52 side:カスパール

「じゃあな、キャス……幸せ……なれよ……」


 男は笑いながら、わしに声をかける。

 幸せとは何なのか、遂に教えてくれることはなかったのに。



 ■■■■■■■■■■■■■■



「最悪じゃ……」


 古い記憶の夢を見た。

 わしを置いていった者たちの最期。

 随分と前になるのに、未だ忘れることのできない記憶。


「どうしたの先生? なにか悪い夢でも見たの?」


 声に目を向ければ、アンリがいつものように実験をしていた。

 わしが魔の森でとってきた魔物を合成させ、合成獣キメラを作っている。

 どうやら、祝勝会という名目で飲みすぎ、そのままアンリの部屋で寝てしまっていたようだ。


「なに、つまらん、古い記憶じゃ……」


 そう答えるが、どうも色々と察しているような顔でこちらを見てくる。


「そういえば、先生って昔”強欲”と戦ったんだって? 今回のことで、昔を思い出しちゃったとか?」


 そら、アンリからそんな質問が飛んでくる。

 強欲を倒したあやつを、泣きながら抱きしめたわしに、何か思うところがあるのだろう。


「ふむ……まぁ、わしはすでにお主の物じゃし……話してもよいか。確かに思い出したのは昔のことじゃ。しかしな、言っとくが”強欲”との戦いではわしの仲間は死んでおらん、誰一人としてな」


 その言葉に、アンリは驚き反論する。


「え? そうなの? でも僕が聞いた話じゃ、先生は仲間が亡くなったから冒険者を引退したって……」


「あぁ、その話は真実じゃ。ただな、わしの仲間が死んだ理由は戦いではない」


 アンリの興味をひいたのか、実験の手を止めこちらを見つめてくる。


「老衰じゃ」


 その言葉を聞き、アンリもわしと同様暗い顔になる。


「わしが所属していたパーティー”闇の魂”は、わし以外は人間のパーティーじゃった。当然寿命も違う。特に事故があったわけでもなく、やつらが先に死ぬのは確定されたことじゃった。皆、世界の摂理に従い死んでいったよ……」


 だからだろうか。


 誰かを仲間と思うことはなくなった。


 だからだろうか。


 誰かを愛することもなくなった。



 どうせ、相手が先に死ぬのだから。


 死とはなんなのだろう。

 寿命が長いとはいえ、わしもいつか死ぬのだろう。

 それは、嫌だ

 死んだら、誰かの夢の中でしか生きられない

 わしはただ、自分が生きた証を残したいと、魔法の研究に没頭するようになった。


 その考えは長命のダークエルフの中ではあまりに異端すぎた。

 そのため、里では奇妙な目で見られるようになる。

 いや、別に研究には一切関係ないので、どうでもいいことだが。


「そうなんだ……悪いことを聞いたかな。でも、僕は死なないよ。絶対に、先生を置いて死ぬことは無い」


 普通であれば、ただの気休めの言葉だろう。

 それこそ、男が女を口説くような、何の根拠もない安っぽい台詞だ。


 だが、アンリの言葉には、それ相応の重みがある。


「あぁ、その言葉をわしは信じる。お主は……わしにとっての希望なのじゃから。お主は……今のわしの全てじゃ」


 言ってから、自分の言葉の意味に気付き、慌ててアンリを見ると、面を食らったようだった。


「あ、違う、そう意味ではなくてな! そ、それはなんじゃ? 今度は吟遊詩人でも始めるのか?」


 恥ずかしくなったので、話題を変えるために咄嗟に目に映った物を指さす。

 それは、下町を歩いていた際に偶然見つけた、とある店で売っていた楽器だった。

 アンリがえらく気に入り、依頼中だというのに購入したのを覚えている。


「あぁ、それはギターといってね、この世界で見つけた時は驚いたよ。僕も昔かじっていてね、学生の頃はこれが全てだったと言ってもいいかな。歌っている時だけだけどね、いつか死ぬっていう事実を忘れることができるんだ。いや、いざ一人になると余計に病気が再発しちゃうんだけどね」


