130 ロアロア

(……?)


 ウラジーミルは違和感を感じた。

 それは快感に身を任せてシュマを殴り続けていたが、流石にこのまま続けると殺してしまうと躊躇ちゅうちょしたときだ。


 ──ごすっ、ぐしゃっ


(……なにかおかしい)


 そして、ウラジーミルの意思とは関係なく、その体が動き続けていることに気付く。


 ──ごすっ、ごすっ


(……え? なんで?)


 操られているように勝手に動く体。

 確かに存在する自分の意識。


 相反する二つに挟まれたウラジーミルを最初襲ったものは混乱だった。


(なんで!? 止めてくれ!)


 自分の意識とは関係なく動くことにより、自分が自分で無くなってしまったかのような感覚に陥る。


(助けて! 嫌だ嫌だ嫌だ!)


 それは自分の自由が奪われたようなものだ。

 それは自分が自分ではなくなったようなものだ。

 そのことにより、ウラジーミルを恐怖が襲う。


(嫌だ! 助けて! 誰か助けて!)


 恐怖により、ウラジーミルの脳内に分泌されていたアドレナリンは薄れていった。

 そうなると、次にウラジーミルを襲ったのは痛みだ。


(痛っ! 何!? 何で痛い!?)


 見れば、先ほど血が流れていた右手が、紫に変色していた。

 殴っているうちにシュマの歯に当たり切れたのかと思っていたが、何か違うようだ。


(痛い! 痛い痛い痛い痛い! 痛いぃぃぃ!)


 その痛みは、ウラジーミルが経験したことのないものだった。

 まるで、爪と指の間に細い串を差し込まれたような感覚だ。


「いでででででで!! ひぃぃぃぃ!!!」


 だが、自身の右手をよく見れば、その例えが違っていたことに気付く。

 正確には、爪と指の間から細い何かが痛みだった。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! ぎゃぁぁぁぁぁぁあぁぁ!」


 五本の指全てから、小さな細い虫が出てきていることに気付き、痛みが支配していたウラジーミルの感情に、嫌悪感や恐怖感も交じり合う。


「痛いぃぃぃぃぃ!! だずげでぇぇぇぇぇぇ!!」


 泣きながら絶叫するウラジーミルに、シュマが笑いかける。


「うふふ、やっと気づいたの? 豚さんは痛覚が鈍いようね。可哀想に……あぁ、もう私はいいわ。この縄を解きなさい」


 シュマの言葉を受け、ウラジーミルは縄を解きだす。

 そこに、ウラジーミルの意思は無かった。


(何で!? 何で何で何で!? 痛いぃぃ! 痛いぃぃぃ!)


 泣きながらシュマの拘束を解いたウラジーミルだが、やはり痛みが一番を占めているようだ。

 小さく細長い蛆虫がうごめく右手は痛むものの、解決方法を見いだせず歯を食いしばっている。


「うふふ、どう? その子はね、ロアロアっていうの。私の使い魔よ」


 シュマの言葉を聞きながらも、ウラジーミルは必死に右手を振り回し蟲を振り払おうとするが、成果は上がらないようだ。


「とっても可愛くて、とってもいい子なの。いつも、私を愛してくれているのよ? さっきのダンジョンでは、私が回復できなくなっちゃったのに気づかない困ったちゃんだけど……でも、いい経験ができたわ。あんな快感、兄様あにさまに初めて愛してもらった時以来だわ」


 笑っているシュマのお腹の内部にも、何かがうごめいているのが分かる。


「罪深い豚さん……でも大丈夫。私はとってもいい子だから、そんな先生もちゃんと愛してあげるわ」


 近づくシュマを危険と感じ、ウラジーミルは部屋から脱出しようとする。

 だが──


「駄目よ、動いちゃ駄目」


 ──ウラジーミルの体は、全く動かなくなった。


 アンリの<隷属化スレイヴ>は、そこまでの障壁はないものの細かな条件が三つ必要だ。

 ウラジーミルの術式の条件は二つだけだが、対象本人の口から誓いの言葉が必要なのがネックとなるだろう。


 そして、シュマが手にした”色欲”の能力もまた、対象を隷属化させるものだった。

 その条件は一つ。


 ”異性であること”


