ノア
お腹も満たされた昼下がり。バイコーンというかシュバルについて何か得られるものがあればと思い立って図書館にやってきた。西の塔の最上階にある。螺旋階段を上るだけで一苦労だ。試験の後だからなのか今日はがらがらだった。
図書館は二層式に別れたロフトのような作りになっていて四方の壁に本棚が並べられ本がびっしり詰まっている。主に魔導書が集められているが魔法とは関係ない内容の書物も当然収蔵されている。
その中から魔獣や魔界関連の本棚を上から下までじろじろみて、中身を流し読み使えそうなものを何冊か取り出す。
漆が塗られて仄かに艶めいている焦げ茶色の長テーブルに本をどんと重ねて置き、椅子を引いて腰かけて一番上にしてあったものを手に取る。そのままページを捲り進め、目を通し終わった本の方が高く積み上げられるようになった頃、テーブルの直ぐ向こうに誰かの気配を感じた。
「エリー」
高すぎず低すぎず、落ち着いたバリトン。少年と青年の中間のような印象を抱かせる柔らかい声に顔を上げる。
と、眼が合った。脳髄が痺れて魔法にでもかかったかのように思考の全てを忘れそのまま見惚れる。その筆舌に尽くしがたい容姿の素晴らしさを敢えて一言で表すなら眉目秀麗と言い表すほかないだろう。腰に刺されている剣も相まって制服を着ているくせに騎士のように様になる。
その人の唇がゆっくりと動き、再び、エリーと呼ばれて我に返った。
「ノアくん!」
彼の名前はノア。私にとって友達と呼べる間柄の生徒で、エレノアとノアって名前が似ているなどという些細な理由から仲良くなったのだ。いやはや今日も本当に格好いい。
「久しぶり。新学期早々熱心に勉強とは……悩みでもあるのか?」
「まあそれなりに」
エリーは重ねられた本にちらりと目を寄せる。
「……他の奴らに聞いたんだが、契約の儀でバイコーンを召喚したらしいな」
彼はクスクスと不敵に笑っている。
「君が処女じゃないというのには僕も驚いた」
「ちょっと待って。エリーは清廉なる乙女だよ。なんであの子が出て来たのか分かってないんだから」
「一体何を願ったんだ。ビッチな君のことだし乱交騒ぎとかか?」
「だから違うもん!本当なんだから!!」
思わず声を張り上げて、慌てて口を覆う。今図書館に誰もいなくてよかった。
それを見たノアくんはまたクスりと笑う。意地悪だ。彼にとっては私が本当に処女かそうでないかなんてどうでもいいのだろう。彼はその人間離れした美しさに反した性格をしている。結局この友人は何をしに来たのだろう。
「その必死の主張が本当ならバイコーンが出てくるはずないと思うんだが」
「そう、そうなの!だからそれを今調べてたの」
召喚される魔獣には幾つか決まりがある。一つ目、召喚する魔獣が自分と同じ属性であること。二つ目、召喚主の願いを叶えるのに最も相応しい魔獣であること。三つ目、召喚主が対象の魔獣の召喚条件を満たしていること。不純を司るバイコーンはその名の通り角が二本ある。これは不貞、二股を表していると言われる。そしてその召喚条件は対象者が純潔でない………つまり男女のアレソレを経験したことがなければならないのだ。
エリーは可愛くて純粋無垢な乙女だからバイコーンが召喚されるわけはないのだ。おまけに変異体だし。
ノアも本のタイトルをみて一先ず納得してくれたらしい。
「なるほど。……で、一体何を願ったんだ?君の男性経験の有無はさておき願いに呼応してバイコーンが召喚されたんだろう」
結局にそこに戻るのか。
しかし、しかしだ。
それを口にするのはちょっと、いやかなり恥ずかしかったりする。
「それは男の子には言いづらいっていうか」
『それは私も気になっていた。お前は数あるバイコーンの中から特別仕様を召喚したわけだからな』
シュバルの声だ。頭の内側から畳みかける様に話しかけてくる。挟み撃ちにされた。
ううぅ。
そして。結局私は根負けした。誰にも言わないように念を押す。
