143 酒場

「へいお待ちぃ! エール二つ、お持ちしましたぁ!」


 アンリとカスパールは、ペリシュオン大陸の西端にある、ブリンクという町の酒場に来ていた。

 ここでは、元々ペリシュオンにいた者の他に、魔王を討伐して名乗りを上げようとした者が集まり、情報交換を行っている。


「聞いたか? 魔王の軍勢はもうブリストス要塞まで進軍してきたらしいぜ?」

「まじかよ、早すぎねぇか? ブリストス要塞ってこの町のすぐ隣だろ……だけどあの要塞は今はゴードンが占拠してたよな? 魔王の進軍もここまでだろうよ」

「だな。それにな、ゴードンにマティウスとビランビーが加勢するって話だ」

「おぉ!? 凄ぇな! あいつらが組んだなら、この大陸もそのまま制覇しちまうんじゃねえか!?」

「乗るしかねぇな、このビックウェーブに! 俺達もゴードンについて魔王を討伐するか!」


 常に争いが絶えないペリシュオンであったが、魔王の侵略が進むにつれ、人類は結託していった。

 普段は争っている勢力同志が戦いを中断するどころか、同盟まで組みだしている。

 このまま時間が経てば、ペリシュオンは一つの国にまとまるのではないかとさえ思えてきた。

 共通の敵というものは、組織を一つにまとめるための、これ以上ない要素なのだろう。

 しかし、この国の歴史を知る者からすれば、魔王がいなくなれば、すぐに元通りの紛争国家になることは予想に容易いものだった。



「それにしても、お主があそこまで怒るなど珍しいの」


 周りが打倒魔王と息巻いている中、アンリとカスパールだけは週末の金曜日のように酒と料理を楽しんでいる。


「あはは、僕を何の大罪人と思ってるのさ。あそこまで僕の言い分を理解してくれなかったら、怒っても仕方がないよ」


 死を否定するアンリに、聖女アリアは死が救いだと言った。

 あまりにも価値観が違い過ぎ、アンリには全く理解ができないものだった。


「いつものお主なら、話の通じぬ奴はすぐに諦め、関わらぬじゃろ? 今回も関わりを止めたとはいえ、あぁも感情を表に出すとは……まさか、本気であの女を好いておるのか?」