 あまりにも簡単すぎる条件を満たしたため、ウラジーミルはシュマの奴隷同然となっていた。


「どうしたの先生? 先生、言ってたじゃない。私の使い魔を見たいって」


 進んで気味の悪い生物を見る人間はいないだろう。

 ウラジーミルもまた、痛みに耐えながらも自身の右手を見ないよう努めていた。

 だが、それも直ぐに諦める。


「ほら、先生。私の使い魔をちゃんと見て」


 シュマの命令を受け、ウラジーミルの視線の先は強制されたのだ。


 ロアロアは直径1cmにも満たず、全長5cm程の小さな蛆虫の見た目をしている。

 紫色のロアロアは、先ほどは5匹しか見えなかったが、今では注視しているウラジーミルでも数えきれない程に増えていた。

 元々肌色だった右腕が紫色になっていることから、その内部にも大量のロアロアが蠢いているのだろう。


「うふふ、びっくりした? その子はね、寂しがりやさんなの。だから、一人ぼっちだとすぐに増えちゃうの」


 ロアロアが繁殖を行うには血と肉が必要だ。

 宿主であるウラジーミルの右腕は、内部から蟲達に少しずつ食べられていた。


「痛いよぉぉぉぉ! 誰かぁぁぁぁぁ!」


 ロアロアが右腕から体の中心に動いている感覚があり、ウラジーミルは自分の右腕を切り落としたい衝動に刈られる。

 しかし、勿論そのような自由はウラジーミルにはない。


「やめでぇぇ! おでがぃぃぃ! 痛いよぉぉぉぉ!」


 体内の組織を喰らいながら移動するロアロアは、正しくウラジーミルの絶望だった。


「うふふ、その子はね、目玉が特に好きなの。だからね、特に命令をしていないと、勝手にそっちに向かっていっちゃうの。ほらね?」


 言いながら、シュマは自身の手のひらから出したロアロアを、ウラジーミルの足の爪先に持っていく。


「あぁぁぁぁぁぁぁ!! いだいぃぃぃぃぃぃ!!」


 両の足先からも、ロアロアは目玉を目指し移動を始める。

 繁殖するために体内を喰らいながら。


「止めでぇぇぇ! じぬぅぅぅぅぅ! こいづ、なにぃぃぃ!?」


「うふふ、兄様あにさまが教えてくれたの。この子は、私と凄く波長が合った子らしいわ」


 ロアロアはウラジーミルの体を喰っているが、何もウラジーミルを殺したいわけではない。

 ただ自分が繁殖したいという欲望を満たすためだけなのだ。


 普段シュマの体内にいるロアロアは、命令により繁殖を禁じられている。

 ウラジーミルを好きにしていいと許可を得た今、同胞を増やしたいという欲を満たすため躍起になっていた。


 ロアロアは死肉は好まない。

 そのため、なるべくウラジーミルを生かしたまま繁殖しようとする。

 ウラジーミルにとって、長い長い地獄の始まりである。


「いだいぃぃぃぃ! だずげでぇぇぇぇぇ!!」


「うふふ、気持ちよさそうね先生。あぁ、そうだ。”さん”、お願いがあるのだけど」


 シュマが窓を見れば、いつの間にやらアフラシアデビルの隣に”さん”が跪いていた。


「私、少しロアロアと楽しんでいるから、邪魔者を入れないでほしいの。私がいいと言うまで、この部屋に誰も入れちゃぁ嫌よ? 誰か入ってこようとしたら、何をしてもいいから、その口を開けてもいいから止めてね。でも、殺しちゃ駄目よ?」


 その言葉を聞き、”さん”は頷き部屋の外に出ていく。

 ”さん”の脳内で様々な感情が入り乱れる。


 殺す以外なら何をしてもいいという許可を得た喜び。

 シュマの寵愛を受けているウラジーミルに対しての嫉妬の怒り。

 今から始まるシュマとロアロアによるハッピータイムに参加できない哀しみ。

 果たして誰がこの部屋に入ろうとするのかという期待を込めた楽しみ。


 どうか、どうか早くこの部屋に来てくれと。

 できれば、それが少年少女であれと。

 ”さん”はアンリに祈るのだった。







「ぅぅ……ぁ……」


 長い時間、ロアロアはウラジーミルの体を貪っていた。

 神経も食い破られたのか、ウラジーミルの感覚は少なくなっている。

 ただロアロアの宿主として、そこに存在しているのみだ。


「うふふ……ロアロア、随分増えたのね。楽しそうに……でも、段々と先生の反応が無くなってきたわ……つまらないの……そろそろお終いにしようかしら」


 地獄が終わる。

 その言葉に反応したウラジーミルは、涙を流しながら懇願する。


「おでがぃ……ごろじで……おでがぃじまずぅ……」


「えぇ、生きていても仕方ないから、もう殺しちゃうわ」


 刀を握ったシュマを見て、ウラジーミルは安堵した。

 この地獄から、やっと解放されるからだ。


 その時、シュマの頭上が光ったと思えば何かが落ちてき、シュマの手元に納まる。

 それは、魔法のアヴェスターグ模造本・レプリカだった。


 大きな聖典を手にしたシュマは、歪んだ笑顔をウラジーミルに向ける。


「あは、あはははは! 良かったわね先生! 良かったわねロアロア! もう一回遊べるわ♪ さぁ、今度は<感覚強化センスアップ>も使いましょう! もう一回、最初から愉しみましょう! 永遠に、永遠に愛してあげるわ!」


 回復魔法ヒールの光を感じながら、地獄は現世にあるとウラジーミルは知るのだった。

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