09 side:ジャヒー 前

 私は絶望していた。



 その全ての原因は、ザラシュトラ家に生まれた“黒髪の悪魔“こと、アーリマン・ザラシュトラにある。


 奴が悪魔であることは間違いないのに、周りの誰も分かってくれない。

 私の声に耳を傾けてくれない。


 奴が生まれて半年が経った時、奴は不自然に指を骨折し、泣き叫んだ。

 フランチェスカ様が回復魔法を使い、事は収まったが、私は見た。

 奴は、回復魔法が発動する前から泣き止み、フランチェスカ様の魔法を凝視していた。

 まるで、魔法の原理を探ろうとしているような目。

 それは生後半年の子供の目では無く、異常を抱えた研究者のそれであった。


 そして私は見てしまった。

 私は祖母の種族特性を受け継げたのか、意識を集中すれば自身への認識をある程度阻害することができた。

 無論、そこまで特別な力ではなく、存在感が薄くなる程度ではあるが。

 あの日の悪魔の目が気になった私は、子供部屋に行ってしまった。


 そこで見たのは───


 ポキリッ


 ポキリッ


 ポキリッ


 規則正しく聞こえる、謎の音。

 いや、私はあの音を知っている。昼間に聞いたばかりなのだから。


 ポキリッ


 ポキリッ


 ポキリッ


 そこに居たのは、延々と自分の指を折り続け


『我が祈りで体を癒せ<回復魔法ヒール>』


『我が祈りで体を癒せ<回復魔法ヒール>』


『我が祈りで体を癒せ<回復魔法ヒール>』


 延々と自分の指に回復魔法を使い続ける悪魔だった。



 ゾッとした。


 ありえないことだった。


 なぜなら、十歳を待たずして魔法を使える者など、物語の中でさえ聞いたことが無く、ましてや生後半年の赤子が魔法を使うなど、悪い冗談にしても悪質すぎた。



 それから私は、見ないほうが己のためと思いつつ、どうしても気になり、たまに子供部屋を覗いていた。


 ポキリッ


 ポキリッ


 ポキリッ


 段々と感覚が早くなっているこの音は、私の心も同時に折っているように感じられた。


 同僚に悪魔のことを伝えても、理解されずに怪訝な顔を向けられるだけだった。


 そして私の心はどんどん疲弊していき、食事が喉を通らなくなり、倒れ、寝込んでしまった。




 そして、悪夢にうなされ目が覚めた時、私は決意した。

 あの悪魔はこの世にいてはいけない存在だ。

そして私しか悪魔を認知していないのであれば、私が悪魔を始末しなければならない。


 食事を乗せたカートに、通常なら使わないはずのナイフを乗せ、私は悪魔の元に辿り付く。

 どうかこれまでのことは夢であって欲しい、そう思うも──


『─────。─────────────────?』


 平然と魔界の言葉で話しかけてきた悪魔を見て、やはり現実だと受け入れる。

 そして、ナイフに触れるも、やはり悪魔といえ赤子の見た目の者を殺すというのは躊躇われた。

 ナイフを持つ手が震える。

 本当に殺していいのだろうか。何かの間違いではないのだろうか。


『─────。────────────。───! ──────! ──────!』


 しかし、悪魔の声が荒くなるにつれ、悪魔にナイフを刺さないといけない、そんな思いが強くなってくる。

 脳が揺れ、徐々に思考が鈍くなってきているように感じる。

 この場所にいる自分を上から俯瞰してみているような感覚だ。


『────! ──! ──────!』


 そして、悪魔が本性を現し大声を上げた時、何が何だが分からなくなり、私はナイフを悪魔の喉元に突き刺した。


 これで、全てが終わるはずだった。


 でも、現実はそんなに甘くはなかった。



 ナイフで刺した感触は確かにあった。でも、ナイフを喉元から抜き取り悪魔を見ると──


 ──無傷だった。


 おかしい。


 おかしい。これはおかしい。


 何かの間違いだ。おかしい。ありえない。ありえない。ありえない。


 もう後戻りはできない、私は何度も何度もナイフを悪魔に突き刺す。


 しかし、その全てが悪魔には意味がなかった。


『───。────────────……。──、─────。──────────────……』


 悪魔が私を見つめ何か話しかけてくる。


 ナイフでは殺せないと判断した私は、ナイフをポケットに入れると、とっさに目に留まった花瓶を悪魔の頭に打ち付ける。


 ───ガシャン


 この粉々に割れたのが花瓶ではなく、悪魔の頭であったのなら、どんなに喜ばしかっただろう。

 しかし、やはり悪魔は無傷だった。


 そして、花瓶の割れた音を聞きつけた人が集まり、主であるドゥルジール・ザラシュトラ様も駆けつけてくる。

 私は、自分のしたことを思い返し、震えた。

 悪魔とはいえ、貴族様の子を殺そうとしたのだ。

 問答無用で処刑か、命が助かったとしても、拷問の末に奴隷堕ちだろう。


「あ、主様! も、申し訳ありません! 許されないことをしたのは重々理解しております! 仕方が無かったのです! 何卒、何卒! 命だけはお助けを……っ!」


 私は、必死に主様に懇願する。

 ここから私の命を救えるものなどいないだろう。

それこそ、神か悪魔でもない限り。




 今回私を救ったのは、悪魔だった。


「じゃひー、じゃひー」


 その声が悪魔の声と気づき、私は吐きそうになった。


 なぜ、お前が私の名前を知っている?

 主様は私のことをと呼ぶ。

奥様は私のことをと呼ぶ。

 お前の前で私の名前を呼ぶ者などいないはずだ。


 悪魔が私を呼んでいる事実が受け入れられなくて、私は恐怖からパニックになり、口の正常な構えを忘れ、歯をガチガチと鳴らすのみだった。





 どうやって自分の部屋に戻ったのか分からない。

 しかし、もう私は限界だった。


 私は何かを考える前に、ポケットからナイフを取り出すと、自分の喉を搔き切った。



 さようなら私。もう無理です。

 さようなら、お母さん、お父さん、お祖母ちゃん。


 ごめんなさい。

 みんなより先に死んだ私を許してください。もう………無理なんです。限界なんです。


 もし二度目の人生があるなら、もう少し自分の意見をはっきり言える人になりたい。

 もし二度目の人生があるなら、心優しい男の人と恋に落ちたい。

 もし二度目の人生があるなら、───



 そして、私はベッドに倒れこんだ。









 ───ふと、痛みはあるものの、一向に意識が無くならない事に気づいた。

喉を触り、嫌な予感がし化粧鏡を見る。


 悪魔と同じく、私は無傷だった。


「ぁ……? ぁあああ………あぁぁああああぁああ……」


嘘だ、何かの間違いだ。


 何度も、何度も、私は自分の体にナイフを突き立てる。


 喉に、頬に、目に、頭に、お腹に、胸に、手に、足に、心臓に、

 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も


「あぁあぁあああぁぁあ! あぁああぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁあぁああああ!!」



 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、突き刺す。


「うぅうぅああぁあああああぁあぁあああああ!!!」


 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も突き刺す───


 ───が、遂に私は死ぬことができなかった。


 確かにある痛みが、これは現実だと私に理解させた。 


 悪魔は私に死ぬことすら許さなかった。

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