145 死ノ神

 魔族たちの脅しにも、全く動じていない者。

 その一人はヘルだった。


「えへへ、幸せだなぁ」


 動じていない、というと語弊がある。

 ヘルは、魔族たちに全く気付いていなかった。


死ノ神タナトス様のサイン……凄いなぁ」


 人が死に、これだけの騒ぎになっていても、ヘルは自身の短剣を見つめ、ニヤニヤと笑っている。

 子供だから視野が狭いというのはある。

 それにしても、ここまで一つの物に思いを馳せるのは、ある種異常のようにも思えた。


「おい、あのガキを殺せ」


 ヤールヤが指さしたのは、アンリだった。

 魔族たちに動じていない者は二人いたが、その反応は少し違う。

 ヘルはそもそも魔族に気付いていない。

 そして、アンリは魔族に気付いていながら、尚も動じていない。

 足を組み椅子に座り、頬杖をつきながら魔族たちを眺めていた。


(気にいらねぇ。その目はあたいらが人間に向ける目だ)


 圧倒的な自信から表れる余裕の表情。

 尚且つ、こちらを蔑み舐め腐った態度。

 それは、魔族たちにこれ以上ない不快感を与えた。


 部下の魔族が、命令を忠実に執行するためにアンリに近づいていく。


「タイミングが悪いよ、君たちは。全く……メル、手伝って」


「承知いたしました、マスター」


 アンリは座ったまま、魔法の原典アヴェスターグを捲り魔法を放つ。


『<超加重魔法潰れろ>』


 ──ぺちゃ──


 突如、アンリに近づいた魔族が姿を消す。

 代わりに、青い液体が辺りに飛び散った。


 人間達の大半は、何が起こったのか分からず、怪訝な顔をしている。


「…………は?」


 しかし、冒険者達の一部と、驚異的な動体視力を持った魔族たちには、何が起こったか大枠を察し絶句する。

 魔法と思われる見えない力で上下から圧迫された魔族は、抵抗を全く許されず潰されたのだ。


 酒場にいる魔族の中で一番の実力者であるヤールヤは、瞬時にアンリの力量を認識する。

 飛び散った青い血を全身に浴びた彼女は、指先をアンリに向け号令した。


「あのガキを殺せぇぇ!! 全員でかかれぇぇ!!」


 号令の声は震えていたが、統制がとれている魔族たちはヤールヤの命令のままに行動した。

 しかし、結果まではヤールヤの望むものにならなかった。


『<内部爆裂魔法爆発しろ>』


 突如、魔族の一人が爆発して肉片が飛び散る。

 細かく散った肉片を原因に、酒場の料理に手をつける者はもういないだろう。


『<千剣の創造串刺しになれ>』


 違う魔族の体内から、無数の剣が生えてくる。

 そのまま死に至っているので、魔族の能力ではないだろう。


『<強制遠隔操作自殺しろ>』


 魔族の一人が手刀で首を刎ねる。

 それは種族としての強さを見せつける光景ではあるが、刎ねた首は自分のものだった。


「き、聞いてた話と違うじゃねぇか……なんだこの人間……」


 目の前の惨劇に、ヤールヤは腰を抜かしていた。

 自分の部下が、ただの人間一人に簡単に殺されていく光景を、信じられない思いで見つめている。

 そうしている内に、部下が一人、また一人絶命していく。


『<永眠魔法眠れ>』


 糸が切れたかのように、一人の魔族の全身の力抜け崩れ落ちる。

 生死を確かめなくとも、もう彼は目覚めることはないのだと分かってしまう。


『<時空扉魔法彷徨え>』


 黒い渦の中に魔族が吸い込まれていく。

 渦の中に見えるのは、更なる漆黒だ。

 その漆黒に覗き込まれているように感じたヤールヤは、思わず目を逸らしてしまう。


『<憤怒の炎灰になれ>』


 黒い炎に焼かれ、また一人魔族が絶命する。

 灰すら残ってないじゃないかと、ヤールヤは場違いな感想を抱いてしまう。


『<超攻撃魔法・絶望死ね>』


 黒い球体が現れたかと思えば、そこから幾つもの光が残りの魔族に向かう。

 魔族たちのいかなる防御も貫通した光は、そのまま肉を食い破り、心臓を貫いた。




 悲鳴に包まれていた酒場は一変して、静寂が訪れた。


「お、終わった……?」


 ヤールヤは周りを見渡す。

 そこで知った。生きている魔族は自分だけだということに。


 放心していたのはヤールヤだけではない。

 味方であるはずの人間達も、突如始まった虐殺に言葉を失っていた。


 それでも、人間側の勝利には間違いない。


「こ、これが死ノ神タナトス……」

「Sランク冒険者の実力……と、とにかく助かった」


 ぽつぽつと上がった声は、次第に大きなものとなる。


「か、勝った! 人間の、俺達の勝利だ!」

死ノ神タナトスの勝ちだぁぁ!!」

死ノ神タナトス! 死ノ神タナトス! 死ノ神タナトス!」


 どこからか始まった死ノ神タナトスコールが沸き起こる中、一人残されたヤールヤは首を振りながら声をあげる。


「う、嘘だ……死ノ神タナトス? 死を司る神? そ、そんなもの、いてたまるか……いてたまるかぁぁ!!」


 アンリは立ち上がると、ヤールヤに近づきその頭を撫でる。

 それはまるで、癇癪を起した子供をあやすかのようだった。


「魔王、だっけ? 君のボスに伝えておいてくれる? ”転移で元の世界に逃げないで下さいね? 弔い合戦を期待してます”ってね」


 魔王まで舐め腐った態度のアンリに、ヤールヤは激昂する。


「お、覚えてろよこのガキィ! 次に会った時がお前の最後だ! あたいの名前は──」


「──え? 次なんて言わずに今でもいいけど? ほら、無理でしょ? もう僕と戦う気なんてないのに、よく言うよ」


 図星だったのか、ヤールヤはアンリから目を逸らす。

 二人の距離は近く、髪を触られているというのに、ヤールヤは何も行動ができなかった。


「あはは、ほらね? それにね、君の名前なんて興味ないさ。雑兵の名前をいちいち覚える程、僕は優秀じゃなければ聖人でもないんだよ」

 

 ついに涙まで出てきたヤールヤは、せめてもの抵抗にアンリの手を振り払い酒場を飛び出していった。

 酒場の出来事は、彼女が生まれてきた中で一番の屈辱ではあるが、それよりも恐怖という感情が彼女を支配していた。

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