第8話

 息の詰まる様な空間に居られなくて、三々五々に散った事に安堵しつつ、私も玻璃を抱き上げて席を離れた。

 まだ食堂の椅子に座り込んでいた人もいたが、あの場所にいるのが辛く、逃げ出してしまったのだ。

 我ながらああいう重い空気に耐えられないのは、相変わらず精神が脆いなぁと自己嫌悪。



 中庭のベンチに腰を掛ける。

 膝に玻璃を乗せて無心に撫でた。

 空を眺めて心を何とか落ち着かせたい。



 この世界の夜空には、生まれた世界にあった様な月と、緑色のそれより若干大きい月、緑色の月より大きめの青い月の三つがある。

 それが、余計に今は辛く感じてしまう。



 この頃は不思議だなぁと思うばかりだったのだが、元の世界とは違うという事が、今は重くのしかかるのだ。

 現在、帰る手立てはない。



 蛇神様に言わせると、世界は無数にあって、それぞれが独立しているらしい。

 元の世界を見つけるのは、最高神でも目印が無いのなら不可能で、私達が元々いた世界の目印は分からないから無理と言われてしまい、どうしようもないのが現状だ。

 召喚されたのか、事故なのかも分からないし、召喚されたのだとしても、目印を付けているかどうかすら分からないのだから、可能性は無いと思った方が良いだろうと蛇神様は言う。



 そう、ならばこの世界で生きていくしかないのだ。

 腹を括ったのは蛇神様に話を聞いた、この世界に来た直後だった。



 まだ混乱から覚めなかったが、それでも出来る事をしようと必死だったから。

 諦めた方が楽だと蛇神様が労わる様に言ってくれたが、帰りたい気持ちがどうしても消えない。

 逢いたい気持ちが消えない。

 消えてくれない。



 それでも、この世界で生きていくしかない。

 言い聞かせて言い聞かせて、ここまで来た。

 生きてさえいれば、もしかしたら何かの拍子に帰れるかもしれない。

 家族に……瑞貴にも杏ちゃんにも皆にもまた逢えるかもしれないから。

 それまでは死ねない。

 絶対に死んだりしない。

 仲間も誰一人死なせない。



 皆の不安な気持ちも分かる。

 私も知り合いが誰もいなかったら、怖くて怖くて堪らないだろう。



 なのに、戦う力のない皆を置いて行くのか……



 思考が暗くなるのを自覚しつつ悶々と考え込んでいたら、月が遮られた。


「氷川先輩?」


 私を覗き込んでいたのは、氷川先輩だった。


「すまん。嫌な思いをさせたろ」


 そう言いながら、隣に座る。


「如月ならあの雰囲気で発言できない、って分かった上で、発表したからな」


 苦笑しつつ氷川先輩は言う。


「氷川先輩、何であんな事を言ったのですか?」


 私は思わず訊ねていた。


「ああ、このままズルズルと暮らしていてもダメだと思ったからな。どこかで区切りは必要だ」


 氷川先輩は決然と言い切った。


「でも、まだ皆不安定だと思います。性急すぎるのでは?」


 思っていた事を言ってしまった。

 今更先輩に言うのはずるい気がしたが、言わずにはいられない。


「この国は、福祉が整っている。我々は運よく貴族と大商人の伝手を得て、襲われ傷ついた彼等を治療させる事が出来た。それがなくても奥村は診てもらえただろうし、皆もそれなりには看てもらえたろうがな。そこから先は放り出されただろうというのはまあ、間違いないが、それも仕方がない。この国の人間ではないのだから、そういう対応になるだろう。我々は伝手が在ったから三年間集中的に治療を受けさせてもらった。その上で意志疎通が可能な人ばかりこの王都に連れて来た。その皆が社会に慣れるために一年間街で生活した。なら、自立しても良いのではないか? 自立できるだけの資金も立場も用意した」


 確かにそうなのかもしれないと、思いはする。

 でも、それでもと思ってしまう。


「三年間は私達は週に一度顔を出す事が出来るかどうかでした。皆、とても不安そうで寂しがっていたのを覚えています。彼等はこちらの言葉が分からないのですから、とても孤独で不安だったのだろうとも思います。彼等は私達と意思疎通が出来るだけマシなのも分かっています。それでも、一年間慣らしたから手を放す、というのは……」


 そう、この四年間の間に、自殺してしまった人も多いのだ。

 その人達の事を思うと、申し訳ないやら、何か出来る事があったのではと思わずにはいられない。

 意志疎通が可能だからと言って、大丈夫だとは限らないのではないだろうか。



 氷川先輩は難しい顔をした。


「個人差があるのは分かっている。まだ心配する気持ちも分かる。ただ、一番重い人達を考えるとな……全く働けないのなら、それはそれで一生面倒見るのは吝かではない。自分では金を払うしか出来ないが、神殿に任せる事はできるしな。それには貴族を始め、しっかりとした立場が必要不可欠だと思った」


 心を完全に壊してしまい、真面に意思疎通が出来ず、治療しても回復の見込みのない人達もいるのだ。

 その人達の為に、立場がいる、というのも分かるが……


「悪い人達に比べれば状態が良いからと放り出すのは、酷いのではないかと思ってしまうのは、いけない事でしょうか……」


 自分もろくに稼げていないのだから、稼ぎ頭筆頭の氷川先輩に言うのは、おかしいのかもしれない。

 それでも、放っておけないと思ってしまうのだ。

 偽善者だと自嘲してしまう。



 氷川先輩は優しい顔で私を見つめる。


「悪くはない。ただ、皆ちょっと甘えすぎだったのは確かだ。特に清水を除いた女性陣はな」


 分からず首を傾げたら、氷川先輩は難しい顔をした。


「家にいる皆に、必要な物を自分で買うのに慣れてもらうために小遣いを渡していたんだが、働いていない面々の要求額が段々多くなってきてな。何を買っているのかと思えば、特に必要不可欠という訳でもなさそうだった。男性陣は酒や博打が主らしいし、清水を除いた女性陣は更に要求額が高いから何かと思えば、必要以上の服やら装飾品やらだったからな。流石に目に余る」