「すっ、素敵な男性にめちゃくちゃに愛してもらえますようにって願ったの」
「……そうか。よく分かった」
返答までに間があった。何がよく分かったのだろうか、気になったがここで聞き返すのは躊躇われた。
『なんでそれで私が召喚されるんだ』
「それはこっちが聞きたいわ」
赤くなりながら答える。確かにちょっとばかり不純な願いだったかもしれないけれど、バイコーンが召喚されるのは違う気がするのだ。第一私は、サキュバスを想定していた。そして女の子同士紅茶と甘いお菓子を楽しみながら仲良くなれればいいなとまで考えていた。それでも私が『サキュバスに助けてほしい』ではなく、この願いにしたのは本当に叶えてほしかったから。
「ところでエリー」
ノアは急に真面目な顔になって、宵闇色の瞳でじっと見つめられる。気おされて返事が上ずってしまう。
「君の悩み、本当にそれだけか」
声が少しだけ低い。別に嘘を付くつもりは無かったけれど、それどころか誤魔化しすらさせないというような口調だ。
「どうして分かるの?」
「わかるさ。君とはそれなりの付き合いだからな」
即答だった。整った顔で言われると他意はないと分かっていてもドキドキしてしまう。言葉を失っているとノアはふっと表情を和らげる
「それに、さっき君の召喚獣が光の魔法を使ってるのを見たんだ」
エリーのときめきを返せ。
ともかく見られていたなら隠す意味もないので正直に事情を話した。黙って聞いていたノアが早速いぶかしげな声を出す。
「変異体かぁ。大変だな」
「もしかしてノアくん信じてない?」
「いや信じる。信じない理由がないだろう。教師には相談したのか?」
「ううん、まずは自分で考えてみたいの。それが契約主としてエリーがすべきことだって思うから。それでも手に負えなくなったら先生に相談する」
これ以上問題を起こしたくないという利己的な理由も無くはなかったが敢えて言わないでおく。
「良い子だ。なら僕から助言を二つ」
ノアはそこでいった言葉を切る。
「一つ目。君が読んでいるのは闇属性の魔獣図鑑が拘らずに光属性のものも調べてみるといい。両方の知識を合わせて見えてくるものってあると思うからな。」
「それは確かにそうかも!」
「二つ目。そのバイコーンが光の魔法を使うなら、君も今疑似的に光属性の魔法が使えるんじゃないか」
斬新で論理的な意見に衝撃を受けた。召喚獣と契約すると召喚主の魔法能力は飛躍的に上昇する。召喚獣が必要に応じて力を分け与えてくれるからだ。通常なら自分の属性の魔力が増えるためより長い時間、より強い魔法が使えるようになる。
シュバルに声をかけて鞄から杖を取り出す。はやる気持ちを抑え深呼吸する。
「光よ」
唱えると、丁度の開かれた本の少し上に小さな白い光が出現する。ごく簡単な魔法だけど闇属性の私には奇跡の様で魔法を覚えたての子供の様にはいしゃいでしまう。満面の笑みのエリーにノアが微笑みかける。
「おめでとう」
ノアはエリーにそう告げると立ち上がり、また何かあったら相談してほしいという旨を伝えると去っていく。
腕を大きく振って見送るともう一度光の魔法を唱える。また小さな光が出る。その当たり前の現象に楽しさで胸がいっぱいになった。感情のままに小さな光を出しまくっているといい加減しろとシュバルの呆れた溜息が聞こえてきて手を止めた。
開きっぱなしだった本を閉じると本棚に戻すために腰を上げる。今は読書なんて手に付かない。鼻歌を歌いながら図書館を足音が響かないようにスキップする。
「うんうん。これで一歩また偉大なる魔女に近づいたわ」
『なんだそれは』
「エリーの将来の夢」
『どう偉大なのか理解に苦しむのだがどうやってなるんだ?』
「うーんと……とにかく頑張って勉強する?」
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