71 好感度稼ぎ

「…………生きて……る?」


 アシャは眠りから目を覚ます。

 随分長いこと眠っていたようで、起きたばかりだというのに強い空腹感が襲ってくる。


「うふふ、やっと起きたのね? 長いこと寝ていたから心配したわ」


 声の主のくつろぎようから、アシャはシュマの部屋に軟禁されているのだと判断する。


「…………」


 武器も無く、長めとはいえ鎖で手足が繋がれているため、抵抗は不可能と諦める。

 いや、空腹と憔悴により、抵抗する気力が無いのかもしれない。


「うふふ、私ね、あなたに本当に、本当に感謝しているのよ? あぁ、持つべきものは友、というのは本当ね。今度は私が何かお返しをあげなくっちゃ」


 シュマが機嫌よく鼻歌を歌っていると、がちゃりという音がし、アンリが部屋に入ってくる。


「…………」


 アシャは呪いの言葉を吐きたいが、そこまでの気力が無く、強く睨むことしかできなかった。


「あはは、怖い怖い、そんなに熱く見つめられても、君の相手をするのはシュマだよ。君は、僕からシュマへのプレゼントなんだから」


「うふふ、ありがとう兄様あにさま。私、とっても嬉しいわ。やっぱり、お友達はいいものよね。アシャもいっぱい、いっぱい愛してあげるわ」


「……殺せ」


「アシャ……前から思っていたんだけど……君は死にたいのかい? 僕はこの前君に生きていないと言ったよね? やっぱり君からは生きる活力を感じないというか……それこそテセウスのような人形に見えるんだ」


 アシャの明日を見ていない姿勢を気に食わなく思い、アンリは今日もアシャの生き方を否定する。


「人形なんかじゃ……ない!」


 アンリの言葉が逆鱗に触れたのか、アシャは大声で反論する。


「人形だね、それも出来の悪い。君の人生にこれまで楽しいことはあった? 君の意思なく生きてきて、なにか得られるものはあった?」


「……それしか……ボクには許されなかった……! そんなの……仕方ないじゃないかっ!」


「誰が許さなかった? 君は勝手に自分の中で自分の生き方を結論付けてしまった、本当に救えない馬鹿な子だよ」


「何一つ……不自由なかったお前に何が分かる! ボクは……ボクは……生きるのに必死だった……」


 アンリと違いアシャは平民だ。

 そして、生まれつきの黒髪と魔眼のせいで、常に疎まれ虐げられてきた。

 自分を守ってくれる者などいるはずがなく、アシャは自分を守ることに本当に必死だったのだ。

 自身のことを”ボク”と呼ぶのも、女と知られたら余計に環境が酷くなると思った、子供ながらの自衛手段の一つだったのかもしれない。


 そして、聖教会のウォフにその才能を見出されてからアシャは変わった。

 努力した。

 誰よりも、どんな時も努力した。

 ウォフに認められる実力を身に着ければ、ウォフの命令を聞いていれば、アシャは満足に生きていけるのだから。


「だから、君は生きていないんだ。確かに家畜としては生きているかもね。ただね、人間としては、ウォフに拾われた時に死んだんだよ」


 アンリの言葉はアシャにはよく分かっている。


「……違う……ボクは……違う……」


 だが、アシャは否定することしかできない。

 肯定してしまえば、自分のこれまでの人生の意味の無さを認めることになるのだから。


「まぁ、当時は小さな女の子だった君には酷だったとは思うよ。だけど、君はある程度の力を身に着けたじゃない。今からでも遅くはない、自分の思うように生きたらいいじゃないか。自分のやりたいことをして、ほら、シュマやメアリーと楽しく笑う、普通の女の子になってもいいんじゃないかな」


「そんなこと……する権限はない……」


『聖教会の言うことなんて無視して、僕達の言うことだけを聞いたらいいじゃないか』


 アシャの心は動くが、それでも聖教会には逆らえない。


「…………あなたは強い……確かに、強い。だけど、お義父様には……ウォフ様には勝てない……あの方もまた、規格外の強さを持っている」


 結局のところ、アシャが聖教会に縛られているのは力と恐怖からなのだ。


「ボクだって……自由に生きたい……家畜じゃなく、人間として、生きたい……生きたいんだ! でも、無理……聖教会を裏切れば……ボクがどうなるかなんて……お義父様が……ボクを殺す……死ぬだけだ……!」


 泣きながらアシャは叫ぶ。

 それは12歳の少女のらしく、感情を強く吐露した叫びだった。


 アンリは強く責めていた先ほどまでとは打って変わり、優しい笑顔でアシャを諭す。


「大丈夫だよアシャ。何も怖くないんだ。確かにあの世が無いことは怖い。死んでしまったら何処へも行けないことは、凄く怖い事だ。でも、それは今の君にとっては救いになるはずだ」


「……何を?」


 どこがずれているように感じるアンリの言葉に、アシャは疑問を持つ。


「いいかい? 死んだら天国に行くこともなければ、地獄に行くこともない。死んだら何も残らない……完全な無なんだよ。奇跡で輪廻転生することがあるかもしれない……でもそんなの、本当に奇跡だ……2度目は無いと断言できる」


「……? あなたは……何を言っている……?」


 アシャの疑問の声を聞きながら、アンリは魔法の原典アヴェスターグからを取り出すと、無造作にアシャに投げる。

 アシャは反射的にを受け取ると、硬直してしまう。

 思考の渦に飲まれたかと思えば、その渦は世界にも波及しているようだ。

 乗り物にひどく酔った時のように、自分を中心に世界が回り続けているのをアシャは感じる。

 と目が合っているアシャに向かい、アンリは優しく声をかける。


「君を殺す存在はいないんだ。あの世なんて無いんだからね」


 ぐるぐると、周囲が回っている感覚がアシャを襲っている中、アシャの理解がようやく追いついてくる。


「お……おとう……さ……」


「あはは、随分と僕も舐められていたんだね。勝てないだって? なかなか面白い冗談を言うじゃないか。見てよその顔、株で有り金全部溶かしてももうちょっとマシな顔をするよ? ちょっと遊んであげただけで、すぐに自分から命を絶っちゃったんだ。僕が直接手を下したかったんだけどね、あぁ、だから勝てないってこと? あはははははははははは! 成程! アシャ! 君も冗談を言えるじゃないか! あははははははは!」


「あぁ……あああ……ああぁぁぁぁぁぁああぁあ!!」


 恐怖の対象とはいえ、これまでアシャを親代わりに育ててくれたのはウォフだ。

 ウォフの変わり果てた姿は、アシャの心に大きな傷をつける。


「くすくす、くす、あは、あははははははは!」


 楽しそうなアンリと、絶望に包まれたアシャに釣られて、シュマも笑いだす。

 シュマの部屋に3人の大声が響いていた。


「じゃぁシュマ、後は君の自由だよ。お友達と仲良くするんだよ?」


「えぇ、兄様あにさま。アシャを愛してあげるわ。メアリーもすぐ気に入ってくれたんだもの。アシャもきっと気に入ると思うわ」


「あぁあぁあああぁぁぁぁあぁあぁああああ!!」


 魔法により遮断されたこの部屋では、いくらアシャが泣き叫ぼうが外に聞こえることは無かった。

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