 それは確かにおかしいと思う。

 働いている面々は必要不可欠な物以外買っていなかったと思うのだ。

 皆貯蓄していたはず。



 そういえば、家にいる女の子の面々は服が華やかで高そうだったな。

 装飾品も毎回変えていた様に思える。



 それに負けたとか勝ったとか大損だとか、家にいる男性陣が言っているのを聞いた事があった。



 思わず自己嫌悪の溜め息が漏れた。

 私は、本当に節穴だ。

 だが、皆、目の前の現実から逃げてしまいたかっただけ、とも思うのだが……


「この世界は元いた世界とは違う。酒も服も装飾品もプチプライスで良い品なんて事はない。どうせ買うのなら良く吟味してそれなりの値段の良い物を買うのなら分かる。だが、ああも頻繁に元いた世界の様に買うのは、この世界の金銭感覚が芽生えていない証だ。これから三か月は小遣いも以前より引き締めようと思う。要求額通りに渡した事はないが、もう少し堅実に生きていかなくては、この世界では生活できないだろう」


 確かに、暮らす上では金銭感覚は大事だろう。

 私達は他の国よりも住みやすいと言われるこの国の中でも、それなりに悪くない暮らしをしているのだ。

 その暮らしが出来るのは氷川先輩達の働きのおかげである。



 それにも関わらずの浪費は、確かに控えるべきだろう。

 ただ、使わなければ金銭感覚が芽生えないのも分かる。

 だが使いすぎて堅実に貯める訳でもないのはどうかと思ってしまう。

 返す言葉もない私を労わる様に眺めた氷川先輩は


「不安なのは、働いている者も働いていない者も一緒だ。それは如月も分かっているだろう? 働いていない面々は言葉もあまり分からず不安で、買い物や酒、博打に逃げたのは私も理解できる。だが、ここで踏ん張らなくては、ズルズルと人にたかって終わりだ。買い物が出来る位にはこちらの言葉を覚えたのだ。いっそ神殿で質素倹約しつつ、厳しい修行の生活も彼等にはいいかもしれない。国民ならお布施も支払わなくても、そう難しくなく神殿で生活できたはずだしな。修行したくないというのなら、用意した資産を全て寄付して面倒を見てもらえばいいだろう。それも国民なら可能だ」



 そう、私も不安で堪らない。

 夜だって眠れない事も、悪夢を見て飛び起きる事もある。

 それでも腹を括ったのだ。

 生きていかなければならない。

 もしかしたら、可能性はゼロかもしれないが帰る事も出来るようになるかもしれないから。

 ここで諦めたら、今まで育ててくれた家族に申し訳がないから頑張ったともいえる。

 逢いたいなら、どうしても逢いたいのなら、死ぬという選択肢は捨て去った。



 きっと、一人だったら挫けていたかもしれない。



 でも、氷川先輩を始め、皆がいたから、頑張ろうと思えた。

 皆の力に成りたいと思ったのだ。

 自分に出来る事をしよう、そう思った。



 それに覚悟を決めないと、前に進めない。

 再び逢う事だってできないだろう。



 家にいる皆もそう思えたら、少しは動けるようになるのだろうか。



 だが、思うのだ。

 感じ方は、人それぞれ。

 どう思うかも、容量も人によって違う。

 そして私達は、全く同じ体験をしたわけではない。



 同じ世界、同じ国の、同じ学校の生徒で、突然この世界に来て、突然魔物に襲われたのは同じだ。

 ただ、そこでどういう体験をしたのかは違う。

 隠れてやり過ごしたのか、それとも偶々、逃げ遅れたのに標的にされなかったのか等、色々な状況を潜り抜け、生き残ったのだ。

 思いも人それぞれだろう。



 だから四年経ったとはいっても、まだ無理な人もいると思う。

 それを一律に自立しろ、というのは、無情なのではと思ってしまう。



 皆はあの体験をした上に、この世界の言葉も分からないのだ。

 不安は私達の比じゃないと思う。



 それでも最低限の生活保証は、国民ならしてもらえるのは確かだ。



 神殿で修行せずに世話になる場合でも、国民になれるだけの資産があれば全部出さなくても大丈夫だから、街に戻る事も出来るし、また神殿に戻るのも、一度ある程度の物をお布施しておけば直ぐに戻れたはずだ。

 それに神殿に入れば国民なら納税しなくても良いというのは助かると思う。



 働いている皆だって、色々不安で堪らないことだってあるだろう。

 皆それぞれに不安がある。



 確かに働いている皆は言葉が分かる、特殊な力も、この世界に来て目覚めた人も、元々持っていた人もいる。

 それでも戦えば危険はつきもので、そんな中、命も体も張ってお金を稼いで皆を養ってきたのだ。

 家にいる皆には分からな苦労もある。



 それならば、双方折り合いを付けていくしか、ないのだろうか。



 もう四年? まだ四年、かもしれない。

 感じ方も、時間の経過も、人によって違うから、だからこそ大変なのだ。

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