128 アエーシュマ救出戦6

 ──ごすっ、ごすっ


 ──ごすっ、ごすっ


 ──ごすっ、ごすっ



 一体どれ程の時間が経っただろうか。


 その時間は、意識を失っていたフォルテにとっては一瞬のことだったかもしれない。

 目を覚まし、その目に飛んできた光景は絶望だった。


 ──ごすっ、ごすっ


 ──ごすっ、ごすっ


 ──ごすっ、ごすっ


 その時間は、意識を失わないように念入りに調整されていたテレサにとっては、永遠にも思えたかもしれない。


「はふ……ほへはひ……ほひ……」


「テレサぁぁぁぁぁあ! お前ぇぇぇえ!!」


 ひたすらテレサを殴り続ける”さん”に、フォルテは怒りに身を任せ叫ぶ。

 だが、蛇の魔物により拘束されているフォルテでは、叫ぶ以外のことはできなかった。


「許さねぇ! おまえぇ! 止めろぉぉ!!」


 行動を制限されているのはテレサも同じだ。

 だがテレサが制限されているものは、他にも多い。


 ──ごすっ、ごすっ


 鼻血が出ているからだろうか、肺が潰れかかっているからだろうか、呼吸をすること自体も満足にできない。


「はふへへ……ほへはひ……」


 許しの言葉を、静止の言葉を叫ぼうにも、満足に言葉を喋ることもできない。


 ──ごすっ、ごすっ


 いっそ意識を手放したいと思っても、絶妙なタイミングで拳が飛んでくるため、それも無理な事だった。


 テレサにできることは、ただ耐えること。

 いや、耐えることも難しいため、ただ受け入れることだった。




 だが、アンリが目指すものを除き、全てのものには終わりがあるのだろう。

 それは突然やってきた。


「うふふ、そこまでよ。二人とも、来てくれたのね」


 フォルテ達が救うはずのシュマがやってきたのだ。


「しゅ……シュマ……だよな……?」


 フォルテは違和感を感じる。

 何か、今のシュマがいつものシュマと別人に見えたのだ。


 シュマの衣服は乱暴に破れ、その柔肌が露わになっているというのに、隠す素振りはまるでない。

 魔法刻印の効力により傷自体は見当たらないが、身体と服に残った血の跡から、尋常じゃない拷問がされたのだろうと推測される。


「えぇ、私よ。うふふ、おかしいわフォルテ。私が別人にでも見えたのかしら? あぁ、”さん”、私の椅子になってくれないかしら」


 そして、今のシュマはいつもより大人びて見えた。

 言い換えれば、ように見え、フォルテはその姿を見て動悸が激しくなる。


 四つん這いとなった”さん”に座ったシュマは、魔法のアヴェスターグ模造本・レプリカを用いて回復魔法ヒールを3人にかける。


「たす……助かった……? お、終わった……?」


 体の傷は皆治った。

 だが、心の傷を回復する魔法はまだ存在しない。


 ”さん”を見たテレサは、フォルテ以上に動悸が激しくなり涙が流れだす。


「っ!? そうだ、シュマ! そこの使用人を俺に殺させろ!!」


 テレサを殴り続けた”さん”を許せないフォルテだが、それは受けいれられない。


「えぇ? 駄目よ、”さん”は私のものよ?」


 その言葉に、フォルテは激昂する。


「お前! そいつがテレサに何をしたのか知ってるのか!? そいつは……確かに悪いのはウラジーミルだ! だけど……だけど……っ!」


 悔しがるフォルテに、シュマは優しく声をかける。


「うふふ、どうしたの? 別にウラジーミル先生のせいじゃないわ」


「っ!?」


 シュマがウラジーミルを擁護したことにより、フォルテとテレサは、シュマもまた”さん”と同様の状態になったのだと判断した。


「……しゅ、シュマ……あんた……」


「シュマ! その使用人の命をくれ! 理屈じゃねぇんだ! 俺の気が晴れる。それだけだけど、それが大事なんだ!」


 テレサと同様にフォルテの目からも涙が流れていた。


「うふふ、フォルテ、少し落ち着いて。奥の部屋にウラジーミル先生がいるわ。様子見を見に行きなさい」


「…………あぁ」


 先ほどの興奮が嘘のように、静かになったフォルテは奥の部屋へ歩いていく。

 その手には剛竜剣が握られていた。


 残されたテレサにシュマは近づく。


「……シュマ」


 どこか怯えているテレサを、シュマは優しく抱きしめる。


「うふふ、どうしたの? なんでそんなに怯えているのテレサ。何か、不安なことがあるの?」


「う……うぅぅ、うぅぅぅぅうぅ!」


 不安な事しかない。

 テレサはそのことを表現できるほど落ち着いてはいなかった。

 だが、その態度からシュマには伝わったようだ。


「うふふ、テレサ、大丈夫よ。あなたが不安に思う事、それは本当に小さなことよ。そして、私はあなたの不安を取り除くことができるわ」


「…………ぇ?」


 ひどく心が弱り言葉の続きを待つテレサに、シュマは学院で何度もしてきたことを行う。


「アンリ教に入りなさい」


 宗教への勧誘である。


「…………は? アンリ……?」


 期待していた解決方法とは方向性が全く違うことに、テレサは戸惑いを覚えていた。


「えぇ、そうよ。アンリ様を、兄様あにさまを崇めるだけで、あなたの不安は全て無くなるのよ」


「いや、アンリって……あの? ……それは、いいかな……アンリは友達だし……そんな、崇めるなんて……」


 流石に学友を崇拝することは難しかったのだろう。

 テレサは拒絶を示す。


 すると、シュマは抱きしめていた手を放し、奥の部屋へ歩き出す。


「うふふ、良かったわね”さん”。テレサは兄様あにさまに愛してもらうより、あなたに愛してもらうほうが好きみたい」


 その言葉を聞き、”さん”の顔は再び狂喜に歪む。

 とっさに自身の立ち位置を理解したテレサは、シュマのボロボロになった服を掴み大声を上げる。


「入る! 入るわ! うちの心はアンリ様に捧げる! だから、だから、うちの体をアンリ様に守ってほしい!」


 必死な形相のテレサを見て、シュマは微笑む。


「えぇ、良かったわテレサ。また一人理解者が増えたのね。フォルテは……どうかしらね」


 シュマの目線の先にある奥の部屋から、フォルテの声が聞こえてくる。


「おえぇぇぇぇぇぇぇ」


 正確には声というよりは、嘔吐の音だ。

 あまりにも異形な姿となったウラジーミルを見て、その反応は至極当然だったのかもしれない。

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