81 side:アシャ 後

 意識を取り戻したボクは思考の渦の中にいた。


 ボクの人生の意味の無さを延々と指摘され、人生を説かれる。

 ボクを襲った悪夢により精神を疲弊しており、判断が鈍くなっている気がする。

 悪魔の言う事が正しいのかもしれないと思えてきた。

 そして、迷っているボクに悪魔が投げつけてきたのは、お義父様の生首だった。


 確かに、お義父様は怖かった。

 それでも、ボクにとってはお義父様だ。


「お……おとう……さ……」


 ボクの小さな声は、悪魔の高笑いに掻き消される。


「あぁ……あああ……ああぁぁぁぁぁぁああぁあ!!」


 これは悪夢だ。


 視界が回る、回る、回る。


 気持ちが悪くて吐きそうで、そう思った時には吐いていて。


 あぁ、お義父様ごめんなさい。

 ボクの吐瀉物ゲロがかかっちゃいました。

 あぁ、そんな目で見ないで……

 お腹がすいていたのに、まだ中身があったんです。



 ボクの心が潰れていく。

 悪魔によってボクの生きてきた意味を壊された。


 なんて、なんて意味のない人生を歩いてきたのだろう。

 今のボクはからっぽだ。

 なーんの意味もないからっぽ。

 それこそ、部屋の隅に立っているお姉ちゃんと同じ、人形のようなもの。


 からっぽなのに、思考の渦はぐるぐる回る。


 ぐるぐる、ぐるぐる


 考えても分からないし、何を考えているかも分からない。


 ぐるぐる、ぐるぐる


 でも考えなくちゃ。

 考えたら駄目ってルールは無くなったんだから。








 それからボクは、シュマに軟禁されている。

 軟禁、というよりは飼われているといったほうが近いかもしれない。


 ボクの食事はシュマが全部用意する。

 ボクの排泄はシュマの前で行う。

 ボクの肉体はシュマが楽しそうに削ぎ落す。


 抵抗をする気力は一切無くなっていた。

 何もない無の時間がどうしようもなく長く感じ、今では拷問の時間ですら少し待ち遠しくなっているように思う。


「うふふ、アシャ、ご飯よ。今日はね、みんな大好きハンバーグよ」


 ハンバーグと聞いて、ボクのお腹の音が鳴る。


「うふふ、やっぱり、子供はみんな好きっていうのは兄様あにさまの言う通りね」


 悪魔に教えてもらったというハンバーグは、悔しいが美味しかった。

 それに、一日一食しか食事が用意されないのだから、お腹が鳴るのは仕方ない。

 ボクがご飯にかぶりついている間、シュマは延々と悪魔の素晴らしさを説いてくる。



「本日も、私を生かして頂いて、ありがとうございます」


 そして、また始まった。


「あなた様は私の光です。あなた様は私の希望です。あなた様は私の全てです」


 定期的にシュマは祈りの言葉を紡ぐ。


「私の全てはあなた様のためにあります。あなた様は私の全てです」


 朝にも複数人で悪魔に祈っているが、それでも足りないのか、ボクがご飯を食べている時にも祈りを始める。

 今日はいつもと違い、シュマがボクに話しかけてくる。


「うふふ、アシャもどう? もう祈りの言葉は覚えたでしょう?」


 ボクの楽しみの食事を邪魔されたこともあり、怒りから言葉を返す。


「…………狂人……」


 ボクの言葉に、シュマは優しく笑いかけてくる。


「うふふ、可哀そうね、あなた。兄様あにさまという神様が近くにいるのに、偽物の神様を崇拝しているなんて」


 今日のご飯は大好きなハンバーグだったので、少し活力を取り戻したためか、気付けばシュマに反論していた。


「……スプンタ・マンユ様が唯一神だ。あの悪魔を神というのは……流石に悪趣味が過ぎる」


「うふふ、スプンタ、スプンタ、あなた達は本当にスプンタが好きね。スプンタがあなたに一体何をしてくれたのかしら?」


「知れたこと。この世の全てスプンタ様が創造したものだ。スプンタ様無くしては、ボク達は満足に生きることができない」


「あら? あなたが今生きているのは兄様あにさまのおかげなのに、よくそんなこと言えるものね」


「……だったら殺せ。別に悪魔の慈悲などいらない……同情で生き永らえたところで……」


「うふふ、よく言うわね。散々神様の寵愛を受けておきながら」


「……そんなもの、受けた覚えはない」


「うふふ、何をいっているの? 今まさに寵愛を受けているじゃない」


「……? お前は、まさか悪魔がこの世界を創造したと──」


「──あぁ、違うわ、違うわよアシャ。そんなふざけた話じゃなくて、私はもっと直接的なことを言っているの。あなたの今の幸せは、兄様あにさまのおかげなの」


 ?


