1-2

 手が何かに潰されて目が覚めた、その"なにか"は手よりは大きいが撫でると柔らかくフニッとしていて握れば指がムニュっと沈む。


「んぅーなんだこれは?」


「おっはよーございまーす!! 朝でっすよ~! 起っきてー!」


 横にやかましい情緒不安定な、最近一気に背を伸ばし、このペースならすぐに追い抜かされそうな身長差の妹、郁音あやねがベッドに忍び込んでいた。


「はぁ、朝から元気な郁音のお尻触っているかと思ったんだけど、違ったか。寂しいな」


 お尻の正体は飼い黒猫の那智なちのお尻だった。手元に居た那智はスルッと手から嫌そうに抜け出して部屋を出ていってしまった。

 ため息をついていると郁音が悲しそうな、寂しそうな顔をする。


「妹のお尻触りたくなるほどお兄ちゃん、学校で女の子と話してないんだ。なんか、可愛そうだから私だったらいいよ、話し相手にならなるよ」


 言い終わる前にすかさずチョップを頭にいれる。あの顔は哀れみだったか......。


「あのな、うちの部長は女子だぞ、まぁそれか一年の奴しかいないけど......黒部が......黒部?」


 そういえば、なにか大事なことを忘れている気がするが、思い出せない。そもそも忘れていることがなにか分かったらこの世から忘れ物はなくなるが。


「まあ、時間がたてば思い出すだろうな」


「なんのことですか?」


 そう言いながらお腹にまたがって座った。


「んー? なんでもないよ」


 上に乗られるといくら中学二年とは言っても背が高めだから重い。


「そろそろ起きたいんだ、どいてくれ、重いし。例えばだけど少し痩せたらどうかな?」


「っ!! お兄ちゃん!」


 郁音が顔を赤くしながら頬を膨らませて、目には涙をうかべて睨んできたが何かしただろうか? まったく検討もつかない。何にもなかったらそれはそれで怖いが。


「こないだ相談したのもう忘れちゃったの? ひどい! 真剣に聞いてたのに!」


「んぇっ? えぇ~と」


 あぁ~思い出した、確かに先週ぐらいだったか、最近重くなったからどうすればいいか相談を受けたな。だいぶ真剣だったからそれなりに真面目な事を答えた気がするが、何を言ったかまでは覚えていない。

 そんな真剣に聞かれるようなことを言ったとも思えないが。


「とっとりあえず、すまない......忘れてはなかった、忘れてはなかったが寝ぼけていた。悪いことを言った、許してほしいこのとおりだ」


 顔の前で手のしわをあわせる。


「アドバイス通りランニングだってし始めたのに! 絶対忘れてたもん! もういいもん!」


 泣き出したまま部屋を飛び出していってしまった。みぞおちを見事に踏んでから。


「痛ってぇ、残る痛さだよ、絶対わざとだろ悪意があるだろぉ。いやぁほんとどうしたもんか、あれは絶対に一週間は機嫌直らないだろうな。ケーキで釣らないといけないか、割に合わないな」


 そう言いながら上体を起こしたが、なんか面倒くさくなって二度寝をするべく、また横になる。

 枕元においているカエルが二匹乗っているかわいい目覚し時計が目に入った。郁音と話していたおかげで再度の睡眠はできない時間を針がさしていた。

 布団にもぐっていたいのを我慢し、さっさとブレザーの制服に着替えて顔を洗う。今朝のメニューは目玉焼きにごはん、納豆、その他色々だ。特に目玉焼きは俺の好きな半熟で朝の気分はいくらか良くなった。しかし、正面の席に座っている郁音が泣き腫れた目で睨んでくる。ついつい目玉焼きでにやけていたらしい「笑ってんじゃないよ」と声を出さないで伝えられるのは以心伝心っていう奴だろう。


 朝のニュースを見ながら朝食を食べる、占いでは最下位だとリスが教えてくれた。

 目のはしで郁音がしょうゆを手に取ったのがはいった。郁音って目玉焼きには塩派だった気がするが、


「お兄ちゃん、目玉焼きに醤油、かけてあげるよ。ねっ」


 一瞬だった、反応しきるうちにダバダバかけはじめた。最後の「ねっ」で抵抗する気力すら失せてしまったが。とても怖い。


「おいっ!やめっろ、やめっ、やめてください! 俺はソース派なんです! 醤油はもうたくさんかかっているからそこでご勘弁を!」


 濃い茶色の海に沈んだ目玉焼きを一瞬見たが、両親は特に気にしておらず、諦めて、俺は心では泣きながら、顔は目に涙が浮かんでいたかもしれないが、自分の中では真顔で、少しずつすくいながら食べた。


「うぅ、しょっぺえなぁ......うぅっう、グスッ」


 こんな仕打ちにあうなんて、ついてないなんてものじゃない......急いで逃げよう、そうしないと家を出るまでの間だけでも俺の体が持たないだろう。

 物音をたてないように、抜き足、差し足、忍び足で急いで家を出た。

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