第6話 喧嘩

「なに?痛いって!」


 感情の赴くまま手を引いて咲をトイレに引っ張って来てしまっていた。もういい加減にしてと、咲は苛立って私の掴んでいた手を乱暴に振りほどいた。思いのほか強く握ってしまっていたことに気まずさも感じながら、謝りもせずに溜息を吐いた。


「何ってさ、わかんないの?」


 手首を気にしている咲を知らないふりして私の口からは咲を責める言葉が出てしまっていた。なんでこんなに自分が苛立っているのか正直わからなかった。こんな感情むき出しに咲に当たってしまっている事も。


「何が?」

「咲にとってさ私って何なわけ?」

「何って恋人でしょ?」

「よく言う」


「呆れた」と皮肉っぽく言えば咲は私を睨んで「は?意味わかんないんだけど」と面倒臭そうに私から視線を逸らす。そんなどうでもいい事みたいな反応をする咲に更に腹が立っていた。そこまで腹が立つ理由もわからないまま売り言葉に買い言葉である。今の感情のまま咲に放った言葉の数々。私は自分を抑えられなかった。



「彼氏は今はまだいいかな?ってなに?」

「は?そこ?だって彼女はいるよなんて言える?」

「それは解ってるけど、そんな期待持たせる言い方しなくても良くない?」

「あーもめんどくさ」

「は?」


 ついに呆れたと言葉に出してしまった咲。私も更にヒートアップしてしまっていて引っ込みがつかなくなってしまっていた。


「楓はさどうしたいの?私と付き合って恋人になれたしよかったんじゃないの?」

「なにそれ。上から目線でムカつくんだけど。」

「は?どっちが上から目線よ。そんな事言われたってわかんないし。何?男と話すなって言いたいの?」

「そんな事言ってない」

「私だって楓の事ちゃんと恋人だと思ってるよ。ちゃんと考えてるつもりだよ?でも楓がそうやって私の事信じてないじゃん。わかんないよ」


 どうして欲しいのかと問われても結局私は咲にどうして欲しかったのかがわからなかった。「楓と付き合ってる」なんて言って欲しかったのか?いや、そんな事望んでない。「彼氏じゃないけど恋人がいる」そう言って欲しかった?苛立ちと腹立たしさでそんな冷静に物事を考えられるほどの余裕がなかった。


「信じてないわけじゃない」

「いや、楓は信じてないよ。ちょっと頭冷やしたら?」


 手洗い場に手をついていた私の鏡ごしに咲がトイレから出て行ったのがわかった。


「ああ最悪・・・」


 あんな事言うつもりじゃなかったのに、売り言葉に買い言葉なところもあったのは否定できない。でも、これは全部私が悪かったのだという事は解っていた。「私には余裕がない。」それだった。咲は私を恋人と思ってちゃんと接してくれていたと思う。だけど、私にはいつも不安が付きまとっていた。普通に男性と付き合っていた咲がいなくなる日がいつか来るのではないかという漠然とした不安。咲と付き合っても私の心の中でずっと付きまとうもの。親友を失いたくないから仕方なく付き合ってくれているのでは?という根拠のない疑い。絶対信じたくない事だが、やはり頭にちらつくのは仕方のない事なんだろうか。友達のままの方が咲にとっては幸せだったんじゃないかとかそんな事ばっかり一人になると考えてしまう。


「ほんと馬鹿だ私・・・」


 しっかり化粧をして来た顔を洗う事もできないのが笑える。ただ水道から流れる水を眺めて頭を冷やせという咲の言葉とあの時の咲の顔を頭の中でリピートしていた。


 ずっとこうしているわけにはいかないと思ったのは1時間も過ぎた頃だった。予定してあったくじ引きが始まる頃。結局最終の準備も手伝わないまま眺めるだけになってしまっていた。


「25番の人!おめでとう!これ、百均のハロウィン仮装衣装です!こちらは解散まで着て貰いますのでよろしくー」

「げ、俺かよ!」


 25番を引き当てたのはいつも弄られキャラだった男子だった為か会場が笑い声で沸くのがわかる。あれ、咲が選んだやつだなとぼーっと眺めていた。100均で衣装を決める時に「これいいんじゃ?楓つけてみてよ」とか言われたけど、そんな魔女のとんがり帽子とかならわかるが、何で眼鏡に鼻ついてるやつつけないといけないんだ!と断固として拒否したんだけど。恭ちゃんの横で司会のサポートしながら笑ってる咲を眺めて、またさっきの喧嘩の事が頭を占めだした。


