第3話

 図書館はよい場所だ。ほとんどの資料やその日の新聞が在るし、最近では漫画コーナーも充実してきており昔よりも人の出入りが激しくなった。それに、なんといっても勉強がしやすいのが重要だ。一応、机の上には『長時間の勉強はお控えください』の文字があるが、それもほとんど守られていない。勉強の邪魔はご法度、触らぬ学生に口出しなし。

 

 図書館の二階、つまり市役所の三階となる場所へ足をのせる。階段の周辺には幅一メートルほどの机が規則正しく並べられている。受付前には一回り大きな机が配置されていて、杖やハットを持った老人方が暇をつぶしに座っていた。新聞や雑誌が彼らの目の前に置かれている。


 翔は階段のすぐ横で、かつ窓の傍にある席へと腰を下ろした。一呼吸おいて鞄の中から「世界史B」の教科書を取り出す。ほとんどの生徒が「政治経済」をしているのにも関わらず、世界史を勉強するのは自分でも不思議に思った。もしかすると、何も持っていないと思い込む翔も、周囲とは違う科目を専攻することで珍しさとアイデンティティを得たかったのかもしれない。この時の翔は、歴史が好きだからという安易な理由で勉強していたが…。


 

 一時間ほど集中した後、喉が渇いていることに気付いた。鞄の中の水筒を探してみたが、その姿が見当たらない。

 そういえば、かあさんに水筒の必要はないと言ったんだっけ。もったいないことしたな。

 仕方なく座席を立上り、図書館前の自販機までスタスタと歩く。


 渡り廊下の隅っこで稼働している自販機。そこである少女が固まっている。栗色のボブヘアに眼鏡をかけている。割と高身長のようで、翔と同じかそれより小さいが、160はあるように見受けられる。漫画のような特徴がないのにも関わらず、オーラというのだろうか、翔はその娘から目が離せなかった。

 なぜだかわからなかったが、兎にも角にも自販機の商品を決めることがここに来た目的だ。財布の残高を確認する。100円玉が4つと5円玉が3つしかないが、なに炭酸飲料は買える。時刻も2時だし、勉強の息抜きとしてはご褒美だ。

 

 しかし、まてども少女は動かない。何かあったのか、翔は気になって彼女の背後から見てみる。落ち着いた様子で自販機をみているが、手には小さなポーチを手にしている。財布ではなく、女子用のポーチをギュッと握りしめている。

 なるほど。大方、財布だと思って手にしたのが違うものだったということだろう。少しかわいそうではあるが、こちらだってほしいものがある。慈善活動はできない。

 

 視線に気づいたのか、ボブ娘はそっと一言、申し訳なさそうに発した。

「あ、ごめんなさい。先、どうぞ。」

 濁りのない声で彼の耳に届けられるそれは、芯のある声と目を合わせない臆病な様子のギャップを与えた。

 

 そそくさと逃げる彼女を見て、翔は口から思わず、

「ちょっと、待って。」

少女は怪訝ながら振り返る。「なんでしょうか。」

「何か欲しいなら、俺が立て替えるけど。」

 彼女は警戒心をあらわにする。当然だ。見ず知らずの男にカンパされるのは怖いだろうし、見返りを求めているようで不信だ。

「結構です。あなたにお金を借りても、いつ返せばいいのかわかりませんし。」

「じゃあ、奢りでええよ。そっちの方が楽やし、返してほしいわけじゃぁないから。」

ますます警戒心が表に出ている。普通は遠慮されたら食い下がるものだ。だが翔は、ここで引いたら後悔する、という謎の使命感を感じていた。初対面ではあるが、彼を突き動かしたのは漫画の登場人物の『運命』と呼ばれるバカげたものだった。


 根負け、諦め、警戒、さまざまな感情が見て取れる少女は一言。

「では、一番安いものを。」

 翔は了承し、天然水とお茶のペットボトルのボタンをすかさず押す。マイマネーが消し飛ぶが、なんのその。偽善だが、別に良いだろう。


 ガコン、とボトルが二つ落下する。計270円。結構な痛手だな。

 少女に歩み寄り水を差しだす。一瞬たじろいだが、彼女はそのペットボトルを受け取る。そのまま睨むような目つきで翔を敵視する。「まだ何かあるんですか?」

「いや、別に。俺も図書館で勉強するし、戻るだけやねんけど。」

 そうですか、と彼女はつぶやいて少女は回れ右をする。そのままの足取りで近くのエレベーターに乗り込む。

 

 終ぞありがとうを言わない子だったな、と翔は思った。これが運命だというなら、俺は次からは信用しないとも思う。

 翔はそのまま図書館に戻り、2時間ほど勉強した後市役所を後にした。陽が傾き、宵闇が空を染め始めていた。

 



 

 

 

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