03 魔法との出会い2

 使用人のジャヒーは憔悴していた。


 元々占星術を専担として雇われたのに、育児を引き受けたのが間違いだった。

 さらに、双子とは思っておらず、気の弱いジャヒーでは賃金の格上げをザラシュトラ家へ訴えることはできなかった。

 そもそも、特に何かに優れているわけでもないと卑屈なジャヒーは、この仕事が首になった場合、すぐに他の仕事にありつける自信が無かった。


 実家に戻れば助けてくれるとは思うが、ジャヒーの少し特殊な生まれの事情で、戻りたくないという思いは強い。


 冒険者となり身銭を稼ごうにも、ジャヒーの能力は争いに向いておらず、諜報員や占い師になったほうがましだろう。


 しかし、そんな度胸も無く、人と話すことが苦手なジャヒーにとって、その選択肢は真っ先に除外されていた。


 ───結果、ジャヒーは我慢して今を受け入れるしかなく、知らず知らずのうちに小さなストレスがジャヒーにのし掛かかってしまっていた。



 また、子供の一人が黒髪というのも、ジャヒーにとっては大きなストレスの要因だった。

 ザラシュトラ家ではあまり気にしていないようだが、ジャヒーの実家では黒髪は”悪魔”として畏怖される対象であったのだ。


 双子の育児自体はというと、それはそれで大変だった。

 シュマことアエーシュマ・ザラシュトラは普通の赤子より大人しく、特別手間はかからない──勿論それでも育児は大変なのだが──が、問題は黒髪の悪魔である。

 怒髪天を突くという言葉があるが、アンリことアーリマン・ザラシュトラはそれを見事に体現していた。

 何かあれば、なくとも常に泣きわめいているアンリには本当に手を焼いていた。

 一体生まれたばかりの彼が何に怒りを抱いているのか、ジャヒーには検討もつかなかった。


(はぁ……最近は少し泣く回数は減ってきたけど……)


 それでもアンリはよく泣く。

 泣いている姿を見るのはジャヒーにとって苦痛だった。

 ジャヒーにとっては、子供が泣いているというより、悪魔に恫喝されているように感じるからだ。


(あんなに泣き叫ぶ子供は見たことがない……あれは絶対に悪魔だ……だって───)


「───あなた、聞いているの?」


 ジャヒーが虚ろな目で思考に耽っていると、フランチェスカから声がかかり、慌ててジャヒーが答える。


「す、すみません奥様……少し考え事を……」


「そんなことであの二人を任せて大丈夫なの? 給与分ぐらいは頭を働かせてちょうだい」


「も、申し訳ありません……」


 覇気のない答えにフランチェスカはイライラする。

 フランチェスカも初めての子育てに苦労していた。

 授乳はフランチェスカが行っており、なかなか飲まないアーリマンのせいで寝不足となっていた。


「アンリのことよ。あれだけ泣いているのよ。何か理由があるはずだわ。何か分からないの?」


(またか……)


 いつも繰り返される問いにうんざりしたジャヒーは、憔悴していたことも相まって、つい本音で答えてしまう。


「悪魔だから───」


 ───パシン、と音が響きわたる。

 周りにいた他の使用人達が困惑している中、フランチェスカは自分がジャヒーに手を上げてしまったことに気づく。


「ご、ごめんなさいね。私としたことが……」


 生まれてこのかた、人に手を上げたことのないフランチェスカだが、自分の子供のこととなると頭に血が上ってしまった。

 ジャヒーが手伝っているとはいえ、初めての子育てに焦っていたのもあるかもしれない。


「血が出ているわ………す、すぐに治します」


 罪悪感からだろうか。

 普段なら使用人如きの怪我では勿体なくて魔法など使わない。

 ただ、今回ばかりは短気であった自分の恥を消すかのように、フランチェスカはジャヒーの怪我を治すための魔法を行使する。


『我が祈りを力に変えて、其の肉体を癒しなさい……<回復魔法ヒール>』


 魔法による光が収まり、問題なくジャヒーの傷が癒えたことを確認し、ふぅと肩の力をぬく。


「私としたことが、口より先に手をだすなんてはしたない…。ただね、あなた、次にアンリの髪のことを悪く言うのなら首を切るわよ。切る首があなたの仕事かあなた自身かは、その時の私の機嫌次第と思いなさい」


 フランチェスカの脅しのような言葉により、その場に緊張感が流れ静まり返った時、異変が起こる。



 ───ポキリ



 何の音だろうか。

 敢えて例えるなら、まだ柔らかい新芽をなんとか折ったかのような音。

 その音は小さく、皆が特に気にも留めなかった。

 しかし───


「ぎゃあぁぁぁぁあああぁぁぁあぁああ!」


 アンリが大声で泣いたことにより、皆の視線がベビーベッドに向かう。


 そこで皆が見たものは───アンリが掲げた、曲がってはいけない方向に完全に曲がってしまっている、自身の左手の人差し指だった。


「アンリ! どきなさい!」


 フランチェスカは慌て、使用人を突き飛ばしアンリの元へ向かう。

 そして、ジャヒーの時と同じ魔法を行使する。


『我が祈りを力に変えて、其の肉体を癒しなさい……<回復魔法ヒール>!』


 アンリの人差し指が正常な形になり、アンリの鳴き声も止んだことに、フランチェスカは安堵する。


「一体なぜ……」


指が折れた原因を考えるも、自分で折ったという発想がないフランチェスカには、検討もつかなかった。


「ふぅ……。少し疲れたので横になります。何かあれば呼んで頂戴。あなた、アンリをよく見ていてあげて」


 フランチェスカがそう言い残し、自室へと帰っていくなか、ジャヒーは青ざめた顔でアンリを凝視していた。

 魔法が行使される前から泣き止み、指が折れているというのに冷静にフランチェスカの魔法を観察しているアンリに気づいたのは、この中ではジャヒーただ一人だった。

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