157 覚悟

「下らん。よもやその程度ではあるまいな」


 魔王ジャイターンは仁王立ちし、カスパールとベアトリクスを見下ろしている。

 魔王の身長は5メートルを優に超える。

 もともと巨大ではあるが、今のカスパールには、その何倍もの大きさに感じられていた。


「強い……まさかこれ程とは……」

「……わん」


 Sランク冒険者のカスパールとベアトリクスが力を合わせても、魔王ジャイターンには全く歯が立たなかった。

 傷は自動回復魔法リジェネで癒えるが、何度も致命傷を負った二人の顔は暗い。


「もう終わりか? 本当に人間は小さく脆い。でかいのは口だけのようだな」


「人間ではない……わしはダークエルフじゃ」

「獣人族……だわん」


 魔王から挑発を受けるも、勝てる算段のない二人が返すのはただのへ理屈だ。


「種族が違うとでも? いいや、臭いで分かる。貴様らはみな同類よ。人間、ダークエルフ、獣人族。見た目に多少の差異はあれど、本質はなんら変わらん。我らの食料たる、ただの家畜だ。いや──」


 ──魔王はカスパールに肉薄し、その右腕を引きちぎる。


「がぁぁぁぁ!?」


 カスパールの腕を咀嚼そしゃくする魔王は、恍惚の笑みを浮かべる。

 その視線の先は、元通りとなったカスパールの右腕に向いていた。


「貴様ら二匹は希少種だ。美味で、何より無くならぬ。礼を言うぞ、我らの食料問題は解決したようなものだ」


 魔王が食事を楽しむ間、カスパールは考える。


(なぜじゃ、なぜわしに攻撃が届く)


 カスパールのネックレスは、アンリによる特注品だ。

 魔力を込めれば、全ての物理攻撃に対して障壁を貼ることができる。

 込める魔力の量に比例して障壁の厚さが変わる物であり、先ほどは全力で魔力を込めた。

 それなのに障壁が全く意味を成さず右腕を持っていかれたことに、カスパールは納得できなかった。


(なにかからくりがあるはずじゃ……あぁ見えて実は魔法攻撃なのか?)


 カスパールは魔法攻撃に対して障壁を作る魔法具も持っていた。

 しかし、そのピアスは最初の一撃で粉々に砕け散っている。

 選択肢の一つを試せないことに、カスパールは歯噛みする。


「調子に乗るなよ木偶の坊……『<敵穿つ雷光サンダーボルト>!』」


 回避する素振りを一切見せない魔王に、カスパールの魔法が直撃する。


「……くく、何かしたのか?」


 しかし、魔王は無傷だった。


(これもか……なぜこちらの攻撃は届かぬ……)


 カスパールは魔法で、ベアトリクスは物理で何度も攻撃を試みたが、何一つ結果に表れなかった。


("孤独"のような能力にしても、物理攻撃までは耐性が無いはず……あれとは違う、魔界特有の能力か?)


 考察をしているカスパールに、ベアトリクスが袋を投げ寄越す。


「時間切れだ、ダークエルフ」


 カスパールは大きく溜め息を吐いた。


(アンリからはなるべく使うなと言われておったが……流石にわしらの手には余るか)


 カスパールが受け取ったのは夢マタタビだ。

 親指の爪程の量を摂取すれば、一時的ではあるが超人的な身体能力を手にすることができる。


 しかし、その反動は大きい。

 絶望的な依存性と、暴力的な副作用が宿った粉を見て、カスパールは震えていた。


 恐ろしかった。

 あのアンリが"地獄への片道切符"と称したことも。

 隣のベアトリクスが、涎を滴しながら震えていることも。

 日常に戻ってくることが可能なのか確信を持てないカスパールは、純粋に怖かったのだ。


「どうした家畜共、まだ続けるのか?」


 しかし、それよりも恐ろしい光景がカスパールの脳裏をよぎる。


 役立たずだと、アンリに見放されるのが、どうしようもなく怖かった。

 自分がアンリの特別ではなくなることに恐怖した。


「いいや、続けはせん。終わりじゃよ」


 そして、それよりも更に怖いことがあった。

 魔王の強さについて、このままなんのヒントも得られなかった場合どうなるか。

 万に一つではあるが、アンリが魔王に殺されてしまう可能性もあるのだ。

 カスパールが一番避けたい未来は、アンリと二度と会えなくなることだった。


「お遊びは終わりじゃ。あまりわしらを舐めるなよ化け物」


 だからカスパールは覚悟を決める。

 袋を破り、夢マタタビを一気に鼻から吸い込んだ。


 自身の魂が、強く惹かれたアンリのために。

 アンリとの未来を守りたいから。


 そしてその尊い覚悟は、夢マタタビの効果により下卑た快楽へと変わっていった。

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