 ”嫌い”の反対は”好き”。

 ならば、”好き”の反対は”嫌い”なのか。


 カスパールはそうは思わない。

 ”嫌い”と”好き”は紙一重な感情であり、強い感情という意味では同一ですらある。

 嫌いなものでも何かのきっかけで方向を変えれば、簡単にベクトルが一致し、好きなものへと変貌と遂げる。


 ”好き”の反対は”無関心”。これがカスパールの持論だ。


 だからこそ、敵意とはいえあそこまで感情を動かしたアンリに思うところがあった。


「あはは、僕はみんな好きだよ。人を嫌いになっても、別に良いことないじゃないか。表向きだけでも、好きになっておけば色々と楽なんだから」


「ふむ……」


 本気で答える気の無いアンリに、カスパールはこれ以上の指摘は諦めた。


「あ、あの……」


 タイミングを計っていたのか、二人の会話の区切りで話しかけてくる人物がいた。

 声の主を見て、アンリ達は少し驚く。


 それは、子供だけの冒険者パーティーだった。

 男二人、女一人の三人パーティーは、アンリよりも更に若く、10歳程に見える。

 アンリに話しかけてきたのは、その中でも一番大人しそうな男の子で、他の二人は後ろで不思議そうに眺めている。


「君たち、地元の子?」


「い、いえ、ぼく達は違う国から、その、け、経験を積むためにやってきました」


 この世界での常識では、魔法を使えるのは10歳を過ぎてからのため、戦闘を行うのも10歳からが一般的となっていた。

 つまり、この子供パーティーは冒険者になったばかりだろう。

 そんなパーティーが、今一番危険なペリシュオンにいることに、アンリは少し疑問を感じる。


「あ、あの……ぼく、その、あの……」


 ひどく緊張している様子の少年からは、次の言葉がなかなか出てこない。

 そのことに苛ついたのは、アンリではなく後ろで待っている子供たちだった。


「おいヘル! 早くしろよ! なんだそいつら!?」

「……私、お腹空いた」


 ヘルと呼ばれた少年は、大きく慌てる。

 先ほどまで内気に見えたのが嘘だったかのように、酒場の皆に届くぐらいの大声を上げる。


「そ、そいつら!? なんて失礼な!! この方は死ノ神タナトス様だよ!?」


 史上最年少のSランク冒険者死ノ神タナトス

 そのワードは、酒場の皆を注目させた。

 アンリとカスパールの姿を見て侮った者は、不躾な視線を送ってくる。

 一定以上の実力を見抜いた者は、元の話に戻りながらもアンリ達を視線に収めていた。


「はいはい、死ノ神タナトス様がそんな小さな子供なわけないだろ」

「……アムル、もう放っておく。お腹空いた」


 そう言うと、ヘルの連れの子供たちは奥の席に向かっていった。

 よっぽどお腹が空いていたのだろう。もうアンリ達を視界に入れることはなさそうだ。


「あ、あの、ごめんなさい! ぼくのパーティーがとんでもないことを! アムルとハルは、後でちゃんと怒っておくので!」


 ヘルは姿勢を正し大きく頭を下げる。

 流石に今の自分より更に小さな子供に頭を下げられるのは罰が悪かったのか、アンリは笑って気にしていないことを伝える。


「あはは、いいよいいよ。子供は元気が一番さ。それで? 僕に何か用かい?」


 その言葉を聞いたヘルは、更に姿勢を正して顔を真っ赤に染める。


「あ、あの、ぼく、死ノ神タナトス様に憧れているというか、ファンというか、とにかく好きなんです! サイン下さい!」


 自身の獲物になるのだろう。

 短剣を両手で差し出すヘルを見て、アンリは目を丸くする。


「ぷっ……かっはっはっは! いやいや、よいではないか! こんな可愛らしいファンを作るとは、お主、やはり隅に置けんな!?」


 カスパールが笑い出すが、アンリは固まったままだった。


「い、いきなりごめんなさい! あの、ぼく、死ノ神タナトス様の話が大好きで! 特にパールシア軍を一撃で倒した話なんて、何回聞いても鳥肌がたって! ぼ、ぼく、強くなって、死ノ神タナトス様のお役に立ちたいんです!」


 その後も、ヘルは大きな声でアンリの武勇伝を語りだす。

 今ではAランク冒険者の”ハンバーガー”を華麗に倒した話や、元聖教会の序列一位に圧倒的な勝利を収めた話など、一体どこから流れたのか分からない話まで語っていた。

 そして、そのどれもが、アンリが圧倒的な存在に思えるように強く脚色されたものだった。

 ヘルはかなりのアンリマニアなのだろう。


「あぁ、分かった、分かったから、その剣を貸してよ」


 他人に大声で自分の武勇伝を盛って語られるという、謎の罰ゲームに耐え切れなくなったアンリは、大人しくヘルの短剣にサインをすることにした。


 しかし、アンリは生まれてこの方サインなど書いたことがない。

 自分の名前を格好よく書く方法を知らなければ、そのまま書いて目の前の子供が喜んでくれるかも予想できなかった。

 

(前世の決裁は電子化されてたし、芸能人じゃなければサインなんて縁がない……どうしたもんかな……あれ?)


 悩んでいたアンリは、短剣に小さなヒビが入っているのを発見した。


(やれやれ、子供だな。武器の手入れを怠たるのは感心できない……けど)


 ヘルに失望しかけたアンリだが、短剣を眺めるにつれてその考えは変わる。

 ヘルの短剣は、刀身にヒビが入っているが、他の部分は更に酷いものだった。

 短剣の全ては金属で構成されているが、握りはヘルの手に合わせて変形をしつつある。

 握りの部分に随分とこびりついた黒は、ヘル自身の血なのだと思われた。


 この小さな少年が、一体どれぐらいこの短剣を振ってきたのだろう。

 ヘルの底知れぬ努力を感じたアンリは、彼にとって最大限のご褒美となるサインを思いつく。

 アンリが指先で短剣をなぞれば、その部分が強く光りだした。


「よし、おっけー。この剣、大事にするんだよ?」


 光が収まり、短剣は特に変わったことがないように見えるが、アンリは短剣をヘルに返す。


「あ、ありがとうございます! 一生の宝物にします! かほーにします! な、何かお礼を……っ!」


「あはは、いいよいいよ。ほら、お友達が向こうで待ってるよ? 行った行った」


「は、はい! ありがとうございます!」


 席に戻り、短剣を嬉しそうに眺めているヘルに、アムルとハルは飯を頬張りながらも不思議な顔を向けていた。


 なんの話をしていたかなと、アンリが正面に向き直ればカスパールがニヤニヤと見つめていた。


「……何?」


「かっはっは! 何、随分と甘いのだなと思ってな! 子供には弱かったりするのか!?」


「そりゃ子供は好きだよ? 聞き分けのいい子ならって条件はあるけどね」


 カスパールに煽られながらも、アンリは酒を呷る。

 そこに、水を差すものが現れた。


「よぉ死ノ神タナトス様、俺らにも何かくれたりしねぇのかい?」

「そうだなぁ、例えばそこのダークエルフなんか嬉しいなぁ」


 柄の悪そうな男二人に絡まれたアンリは、教会でゆっくり飲んだほうが良かったかもしれないとため息を吐いていた。

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