162 side:ジャイターン

 我はジャイターン。

 魔界の王なり。


 我が率いる魔族は待ち前の強靭な肉体を活かし、文字通り魔界を牛耳っていた。

 如何なる種族も我らには太刀打ちできず、ただ食料としてのみ存在を許されている。


 全ての食料、国、草木、海、空気は我のものだ。

 我は魔界の王なのだから。



 我にとっての平穏は何百年も続いていたが、終わりは突然やってきた。

 神が暴れだしたのだ。


 魔界には四柱の神が存在していた。

 四柱の神には役割があり、各々が「生」、「死」、「運命」、「時」を司っている。


 存在していると言っても、神が直接地上の我らに干渉してくることは滅多に無い。

 神が我らに興味を示さないというのもあるが、自身以外の三柱の神に睨まれることを嫌ったのだ。

 それぞれの神の力に大差はなく、天上は神々の均衡によって成り立っていた。



 しかしある時、神の一柱が運命を司る神を喰らったという情報が我に届いた。

 何かの間違いかと思った。

 そんなことをしても、何もメリットがないのだから。


 案の定、それを知った二柱の神は、運命神を喰らった神に攻撃を始めた。

 そこで一旦の平穏が訪れるだろうと思っていた。

 しかし、それは間違いだった。


 二柱の神を同時に相手にして、一柱の神が打ち勝ったのだ。

 勝った神の名は”アジ・ダハーカ”。

 死を司る神だった。


 計三柱を喰らったアジ・ダハーカは力を更に強大なものにし、地上への干渉を始めた。

 本来は竜の姿であるはずのアジ・ダハーカは、赤いスライムの姿をしていた。

 その赤いスライムは、地上の全てを喰らい尽くしていった。


 我らの食料も、草木も、同族も。

 全て等しく、赤いスライムへ喰われていった。


 何かを喰らう度に大きくなっていくスライムは、最早赤い海のようだった。


 我らも最初は抵抗した。

 しかし、それは無意味だった。

 神に地上の魔族が勝てるわけがないのだ。


 同族の如何なる拳も、赤い海には全く手応えが無く、逆にそのまま喰われていく。

 赤い海は目に見えて量を増やし、すぐに魔界のほとんどを覆い尽くした。


 我らは絶望した。

 悔しいが、我ら魔族の種の存続もここまでかと、若干の諦めが頭をよぎった。


 しかしその時、奇跡が起きた。


 我らの前に、大きな黒い渦が現れたのだ。


 黒い渦の先を見れば、こことは違う別の世界が見えた。

 見たこともない草木や生物が見えた。

 一番心を震わせたのは、海の色が青かったことだ。


 我らは覚悟を決め、最後の希望とばかりに渦の中へと入っていった。




 異世界への遠征は大成功だった。


 異世界はまだ誰の物でもなかった。

 世界を統べる者がいないどころか、同族で争っているほど野蛮で幼稚な世界だった。


 食料となる人間は美味だった。

 空気は旨く、山や海は綺麗だった。

 何より我が嬉しかったのは、この世界には天上など存在せず、何も心配なく地上だけ見ていればいいということだ。


 他種族が弱すぎることに退屈してしまう程、異世界への遠征は順調だった。






 なのに……



 なのになんで……



 なんで、あの方が……



「どうか、我ら魔族に慈悲を。我はどうなってもいい。だが、どうか魔族の血を絶やすことだけは……どうか慈悲を、アジ・ダハーカ様」


 なぜ、死を司る神がここにいるのだっ!


「どうするのだ主よ。奴らはもう戦意を喪失しているが?」


「あはは、何? 知り合い? その可能性は無いとか言ってなかったっけ?」


「む、むむ、いや、悪かった主よ。しかし可能性は無いではなく、低いと言ったような言わなかったような……」


「大方、あの時空扉魔法もダハーグの仕業だったんでしょ? いやぁ、君のおかげでどれだけ地球に迷惑をかけたことか。あんな魔法でこんなに迷惑をかけるなら、攻撃魔法を教えるのは当分はお預けかなぁ」


「あぁ! 事故なのだ! 悪気があったわけではなく、新たな魔法を覚えて浮かれていただけなのだ! 怒らんでくれ主よ! 我に攻撃魔法をっ!」


 更に驚くことに、目の前の少年は魔界の神であるアジ・ダハーカの主人のようだ。

 あれほどの力を持った神が、人間の少年に媚を売っている。


 有り得ない。有り得ないことだった。


 人間は弱く、我の物差しでは小さすぎる力を測れないと思っていた。

 しかし、それは誤りだった。

 目の前の少年の力が大きすぎて、我の小さな物差しでは測れなかったのだ。


「お、親父!? 何してんだよ! 何だよ……は?」


 我の娘であるヤールヤがやってきたようだ。

 ヤールヤもまた、赤いスライムに気付いたのだろう。

 驚き声が出ないのか、土下座をしている我への言及は止まる。


 その様子を見た少年姿の死ノ神タナトスは、楽しそうに交渉を始めた。


「あはは、そうだねぇ、僕としても、魔族を根絶やしにする必要はないかもしれないなぁ。君達の態度次第で、少しは譲歩してあげようかな」


 一条の光が見え、我の行為に迷いはなかった。


 ──ボキッ


 我は自身の角を折り、死ノ神タナトスに差し出す。


「これは我らの服従の証だ。どうか慈悲を」


 我らの角は、魔族の誇りそのものだ。

 それを折り、他種族に渡すということは、我らの歴史の中では初めてのことだった。


 ヤールヤはその光景を見て泣き崩れる。

 しかし、何も反対の声は上がらない。

 ヤールヤも分かっているのだ。

 その方法でしか、魔族が生き延びる可能性は無いということに。


「いや、別にそんなもの貰ってもねぇ」


 しかし、死ノ神タナトスは何の興味も示さなかった。


「まぁ何かに使えるかもしれないし、一応貰っておこうかな。あぁ、ついでにそこで泣いてる娘さんも貰っていい? 魔族の女の子に、少しだけ興味があるんだよね」


「構わない。どうか慈悲を」


 勝手に決まった己の運命だが、娘にはなんの異論もないようだ。

 勝気な娘なのに珍しいとヤールヤを見れば、悲壮とも安堵とも取れる、媚びた笑顔が顔に張り付いていた。

 そうか、お前もまた、地獄を見てきたのだな……


「それと、子供が欲しいかなぁ。魔族の子供を一万人ぐらい。幼ければ幼いほうがいいなぁ。物心がついてると面倒くさいし。それを貰えれば、魔族の種を絶やすことはないと誓ってもいいかな」


「構わない。だが人数が足りないかもしれない。そこは幼い者から順に差し出すので許してほしい」


 幼い力を失うのは惜しい。

 しかし、今優先されるのは種族としての存続だ。

 また子を産み、育て、繁栄を目指すのだ。


「あはは、殊勝な心掛けだね。僕も鬼じゃないし、そこまで言うなら手を打とうかな。あぁ、でも、流石に人間達にも死人が出てるし……責任ってのは、どうしても取らなきゃいけない。残念だけど、分かってくれるよね?」


 そんなこと分かっている。

 それで魔族が救われるのなら是非もない。


 我ら魔族は、人間に負けたのだから。

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