「正確に言えば、兄様あにさまの魔法のおかげ……ね。アシャはお腹がすくと死んじゃうでしょ?」


 ?


 この狂人は何を言っているのだろう。


「今日のハンバーグ美味しかったでしょ?」


 ???


 分からない、ボクはそもそも考えるのは苦手なんだ。


「くすくす、お馬鹿さんなのね。本当に可愛いんだから」


 ──ぎゃり


「──っくぅ……っ!」


 突如始まった拷問に、顔を歪める。

 ボクの肉片を握りながらシュマは笑う。


「ほら、じゃぁおかわりは生で食べる? 確かに生でも、悪くない味よ?」


 そしてシュマはボクの肉片を、無理やりボクの口に詰め込む。


「うふふ? 美味しい? ハンバーグっていう調理方法も勿論だけど、素材も良かったのかしら?」









 軟禁されている間、全部肉料理だった。


「ほら、ほらほら、美味しい? 最初の3日はあなたのお義父さんだったのよ? あなた、とても美味しそうに食べていたじゃない」


 とても、お腹が空いていたし、とても、美味しかった。


「最近はあなただったのよ? あなたはとても美味しくて、兄様あにさまもとても喜んでいたわ。特に乳房がお気に入りだったわね」


 ここ最近は、拷問の後が食事の時間だった。





 美味しかった。


 確かに、美味しかったんだ。






「おぅ、ぅご、ぅぅう、ぉぅぇええええええええ!」


 嘔吐する。

 口からも、目からも、鼻からも液体が出てきて酷く汚れる。

 それでもお構いなしに、シュマはボクの肉片を口にねじ込んでくる。


「あぁ、勿体ないわ。でも大丈夫、いくら肉を削っても、すぐに回復できるから。うふふ、アシャ、あなたは兄様あにさまさえいれば生きていけるの。あなたの食事は、あなたは、兄様あにさまの魔法でいくらでも作れるんだから。兄様あにさまが神様なの。神様が兄様あにさまなの。これから、そのことを、もっと、もっと分かってくれると思うの。そしたら、また私とお友達になりましょう?」




 回る、回る、回る、世界が回る。

 凄く、凄く不安定な世界の、中心にボクは、いる。

 そんな世界でも、ボクの頭でも、シュマの言葉が理解できる、できてしまう。

 この時、ボクの心は、完全に、完全に壊れたのかもしれない。


 だって、今この瞬間も、自分の肉を美味しいと思ってしまっているのだから。










「本日も、私を生かして頂いて、ありがとうございます」


 いつもの声が聞こえてくる。

 ボクの一日の始まりを告げる声だ。

 ボクは隣で跪くメアリー達と一緒に、シュマの言葉を復唱する。


「あなた様は私の光です。あなた様は私の希望です。あなた様は私の全てです」


 前はもっと少人数だったと思うが、気付けば人は増えていき、シュマの部屋では手狭に感じてしまう。

 どこか礼拝堂を借りるべきじゃないだろうか。


「私の全てはあなた様のためにあります。あなた様は私の全てです」


 跪いているボク達の先にあるのはだ。

 御神体はシュマの魔法により、全く腐ることもなく、ボク達をいつも見守ってくれている。


「うふふ、アシャ、本当にあなたに感謝してるわ。こんなに素晴らしい御神体を賜ることができるなんて……」


 シュマがボクに話しかけてくる。

 当然ボクは怒り、シュマに注意をする。


「……シュマ、まだ祈りの途中……不敬だ……」


 ボクはこの世の全てを、御神体アンリ様に感謝し、ただただ祈る。


「……これからも……永遠に……永遠を……お願いします」

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