「楓?どしたー?飲んでないじゃん」


 さっきまで一緒に飲んでいた同級生に気付かれてしまった。この場にふさわしくない顔をしていたんだろう。気を使われてしまって、我に返った。


「んーん。なんも!吞もう吞もう!」

「うぇーい!」


 そうでなくちゃとビールを並々にグラスに注がれて、私もそのグラスをすぐに空けるとまた注がれた。この場においてはこの同級生にだいぶ救われていた。もしかしてお酒の力なのかな?解らないけど、さっきの落ち込んでいた気分が少し楽になっていくようで、私は次々とグラスを空けていったのだった。




「ちょっと大丈夫?」

「うん大丈夫。」


 咲に心配されている場面が思い出された。気分は最悪。二日酔いである。かろうじて記憶はあるけれど、ところどころ抜けてるところもあった。

 ホテルのベッドから転げ落ちるようにしてトイレに走った。えずきながら昨日飲み過ぎた事を後悔する。いつぶりだろこんな事になるまで吞んだのは。大学以来だろうか。ペースを完全に見失っていたのは多分心が荒れていたからだ。

 結局咲にも会場で迷惑かけちゃったし、その後、咲に甘えてしまったのも覚えている。帰りたくないと行為を要求していて、今日は止めといたら?って言う咲のいう事も聞かずにホテルに連れ込んでた。最悪だ・・・咲の心配より咲の身体を求めていた事に自分がやってしまった事に後悔が押し寄せた。

 私何やってんだろうと心までどん底だ。まだベッドで眠っている咲に気付かれて今の姿を見られたら最悪。起きませんようにと祈りながらも気分の悪さは変わりそうになかった。どんな顔して咲と話せばいいんだろうと思うけど、着々と咲の目覚めの時間は近づいてるに違いなかった。そうこうしている間に物音がして咲が起きたことがわかった。


「楓?何してんの?」

「あの、ごめん咲昨日は私が全部悪かった」


 今私が何をしてるのかと言うと、土下座である。胃の中の物を全部吐き出した後、気持ち悪さは残っていて具合はすごく悪いけど、決めたのは謝ることだった。トイレの前で正座して待機してたわけじゃないんだけど、また気持ち悪さが押し寄せてきそうだったからここにいたという情けない結果だったりする。


「ちょっとやめてよ土下座なんて」

「だってこれしか思い浮かばなくて」


 そう言いながら、涙があふれて来るしもうぐちゃぐちゃだ。


「だからって土下座されるほどの事?私初めて土下座なんかされたよ?」


「ほら立って」と促されてまじまじと咲に顔を見られて、泣いてしまってる事を恥ずかしいと思うけど、止められなくてさらに号泣してしまった。


「顔色悪過ぎ!大丈夫なの?」

「うん。全部吐いたからさっきよりはだいぶいい」


 鼻づまりしながら答えた私に「もう!」と言いながら、咲が二日酔いに効くドリンクを渡してくれた。いつの間にそんなの用意してたんだろうと驚いた私を見て、咲が笑って「楓が寝てから買いに行ったの。」と教えてくれた。私の為に買ってきてくれていた。しかも、行為の後、私が寝ている時、さんざん吞んで二日酔いになるだろうと思って買ってきてくれたんだと思うと、すごく嬉しいし自分が情けなくてたまらなくて。貰った瓶を胸の前でぎゅっと大事に両手で包む。咲の優しさが詰まったこのドリンク飲むのが勿体無いと思ってしまってる。そんな事言ったら咲が「馬鹿じゃないの?」とか言いそうだから言わないし、飲まないなんて選択肢はないんだけど、少しだけ今の余韻に浸りたくもあって。具合はあんまり良く無くて気分は悪い。確実に体はこのドリンクを要求してるんだけど「飲まないの?」って言われるまではとっておこうと思っている。





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