第2話 文芸部バズる
九王沢さんと付き合うことになった年末から、もう夏だ。僕たちはこんな調子で、あのもう半年ほど、カップルとしての生活を営んでいる。
まさに異星人レベルのお嬢様である九王沢さんを大向こうに、上手くいっているかに見えるが、この半年はちょっとした騒動だった。
と言っても、九王沢さんと僕との間には、特に何の問題もない。ひとえに対外的な問題だ。そもそも九王沢さんが僕の彼女、と言う認識が社会的に受け入れられる段階に至るまでは、かなり苦難の道のりがあったのだ。
「え、付き合っちゃったですか?て言うか何付き合っちゃってるんですか?」
と、学食のBランチの肉団子をつまみながら、眉をひそめる依田ちゃん。
あのクリスマスが終わり、ある昼下がりのことだ。
依田ちゃんが仲人さんなので、一応デートの首尾についてご報告をしたら、予想外も予想外、驚くほどのしっぺ返しである。
なんとは言え、まさか、僕と九王沢さんを結び付けたクリスマスデートをセッティングした依田ちゃん本人から、遠慮会釈なしのバッシングを受けるとは思わなかった。
「いや、それ話おかしくないか?お前が付き合えって言ったんだろ…?」
「それは、クリスマスの一夜だけの話ですよ。九王沢さんにどうしても、って言われたから。え、て言うか正気ですか!?先輩、九王沢さんと本気で付き合えると思ってます?」
「思ってなかったよ。でも向こうがその気なら、しょうがないだろ」
「しょうがないってあーた」
依田ちゃんが何か言いかけた瞬間だ。
「おいっ、九王沢さんだっ!」
学食でどやどやしている中でもひと際注目を集める声。
誰かがゴジラが上陸したみたいな声で、九王沢さん注意報を発令したのだ。その中を悠然と、雲の上を歩くみたいな足取りで歩いてくる九王沢さん。伝説級のHカップの巨乳を揺らして、今日も輝くばかりの美貌だ。
「那智さん、今日もいいお天気ですね!あ、依田さんこんにちは」
「こ、こんにちは…」
おずおずと頭を下げる僕たち。九王沢さんが天使の笑顔で僕たちに挨拶をくれると言うその事実自体が、未だに何か現実離れした光景に見えてならない。そんな僕たちをよそに九王沢さんはバッグからいそいそとスケジュール帳を取り出して話しかけてくる。
「ちなみに午後のご予定ですが、那智さんは授業には出られるんですか?」
「いや、午後は臨時休講だからこのまま帰るけど」
「明日からバイトは確か、お休みでしたよね?」
「うん、だから連休一緒にどこかに行こうかって話してたんだよね?」
「では今からイングランドに行きませんか?」
イッ、イングランド!?
「一応聞くけど、そう言う名前のお店じゃないよね?」
恐る恐る聞くと、九王沢さんはにこやかに首を振った。
「UK、グレートブリテン及び北アイルランド諸国連合のことです。ロンドンまでの飛行時間はほぼ十二時間程度ですから、今から行けば週明け、授業が始まる前には戻って来れると思います。ランズエンド岬に行きたいって、那智さん話してたじゃないですか。宿泊も、ご心配なく。伯母が近くで、農場を経営しているんです」
「うっ、嬉しいけど、今から海外って」
ともかく、周りの視線が痛い。こいつ、一体何様なのだと言う。特に刺すような視線で僕を睨みつけているのは、誰あろう依田ちゃんだ。
「ほっほお。九王沢さんのつてで、ファーストクラスで、ロンドンまで!はっ、ただ乗りですか。宿泊費まで!あー、すでにセレブ気取りと言うわけですか?」
「待てってそれ、僕からお願いしたことじゃないだろ?」
その辺の大学生だって、普通にバイトしてヨーロッパくらい行くじゃないか?
