普段であれば、それは願ってもいない僥倖です。

 ですが今は違います。


「あはは、凄いでしょ? ペリシュオン大陸中を回って準備してきたんだ。一つの魔法をトリガーに、各地の魔法陣を連鎖させてさ。ここだけじゃないんだ、本当にペリシュオン大陸全てが燃えてるんだよ」


 目につくのは炎、炎、炎。

 そして聞こえてくる断末魔。


「永遠に生きるためにね、こうする必要があったんだ。確率は低いけど、これで傲慢の大罪人が死ぬかもしれないからね。だけど少し失敗したかな。ペリシュオン大陸の人だけを焼きたかったけど、やっぱりそれは無理そうだ。動物や森も燃えちゃってるなぁ……修復、は難しいかもしれない」


 私は周りを視界にいれないよう目を閉じますが、涙はいくらでも溢れてきます。


「どうしたんだい? なんで目を閉じるんだい? さぁ、見るんだ。アリア、目を開けて。『その目でちゃんと、この世界を視るんだ!』」




 アンリ様の言葉に逆らえず、私は世界を直視したのです。

 秘蹟ひせきの魔眼で、燃えているペリシュオン大陸を視てしまったのです。




「あぁぁぁあああああぁあああ!! アンリ様ぁぁ! 止めてぇぇぇぇぇ!!!」


 ”熱いぃぃ熱い熱い苦しいぃぃぃ”

 ”死にたくない、死にたくない死にたくない”

 ”声が出せない、苦しい。助けて、誰か助けて”


 何万、何十万、何百万もの最期の叫びが、同時に視えたのです。

 一瞬にして、大量の怨嗟と悲鳴が私の中に流れ込んできたのです。


「嫌あぁぁああああぁああああああぁぁああああぁぁぁ!!!」


 ただの断末魔ではないのです。

 その一つ一つが明確に意味を持ち、呪いとなり私に流れ込んできます。

 それは通常であれば有り得ない出来事でした。

 そして人は、そのような地獄に耐えられるようにはできていないのです。


「あははははは! ほらアリア、ちゃんと見るんだ! 絶望ではない!? 死が救い!? ほら、この光景を見ても、君はまだそんなことを言えるのかい!?」


 私は壊れてしまったのでしょう。

 アンリ様の言うことが理解できるほど、頭が回りませんでした。

 気付けば体が痙攣を起こしています。その震えは強くなり、体が全身で視ることを拒絶します。


「あははははは!! 凄いねアリア! 陸に上がった魚みたいだよ!? でも大丈夫、頭はしっかりと固定してあげるから、落ち着いてちゃんと見るんだ!!」


 ”熱いよ、熱いよ、苦しい、痛いよ”

 ”ママ! 苦しいよ! 助けて!”

 ”死ぬ、死ぬぅぅう、なんでだ、俺が何をしたんだぁぁ!”


「嫌ぁあぁあぁぁぁああぁぁぁ!! アンリ様ぁああああぁあぁぁぁぁぁ!!」


 私の目から、鼻から、口から、体中から流れていく液体は、一体何なのでしょう。

 液体の色も確認できません。

 私は、地獄彼らを視るように言われているのですから。


「お願いぃぃぃぃぃ!! 許してぇぇええええぇえええぇぇ!! あんりさまああぁあああぁあぁあぁあぁぁあ!!」



 焼かれる。

 みんな焼かれる。

 みんな死んでいく。



 大人も、子供も。


 老人も、赤ちゃんも。


 男の人も、女の人も。


 人間も、魔族も。


 咎人も聖人も。


 奴隷も、権力者も。


 物乞いも、妊婦も。


 臆病者も、勇者も。



 全て、全て、全て死んでいく。


 あぁ、そうです。そうだったのです。

 これこそが平等。この上ない平等。


 全て、全て、全てが死んでいく。


 死こそが、平等なのです。


 死ノ神アンリ様こそが、この世界で唯一の平等だったのです。




 これが、私の最期の記憶。


 正確には、二度目の人生の最期の記憶。






 ◆






「うふふ、聖女様、気分はどうかしら」


 ここからは三度目の人生の記憶。

 とってもむごく、優しい世界の記憶。


「見ているだけで死ぬほどの苦痛を味わえるなんて、あなた、とってもイイ眼を持ってるのね。羨ましいわ」


 シュマ様は嬉しそうに錆びた剣を手にとっています。

 あぁ、また酷い行いをされるのでしょう。

 私は縛られてはいませんが、不思議と抵抗しませんでした。


「うふふ、聖女様、したい? されたい? それとも同時に愛し合う? 兄様が嬉しそうだったし、今回は聖女様に選ばせてあげる」


 見れば、私の側にも錆びた剣が用意されていました。


 ありえません。

 人を傷つけていいわけがありません。

 私が選ぶことができるのは、ただ黙って耐えることだけです。


 ──ガリガリ、ガリガリ


 私の腕を雑に削ぎながら、シュマ様は話しかけてきます。


「うふふ、ねぇ、次は聖女様が私にしてくれない?」


 何を馬鹿な。

 そんなこと、私にできるわけありません。


 声を上げることすらしない私に、シュマ様は密着してきます。

 化粧をするように、私の顔を血で塗りたくってきます。


「これは神様の教えでもあるのよ? あなた聖女だから、神様に嫁いでいるんでしょう? だったら、神様を信じれば、あなた、兄様あにさまと結婚したも同然よ?」


 心臓がドクンッと跳ねました。

 アンリ様と結婚できる。

 これ以上魅力的なことはございません。


「ほら、どうしたの聖女様。何を迷っているの?」


 ですが、私の欲求のために人を傷つけるなど、許されることではありません。


「大丈夫、大丈夫よ聖女様。何も問題ないの。これは、あなたが昔信じてた教義にもあったわ」


 シュマ様は私に耳打ちします。




「自分がされて喜ぶことを、他人にしてあげなさい」




 ゾクリと、何かが全身を駆け巡りました。

 私の反応を見て、シュマ様は満足そうに笑いだします。


「うふふ、あははははは! ほら、これこそが全ての教義、誰もが認める黄金律ゴールデンルールじゃない! うふふ、ほら、聖女様。だからあなた、正直になっていいのよ」


 あぁ、そうです、そうなのです。


 他人を思いやる優しい世界。


 それは、皆が相手の気持ちを考えることが大事なのです。


 私がしてもらって嬉しいことを、相手にしてあげるべきなのです。



 ──ガリガリ、ガリガリ



「あはははは! 聖女様、いい顔じゃない! どう!? どう!? 気持ちいいの!?」


 肉を削がれながら、私は錆びた剣を手に取りました。


 そう、これは正しい行いなのです。


 私がしてもらって嬉しいことを、相手にしてあげるだけなのです。


 それは間違いなく、善なのでしょう。


 あぁ神よ、ありがとうございます。


 私を導いて頂き、ありがとうございます。



「えぇ、とっても。とっても気持ちいいです」



 あぁ、世界はこんなにも汚く、だからこそ美しかったのですね。


 あぁ、嗚呼、世界はこんなにも残虐で、だからこそ優しかったのですね。



 だからこそ私は、アンリ様に恋焦がれてしまうのですね。

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