19 先人の教え

「ふっ!……ふっ!……ふっ!」


 ──ぐしゃ──ぐしゃ──ぐしゃ


 アンリの実験室、そこではいつも通り“さん“が斧を振っている。

 その動きには無駄がなく、遠心力をフルに活用し対象の肉体を削り取る作業は、ある種芸術のようにも感じられる。

 そんな光景を見ながら、シュマは一人考えていた。

 そして自分では結論に至らないと思い、“さん“に声をかける。


「ねえ、あなたはなんでそんなに“いち“を愛しているの?」


 “さん“はシュマの言葉に一切反応せず、斧を振り続ける


「ねえ、“さん“。ちょっとこっちを向いて、私の話し相手になってよ」


 初めて斧を振ること以外を許された“さん“の動きが止まり、シュマへと振り返る。

 休みなく斧を振っていた“さん“は、ずっとサウナに籠っていたかのように汗と血で全身が濡れており、その体からは蒸気が昇っていた。

 初めてシュマを認識した“さん“はシュマを凝視する。

 その目は血走っていた。


「話し相手になってくれるの? あのね、なんで“さん“は“いち“を愛しているの? “いち“はあなたに何をしてくれたの?」


 話し方を思い出すように、“さん“はゆっくりと口を開く。


「お、お前は……お前も……愛されたいのか……?」


「えぇ、お父様もお母様も、私を愛してくれないもの」


 “さん“は歓喜の表情を浮かべ、ゆっくりとシュマに近づく。

 その口からは涎が垂れてきている。


「な、なら……お前を愛せと……お、俺に命令してくれ……お、お前を…………愛してやるよ……」


 シュマが口を開こうとした時──


「──そこまで」


 実験室に帰って来たアンリから声がかかる。


「まったく……人が留守の間に、可愛い妹に何を吹き込んでいるんだか……まぁ、シュマにそこまでの権限を与えていないから、直接的な害はないんだけど」


「ふっ!……ふっ!……ふっ!」


 アンリが戻ってきたことに気付くと、“さん“は驚くほど早い動きで回れ右をし、“いち“の解体作業に戻る。


「でもシュマに少しでも悪い影響をあたえた可能性もあるしなぁ。」


「ふっ!……ふっ!……ふっ!ふっ!」


「余計な事をしゃべる口はいらないよね?」


「ふぅ!ふ!ひ!ひ!ふ!ひ!ひ!」


 無尽蔵とも思えた“さん“の息が上がりだす。

 汗と一緒に、“さん“からは涙、涎、色々な液体が滲み出している。


「お兄ちゃん、私から話しかけたの、ごめんなさい」


 シュマが悲しそうな顔でアンリに言う。

 その目は赤く腫れており、涙のあとが見てとれる。


「どうしたんだい、シュマ。また母上になにか言われたの?」


「ううん、私のせいなの。あのね、私、怖くて。いつか死んじゃうって考えたらとっても怖いの。私が死んだらお兄ちゃんは悲しい?」


「勿論、僕だってジャヒーだって凄く悲しむよ」


 アンリの言葉に、後ろについてきたジャヒーも頷く。

 ちなみに、カスパールは両親と雑談中だ。


「嬉しい。凄く嬉しい。でもね、私分からないの。私が死んだらどうなるの? 私は悲しいの? 悲しめるの?」


 シュマは泣きながらアンリに問う。


「なんで神様は、私を産んだの? なんで神様は、私を殺すの?」


(あぁ、しまったな……これは……)

 アンリは辛そうな顔でシュマの話を聞き続ける。


「なんで私は生きているの? 誰のために生きているの? どうせ死ぬのなら、私が今生きているのって、意味があるの?」


(シュマもタナトフォビアだ……俺が……原因だよなぁ……)


 アンリは自分を責めた。

 まさか五歳の子供が、以前アンリが話したことを、そこまで深く考えてしまうとは思わなかった。

 アンリの思っていた以上に、シュマはずっと賢い子供だった。

 しかし、フランチェスカのシュマに対する塩対応を考えると、恐怖を防ぐ盾はくれなかったのだろう。


「なんで、なんで神様はどうせ死ぬ私を生きさせたの……? 分からないの……怖いの……。私はどうやって生きていけばいいの……?」


 シュマの苦悩はアンリには痛いほど分かる。

 気休めでもいい、今のシュマを安心させるために、アンリは言葉を紡ぐ。


「シュマ、怖いよね、分かるよ、不安だったよね」


 そして、アンリは前世で聞いたことのある、偉人の言葉を思い出す。


「そうだ、こんな言葉があるんだ。“明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。”」


 シュマはアンリの言葉に顔を上げる。


「いいかいシュマ、泣いても笑っても、時間は平等に過ぎていくんだ。だから、悲しむだけじゃなく、いつ死んでもいいように楽しんで生きようよ」


 シュマはアンリの言葉に反論する。


「でも、永遠に生きられないのでしょ? 学んでも意味がないわ。いつか神様が私たちを殺すのだもの」


「シュマ、神様なんていないんだ。シュマを殺しに来るやつなんていないよ。それにね、僕は死なないためにずっと実験をしているんだ。当然、その実験がうまくいけばシュマも死なないんだよ」


 シュマの顔に少し希望の光が灯る。


(シュマをこんな目に合わせたのは僕のせいだし……仕方ないか)


 ただシュマを安心させるためだけに、アンリは最大のカードを切る。


「その実験は絶対にうまくいくよ。なぜかって……それは……シュマ、ジャヒー、二人には聞いておいてほしいんだけど…………実は、僕は元々この世界の人間じゃないんだ……」


 アンリの一世一代の告白。

 それに対して、ジャヒーの返答は意外なものだった。


「勿論、存じております」


「ぇ……? いつから知ってたの?」


「アンリ様がお産まれになった時からです」


(え? まじで? 流石に産まれた時からずっと一緒だったら気付くのか?)


 アンリは自身の精一杯の告白が軽くあしらわれたことにより、顔が熱くなるのを感じる。


「な、ならそのことをシュマに教えてあげて! そしたらシュマも安心すると思うから! ちょっと用事を思い出したから僕は上に上がるよ。あ、それと──」


 赤くなった顔を隠すため、アンリは急ぎ退出しようとするが、最後に思い出したとばかりに”さん”に告げる。


「“明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。” この言葉は君にも送るよ。君の今回の行動はちょっと僕の癇に障ったかな。ちょっと君は後先考えていないというか………生き方が刹那的過ぎるというか……。だからね、君には罰を与えるけども、決して殺しはしないから、安心して先を見据えて今後は考えてほしい。そう、”永遠をいきる”んだよ」


 その言葉は、”さん”に死刑宣告よりも重く圧し掛かった。

 ”さん”は絶望し、慈悲を請おうとするも、すでにアンリの姿は無くなっていた。

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