144 下等生物

「ほら、無視すんなよ死ノ神タナトス様」


 反応を示さないアンリに、男が再度声をかける。


「俺はホウス。そんで連れのこいつはディアルってんだ。いやなに、俺達も死ノ神タナトス様のおこぼれにあずかりたくてな」

「ひひっ、そうだそうだ。ガキにだけ優しくするのは、Sランク冒険者としてどうなんだよ?」


 ホウスとディアルの首元には、金色のプレートがかかっている。

 それはAランクの証であり、この二人が確かな冒険者である証明だった。


 だが、アンリにとってはAランクかそれ以外かなど、誤差の範疇だ。


「おい! 何無視してくれてんだこのガキ!」


 相手にしないアンリに、ホウス達は激昂する。

 アフラシア大陸では随分と名の知れたアンリだが、ペリシュオンではそうもいかないのだろう。

 子供姿のアンリを完全に舐めたホウスは、カスパールの腕を強引に掴む。


「このチキン野郎が! この女はお前には勿体ねぇ! 俺達がもらってくぜ?」


「はいはい、キャスは僕のだから、それは駄目だよ? 全く……欲しい人がいるのなら、甘い言葉でも囁くのが普通だと思うけど」


 敢えて流れに身を任せていたカスパールは、アンリの言葉を聞き快感を感じていた。

 いまいち自分を求めてこないアンリから、独占欲を感じる瞬間だったのだ。

 更なるアンリの言葉を求め、か弱い乙女のふりをすることに決めた。


「あぁ? ガキが偉そうに講釈たれるたぁ、気に入らねぇな」

「ったく、俺達が誰なのか知らねぇのか?」


 ホウスとディアルは、アンリの言葉を無視してカスパールを奪おうとする。

 抵抗をしないカスパールは、思いのほか簡単に連れて行かれそうになった。


「いやいや、僕の話聞いてた? 強引な男は嫌わ──」


 アンリの言葉は最後まで続かない。


「ひっひっひ、ガキが。大人には黙って従っとけよ?」


 ホウスがグラスを掲げ、アンリの頭にお酒を垂れ流したのだ。

 生まれて初めて受けた無礼に、アンリの理解は遅れ硬直する。


 その反応を怯えと勘違いしたホウス達は、ほくそ笑みながらカスパールを連れ去ろうとした。

 しかし、先ほどまでは抵抗がなかったカスパールは、緊張からか自然と体に力が入り、今やホウス達の力ではびくともしなくなっていた。


「お、お主ら……いや、何も言わぬ……南無」


 カスパールは男達の末路を思い、いくら自業自得とはいえ同情を感じてしまう。


 もしシュマがいれば。

 誰かが静止する前にホウスとディアルの首を搔き切り、即死だったはずだ。

 その後無理やり蘇生され、拷問されるかもしれないが、すぐに心は壊れて死んだも同然になるだろう。

 いや、興味の移り変わりが激しいシュマのことだ。もしかしたら、万に一つの可能性ではあるが、二回か三回死ぬぐらいで済むかもしれない。


 シュマ以外でもいい、誰か身内の者がいれば。

 アンリの代わりに激怒し、その怒りを馬鹿二人にぶつけただろう。

 それは愚行の代償としては足りないかもしれないが、それでも多少はアンリの溜飲を下げたかもしれない。


 今いるのは、アンリとカスパールだけだ。

 カスパールは動かない。動くことができない。

 カスパールが第一に考えるのは、アンリからの心証だ。

 代わりに罰を与えたとして、もしもそれでアンリが満足しなかったらと考えたら怖かった。

 アンリの矛先が変わることも、自身の行動にアンリが共感してくれないことも、カスパールは絶対に避けたい未来だった。

 できるのは、冷や汗を流しながら事の成り行きを見守るのみだ。


 アンリを見れば、いつもと変わらない軽い笑顔を浮かべている。

 酒場にいる者には、力に屈服した他国のひ弱な貴族に見えたのかもしれない。


「あはは、いやぁ、流石野蛮と言われるだけはあるね。漁夫の利でこの国を貰おうと思ってたけど、僕の考えは間違っていたよ」


