第26話

「アハオラム様直々の頼みとあらば、出来得る限り」


 エリックの真剣な声に、蛇神様は苦笑を漏らした様だ。


「わしはその名で呼ばれるような存在ではない。そなたに呼ばれると申し訳ない位じゃ。わしはその名にふさわしくはないのじゃ」


 しょんぼりという蛇神様。


「気になさりすぎです。誰も責めてはいません。皆、戻って来て欲しいと願っております」


 エリックはいつもの楽し気な様子が鳴りを潜め、真摯に言葉を告げている。


「その議論は今すべきではないな。ただ、だというのにわしからの頼みを訊いてもらおうというのは、些かどころではなく傲慢ではあると思っている。すまぬの」


 申し訳なさそうな蛇神様に、エリックは優しく微笑む。


「この世界の神々に仕えるのがアルターリアーの神官です。ご存分に」


 蛇神様は微かに、悲しそうに、だが、とても嬉しそうに笑った、気がする。


「ありがとう、エリック。そなたら神官の事はとても好いているのだがな……では、頼み事じゃが、改宗は九人じゃが、魔力の無い八人を信徒にする儀式の中で、最高神にその八人へ魔力を与える様に、頼めぬか?」


 蛇神様の言葉に、エリックは困惑顔。


「それは、まあ、現状だと可能だとは思います。ただ、回復させた時に全て無くなると思うのですが……」


 蛇神様は苦笑する。


「じゃろうな。そこでわしが何とかする。わしならば可能なのは分かろう。それにルナにも頼んでもらう故、エリックの負担も軽かろう」


 エリックは眉根を寄せた。


「それは……可能なのは分かります。ですが、御負担も相当では……? むしろ私とルナとで、その点も最高神に頼む方が安全かと……」


 蛇神様は断固とした声で言い募る。


「それはダメじゃ。これ以上の迷惑はかけられぬ。魔力の付与でさえ多大に迷惑だというのに、わしの負担は良い。だがあの方にこれ以上の負担は容認できぬ。エリック、これで良いのじゃ」


 蛇神様の本当の名前も、力も、姿も、私達は何も知らない。

 教えるのを蛇神様が拒否しているからだ。

 自分はただの蛇の神。それ以上ではない。

 そう言って語らないのだが、エリックはどうやら昔から正体を知っている様だったし、何か色々あるのだろうことは察せられる。



 だからこそ、私達は踏み込まない。



 蛇神様が私達に語らない事を、無理して聞こうとは思わないからだ。

 これは蛇神様を思っての事で、疎外している訳でも、嫌っているわけでもない。

 誰にだって踏み込まれたくなかったり見られたくないものはあって、それを土足で踏み荒らす方が余程酷い事だと、個人的には思っている。


「……分かりました。出過ぎた事を申しまして汗顔の至りです。今日中に出来るように直ぐに手配いたします」


 エリックは何かを飲み込むような耐える様な表情をしてから、真剣なものに変えた。


「大丈夫ですか? お忙しいのでは……」


 氷川先輩の言葉に、エリックは表情を和らげた。


「神に頼みごとをされたのだ。直ぐに行動しなくてどうする。それにあの方の願いとあらば、色々融通が利くしな。全く問題ないよ」


 蛇神様も申し訳なさそうに身を縮めている。


「ありがとう、エリック。わしなどの願いを聞いてくれて。心から感謝を」


 くすぐったそうに笑ったエリックは、身を翻す。


「では、私は準備がありますので。あ、魔力の付与と改宗する人達はこの店に集めておいて。そんなに用意に時間もかからない様にするから、急いでね」


 氷川先輩と私は、深く一礼。


「「ありがとうございます」」


 エリックは楽し気に笑い、手を振りながら、部屋を出ようとする。


「あ、エリック。食事、どうするの?」


 私が慌てて場違いだとは思いつつ訊いてしまった。


「あ、忘れてた。神殿まで持ってきてくれると嬉しいな。私は腹が膨れる訳でもないから嗜好品程度だけどさ、食べるのと食べないのとじゃ精神安定上、全然違うんだよね」


 エリックはそう言って足を止めて何度も肯いてから、改めて部屋から出て行った。


「皆を呼びに行ってくる。如月も準備しておいた方が良い。あの調子では、儀式が終わったらそのまま殿下の手伝いだろうからな」


 氷川先輩の苦笑交じりの言葉に、戸惑った。


「準備と言われましても……家から何か持ってきた方が良いのでしょうか……?」


 困惑している私に、氷川先輩は安心させる様に微笑みながら、ポンポンと頭に手を乗せる。


「エリック殿下の事だ。準備万端整っているだろうから、玻璃を連れて行くだけで良いと思う」


 こんな風に氷川先輩にされるのは、本当に久しぶりな気がする。

 小学生の頃は良くしてもらっていたが、中学生になって距離を置いてからはしてもらった覚えがない。

 自分で距離を置いたのに、胸が締め付けられるような寂しさを感じるのは、とても傲慢だろう。

 そう言い聞かせ、出会った頃より何だか遠く感じてしまう氷川先輩に、精一杯微笑む。

 その時、ふと脳裏に瑞貴が過った。

 瑞貴に迷惑だから彼とも距離を置こうと思っていたのだ。

 ――――けれど、二度と逢えないとは思いたくはない。

 もし……もう金輪際瑞貴に逢えないとしたら、私は……

 ――――氷川先輩と逢えないと仮定した時には心が痛むだけなのに、瑞貴の場合は鳩尾に冷たい刃物が差し込まれて震えが止まらない程の激痛と血が止まらなくなる様に感じるのは何故なのだろう……?


「ありがとうございます、氷川先輩。大分落ち着きました。そうですね、玻璃を連れて行くだけで大丈夫しょう。エリックは本当に抜け目がないから」


 そんな私に、氷川先輩がちょっと寂しそうに笑ったのが、何だか気になった。

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