 そういって、アンリはギターを奏でだす。

 その音は柔らかく綺麗で、落ち込んだ心にエールを送っているように感じられた。


「まだ手が小さいから弾きにくいな……簡単な曲ならいけるか。そうだね、今の僕の先生への気持ちを歌おうかな、なんてね。別に僕は歌うたいではないけれども、こういうバラッドを気に入ってくれたらいいんだけど」


 そして、アンリは歌いだす。

 まだ声変わりのしていない澄んだ声は、閉ざしたはずの心にすんなりと入ってくる。


『────♪』


 この世の言葉ではないのだろう。

 歌の意味は分からない。

 ただ、明確に伝わってくるものがある。


 それは、ただ「愛している」という純粋な気持ち。

 その純粋すぎる気持ちに耐えることができず、思わず俯いてしまう。

 胸の動悸を感じることができるほど、心は熱くなっていく。


「どうしたの先生? 顔が真っ赤だけど」


 歌い終えたアンリは、ギターを置きながら尋ねてくる。


「お、お主は! もうちょっと、その言語の意味を考えろ! その歌は、き、危険じゃ!」


「あはは、そういえば日本語にはある種の強制力があるんだっけ。言ってみれば催眠効果があるのかな? ごめんごめん、先生相手には気を付けるよ」


「ま、まぁよい……それと、わしのことは先生ではなく、キャスと呼んでもいいんじゃぞ……」


 笑うアンリが愛おしくなり、ついそんな提案をしてしまう。

 そして、これまで、絶対に避けてきた提案も追加でしてしまうのだ。


「そ、それに……お主がしたいというのなら……わしはいいんじゃぞ?」


 その提案に、アンリがごくりと唾を飲み込む音が聞こえてきた。


「え……いいの? せ、キャス……その……しちゃって」


「あぁ、お主の視線は気付いておった。したいのじゃろ? わしで実験を……」


 それは、正に悪魔に魂を売るかの如くの覚悟だ。

 不安で自分の声が震えているのが分かる。


 しかし、当のアンリは──


「え? 実験?」


 ──素っ頓狂な声を上げ、口を開けていた。


「ん? な、なんじゃ? わしで実験をしたいのでは無かったのか?」


「え? いや、実験ならもうしたけど、言ってなかったっけ?」


「ん?」


 噛み合わない会話をしながら、背中から冷や汗が流れるのを感じる。


「いや、そりゃ実験はするでしょ。なんたって長命種のダークエルフだよ? しないわけないじゃん。でも、結局分かることは無かったんだよね」


「ま、まて! い、いつ、いつ実験したのじゃ?」


「えぇ? 報告したと思うけど聞いてなかったのかな……確かに二日酔いだったけど……確かキャスが父上の歓迎会を受けて酔っぱらった夜かな。キャスとジャヒーと奴隷の3人で並べて解剖してみたんだ。でも、ある意味驚きだよ。3人共、体の作りには何も違いがないんだ。骨格も、臓器も、脳も、何もかもね。身体的特徴でいえば、ダークエルフは耳が少し長いってことしか、人間種と違いがないんだ。まるで、世界がダークエルフは長命ってルールを決めてるような感じだよ。それに、ん? キャス、どうしたの?」


(そ、それは出会った初日ではないか!! た、確かに狂っているとは思っておったが、ここまでとは……)


「こんの……たわけがっ! わしをキャスと呼ぶな! シュマとの約束の日じゃろう! お主らはあの娘で遊んでおけ!」


 そして、わしは急ぎ部屋が出ていく。

 先ほど高まった感情が粉々に砕けていくのを感じる。

 こればっかりは、やつでも治すことはできないだろう。


 何しろ後ろから聞こえて来る声の主は──


「なんで……? 痛くはなかったはずなのに……内臓の色を褒めたほうがよかった? はっ! も、もしかして、ちょっとだけ脳みそ食べちゃったのばれてる!? ……女心は難しいなぁ」


 ──女心の前に、倫理を学ぶ必要があるのだから。

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