 一方でカスパールは、いつもと何ら変わらないアンリに、なぜかとてつもなく恐ろしいものを感じていた。


「あはは、キャス、僕が怒るのは珍しいって? そんなことないよ、僕は器の小さな人間さ。ほら、こんな些細なことで、この国の未来に蓋をしてしまうぐらいには」


 カスパールに夢中なホウスとディアルは、自身に最大の危険が迫っていることに未だ気付かない。

 特に反省の言葉を求めていないアンリは、彼等を地獄へ誘う魔法を唱えようとするが──


 ──バンッ──


 ──突如大きな音が鳴り、酒場の注目はそこに集まる。

 その音はアンリの魔法ではなく、勢いよく扉が開いたものだった。


「下等種族の皆さん、ちーっす」


 酒場に入ってきた女は、後ろに多くの部下らしき者達を引き連れている。

 その数は20名程で、酒場の密度は急に上がる。

 女を含めて、入ってきた者達には共通点があった。

 肌が青く、側頭部から角が生えているのだ。


「あん? こんだけか? ここに強ぇやつが沢山いるって話じゃねぇのか? つまんねぇ」

「強いといっても、ヤールヤ様の基準では取るに足らないでしょうよ」


 酒場を見渡し落胆しているヤールヤと呼ばれた女を見ながら、冒険者達はただ驚愕していた。

 その見た目から、やってきた者達は魔族だと思われる。

 ならば、なぜ魔族がここにいるのか。


「ぶ、ブリストス要塞は……? ゴードンは……? マティウスやビランビーは?」


 魔族は現在、ペリシュオン最強の戦力が揃ったブリストス要塞で戦っているはずだ。

 それが、兵の一部をこちらに割けることができるほどの余裕があるのか。

 そもそも、なぜ魔族たちがここに来るまでに、騒ぎにならなかったのか。

 酒場の喧騒により外の異常に気付かなかっただけかもしれないが、冒険者達の疑問と困惑は尽きない。


 そんな彼らを見て、魔族の女ヤールヤは面倒くさそうに声を出す。


「あぁ? あのちっちゃな建物なら、もううちらの物だぜ? ゴードンとかはよく分かんねぇけど、生きちゃいねぇよ。逆らった人間は皆殺しにしといたからな」


 酒場の冒険者は戦慄する。

 魔族の戦力は、彼等が想定していたよりもはるかに高かったのだ。

 魔族達の体に付着した返り血は、今も滴れ床を汚している。

 おそらく、ここブリンクの町でも大勢の人間を殺めてきたのだろう。


「死ねこの嘘つき野郎がぁぁぁ!!」


 突如、冒険者の一人が走り出したと思えば、ヤールヤに大きな斧を振り下ろす。


 ──ガギィィィン


 しかし、斧がヤールヤに届くことはなかった。

 引き連れている他の魔族に止められたのだ。

 それも素手で。


「ば、馬鹿な……ありえ──」


 冒険者の驚愕の言葉は最後まで続かない。

 ヤールヤが軽く跳躍したと思えば、その蹴りが首に直撃する。

 ただの蹴り。だがその威力は常人のそれではなかった。


 ──どさっ


 細い足から放たれた蹴りは、まるで冥府から繰り出された鎌のようだった。

 その例えは、現実の結果としても現れる。

 冒険者の首を、いとも簡単に斬り落としたのだ。


「けっ、弱っちぃな。種族の差を理解したかよ、下等生物が」


 酒場は何度目かの驚愕に包まれる。


「けへへ、そろそろ現状が分かったかよ。あたいは超優しいから選ばせてやる。ここで戦って死ぬか、家畜として生き延びるか」


 できたら抵抗して楽しませてほしいけどなと、小声で呟く魔族を恐れ、酒場はパニックになる。


「む、無理だぁ! ゴードン達がやられたのに、俺達が勝てるわけがない! 逃げるぞ!」

「逃げるってどこにだよ! もう、ほとんどが制圧されちまってるぜ!」


 冒険者達が慌てふためいている酒場だが、この中でも全く動じていない者が二人いた。

 ヤールヤはそれが気に障り、次に見せしめにする人間を決めるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る