「上手くいって良かったね、九王沢さん。貧乏な先輩にたかられたり、悪いことされたりしたらすぐに相談するんだよ?」
「大丈夫ですよ。那智さんはわたしが想ってたよりもっと、ずっと素晴らしい方でした。依田さんのお蔭です。本当にありがとうございます!」
と言う九王沢さんとは、仲睦まじい依田ちゃん。
何が不満だってんだ。僕はちゃんと、彼女に与えられた任務をこなしたし、現時点で、九王沢さんをがっかりさせたりはしてないじゃないか。
「まあ、別にいいですよ、わたしは九王沢さんが幸せならね。て言うか、先輩が自分は世に隠れ無き九王沢さんの彼氏だと、あえて公言したいと言うわけですよね。でもそれ、世の男子が、そう簡単に認めると思いますか?わたしはむしろ、先輩のためを思って言ってるんですからね?」
うう、それくらいは分かっている。あの九王沢さんの彼氏が、将来性の乏しい、飲んだくれ貧乏大学生。自分で言うのも何だが、ただのスキャンダルだ。一国の王女様が日雇い労働者と付き合うに等しい。
そんな僕と依田ちゃんの心配をよそに九王沢さんはほぼ当たり前に僕の隣の席に座り、いそいそと僕の腕に寄り添ってくるが。ああ、今日もなんていい匂いなんだ。いや、そう言う問題じゃない。
九王沢さんの魅惑のHカップが僕の腕に押し付けられるたびに、周りからは銃撃に等しい敵意の視線が浴びせかけられているのだ。
「いい小説を書けば、九王沢さんと付き合える!」
文芸部の部室に行くと、もっと大変だった。どう見ても狂信的としか思えない偏った思想が、ほぼ一般常識として蔓延していたのである。
「那智程度の小説で、九王沢さんが彼女に出来ると言うのは絶対おかしい。この文芸部にはもっと、優れた小説書きがいる。それを踏まえた上で、九王沢さんには公正な評価を頂きたい」
と、言うわけでいつもはすっかすかの前期の会報誌の原稿に応募が殺到し、現時点での掲載予定のページ数は規定をはるかに超えた。大手出版社の新人賞並みだ。
「ちなみにこれ、みんな載せて製本すると、一冊とんでもない製作費になりますよ?」
依田ちゃんの危惧はこれだったのだ。
お蔭で編集会議は大荒れである。いつもはファミレスで好き勝手な提案しながら、だらだらやっていたのが、掲載を要求するプリントアウトの山の消化作業で、いい加減、うんざりした。
とりあえず一人一作にすることを条件にしたので、それでも掲載原稿は減ったのだが、最低でも春と夏に分割して掲載しないと消化しきれなくなってしまったのだ。
「これ何とかしないと、いつまでも続きますよ?」
まさに、お前のせいだと言うように紙爆弾を投げ寄越してくる依田ちゃん。これなんか百枚の私小説だと言うが、裏に写真入りの履歴書がついていた。こうなると、文芸だか婚活だか分かりゃしない。
「いいよ、じゃあ、僕さ、しばらく書かないから。その分ページ数浮くだろ」
「馬鹿ですか!?つーか責任逃れですか!?」
二つの異なる罵倒を依田ちゃんはほぼ同時のタイミングで投げつけてくる。僕の前ではいつも、抜群にキレッキレだ。
「先輩が責任取らなくてどうするんですか!何とかして下さいよ。根本的な原因解決が出来るはずです」
「なんだよ根本的な原因解決って…?」
「いいですか。そもそも皆は、九王沢さんに振り向いてもらいたいばかりに先輩よりいい小説を書こうと躍起になってるんですよ。だったら話は単純じゃないですか」
それはつまり、九王沢さんを振り向かせようと、躍起になっている連中を納得させるだけの。
もっといい小説を書けばいい。
なるほど道理だ。うん、間違ってないよ。
「で、それ誰が書くんだって?」
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