68 呪術研究会3

「うふふ、どうしたのアシャさん。顔色が優れないようだけど、体調が悪いの?」


 シュマの言葉により、アシャは思考の渦から脱出する。


「……問題無い」


 10歳になったぐらいの頃から、アシャは考えるということをほとんど放棄していた。

 存在するかどうかも分からない神を盲目的に信じ、親代わりの存在に言われたことに疑問を持たず、ただただ遂行してきた人生だったからだ。

 それはアシャにとって、非常に楽な人生だった。

 己の思考を排除するだけで、自分の居場所を手に入れることができるのだから。


 だが、学院という場所は、様々な価値観に溢れており、アシャに嫌でも色々なことを考えさせられる。

 そのため、考えることに慣れていないアシャは、自分の思考に没頭してしまうことが目立っていた。


「うふふ、講義中も上の空だったわね? 心配だわ、ねぇ、メアリーさん」

「はい、シュマ御姉様。……そ、それと……わ、私のことは、メアリーと呼んでくださいっ」

「えぇ、分かったわメアリー」


 アシャは目の前の光景を理解できず、またも思考の渦に陥りそうになる。


(……シュマはメアリーに危害を加えるのかと思えば……随分と仲良くなっている……)


 アンリとの決闘後、ダニエルは魔法を使えなくなった。

 正確には、魔法を使うことが怖くなったのだ。

 ダニエルの得意は炎系統の魔法だが、小さな火の玉を見ただけで異常に怯えてしまうのだ。

 それに加え、我が身可愛さにメアリーを切り捨てたダニエルに対して、メアリーは失望し、婚約を解消していた。


 普通であれば、自分の元婚約者をボロ雑巾にしたザラシュトラ兄妹に恨みを持つはずだ。

 しかし、アシャがアンリと呪術研究会に行っている間に、いつのまにかシュマとメアリーは仲良くなっていたのだ。


(…………理解不能)


 原因がアシャに分かるはずもなく、この疑問は棚に置いておくことになった。


「アシャさん、今日も呪術研究会に行くの? 羨ましいわ、兄様あにさまと一緒に居られるなんて」

「えぇ、全くですわ。私は同席できませんが、代わりに祈りを捧げておりますね」

「まぁ、メアリー。あなたは随分熱心なのね」


(……アンリ……か)


 学院の環境はアシャに様々な影響を与えている。

 その中でも、アンリという存在はアシャに一番の影響を与えていた。

 アンリ自身の行動がアシャにとって理解できないということもあるが、アシャの価値観をいちいち否定してくるのだ。

 これまで生きてきた12年を否定され続けている感覚は、アシャの心にさざなみを立てており、あまり良いものとはいえなかった。

 アシャは後ろを振り返り、当のアンリを見る。


 ──ぺきっ

『我が祈りで体を癒せ<回復魔法ヒール>』

 ──ぺきっ

『我が祈りで体を癒せ<回復魔法ヒール>』


 アンリが0歳の頃から行っていた指ポキは、12歳になった今では無意識に行ってしまう癖のようなものになっていた。

 他の生徒は指を鳴らしているだけだと思っているが、アンリを注意深く見ているアシャは、その作業の内容を分かっていた。


(……やはり無詠唱はあの本が必要か)


 またも考え込むアシャに対して、アンリは微笑みながら声をかける。


「さぁ、そろそろ研究しにいこうか。アシャもついてくるんでしょ?」



 ----------



 呪術研究会での実験の時間は、アシャにとって苦痛だった。

 アシャの周りが狂っているだけではあるのだが、ここではアシャがマイノリティーだ。

 自分のこれまでの価値観に疑問を頂いてしまい、自分という存在が少しふわふわしてしまうのだ。


「アルバート先生、今日は奴隷を4人連れてきました」


「くっくっく……ありがたい。では、早速実験を始めよう」


 これから目の前で命が無くなってしまうことが不安になり、アシャが奴隷に声をかける。


「……あなた達は……いいの?」


 アシャの少ない言葉でも、奴隷達には通じたらしく、笑顔で答えが返ってくる。


「えぇ、勿論! アンリ様の実験のお役に立てるのであれば、この命、なにも惜しくはないですとも! さぁ! 早く! 早く実験してください!」


「くっくっく……いい心がけだ。アンリ、4人のうち2人は自動回復魔法リジェネを解除してくれ。お前の回復魔法では魂までは癒していないと思うが、一応差分を見ておきたい」


「はい、こっち側の2人の魔法を解除しました──」


 ──くちゃ


 アシャの目の前に、血まみれの小さな肉片が落ちる。

 魔法が解除された瞬間、奴隷が自分の舌を噛み切ったのだ。

 アシャが後ずさりながらもう1人の奴隷を見ると、自分で自分の首を絞め口から泡を吹いて意識を失っていた。

 いや、良く見ると首の骨を折っており、死んでいるのかもしれない。


「おっとっと、『<回復魔法ヒール>』。あのねぇ、実験の意味分かってる? 遅くとも今日中には死ぬんだから、ちょっとぐらい我慢してよ」


 自殺を図った2人は回復すると、笑顔でアンリに答える。


「も、申し訳ありません、アンリ様! ついつい、早まってしまいまして……いや、お恥ずかしい。それで、そろそろ死んでもよろしいでしょうか?」


 アシャは気味の悪い、自分の知らない世界の光景に、顔色を悪くし吐き気を堪える。

 だが、周りを見ると、やはりアシャがマイノリティーのようだ。


「くっくっく、またか。アンリ、お前の奴隷は流石に死にたがり過ぎではないのか? おい、2年、掃除を……いや、1年、掃除をしておけ」


 最初は意気揚々と実験を手伝っていた部員達だったが、日々エスカレートしていく実験に耐えきれず辞めていった。

 今ではこの研究をしているのはアルバート、アンリ、そしてアシャの3人だけになっていた。


「…………はい」


 命令されたことを只こなすことは、アシャは慣れている。

 これまでアシャは無心で剣を振り、邪魔な人間を処分してきた。

 どんなに罪悪感がのし掛かろうが、それが上にとって必要なことと自己暗示をして乗りきってきた。


 たが、この実験で無くなる命は、なぜ無くなる必要があるのか、アシャには全く理解できなかった。

 アンリは必要なことだと言うが、実験中の2人を見ると、楽しんでいるようにしか見えないのだ。


「ふむ、マークの魂が弱っているな」

「えぇ? 先生が名前で呼ぶってことは、もう死んじゃったってことかぁ……」

「くっくっく、アンリ、なかなか我輩のことが分かってきたではないか」


 奴隷が死ぬ様子を、アルバートとアンリは興味深そうに眺めている。

 そして、他の奴隷は目をらんらんとさせ、希望に満ちた表情でそれを見つめている。


 アシャには、何が正しいのか分からなくなり、また思考の渦に溺れていくのであった。

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