宇宙飛行士フェリセット(短編)
うどん。
宇宙飛行士フェリセット
雲ひとつないほどに晴々としたアルジェリアの空。
そのさらに向こう側にある、宇宙を指し示すように聳える観測ロケット。
1963年10月18日、午前7時を過ぎた頃。
彼女は打ち上げ前のロケットの中にいた。
彼女の名はフェリセット。
多くの人が、ヴェロニクAGI47に乗せられた彼女を固唾を飲んで見守っていた。
彼女はこれから、重力を振り切って星の海を目指すのだ。
私は今から、空を飛ぶ。
パリで育った私は、この母国製のロケットと共にあの大空を泳ぐ。それは人類にとっても、私自身にとっても価値のある任務だ。
夢にも思わなかった宇宙飛行。
数時間後には、見上げるだけだったあの青空からこの美しい水の星を見下ろしていることだろう。
そう考えると、不安や緊張といったものは煙のようにどこかへ行ってしまう。
訓練もしてきた。この日を迎えるための万全の準備を、この計画に関わる全ての人が懸命にやってきたのだ。
私はただ、任務を全うすることだけを考えた。
ロケットに火が入る。
巨大な噴射音が轟く。
大きく揺れているが、恐怖はない。
訓練通りだ。
噴射音と揺れが一層強くなるやいなや、ズシリと体を押さえつけられる。
フッと一瞬の浮遊感を感じた刹那、ロケットの勢いは頂点に達し、地上の何倍もの重力を全身で受け止める。
午前8時9分。彼女は大空へ打ち上げられた。
加速度的に速くなるロケットと、狭くなる視界。
意識までが遠のくような錯覚。
自分が薄く、細長い線になって思い切り引き伸ばされているみたいだ。
頭に埋め込まれた電極は、随時モニタリンクされ地上から観測されている。問題はない。いたって順調だ。
強い重力に押しつぶされそうになりながらも、迫る大空を前に私の期待と興奮も大きくなっていく。
重力を振り切るまでの僅かな時間。
その切れ端のように小さく短い時間が、引き延ばされた感覚によってとてもゆっくりに感じた。
少し昔話をしようか。
私の名はフェリセット。
パリで生まれ、パリで育った。
ずっと一人で生きてきた。
別に寂しいと思った事はなかった。
それが当たり前だと思っていたし、苦に感じてもいなかった。そのままひとりで過ごすものだとも思っていた。
なのに私は気づけば、政府によってこの誉高い任務に就くことになっていた。
私は航空医学の研究所で13の仲間とともに励んだ。
訓練は辛く厳しいものだった。
重い気圧、激しい遠心力。
頭に神経の動きを測る電極を取り付けられ、ありとあらゆる行動、反応を絶えず観測された。
多くの仲間は、適応出来ずに去っていった。
私はたまたま順応できただけだ。周りより少し大人しく穏やかだっただけだ。
唯一残った仲間(フェリックス)も、この任務の直前に外されてしまった。おそらく適応できなかったのだろう。
彼に代わり私は、この観測ロケット(ヴェロニク)に乗ってあの大空へと旅立つことになった。
ある意味、彼には感謝もしなければいけないのかも。
だって、こんなに胸躍る体験が出来るだなんて。
重力を振り切って無重力帯に飛び出す。
高度は157km。
訓練したはずの無重力での活動も、実際に体験してみると不思議な感覚だった。
私はその瞬間、命の星を見下ろしたのだった。
さらに高度はサハラ砂漠上空209kmに達し、この瞳で故郷を捉えた時、私はえも言われぬ感情に包まれていた。
なんて美しいのだろう。
私という生き物が、本来なら見ることのできない景色。
その星は、優しい色をして佇んでいた。
フェリセットの任務は終わった。
飛行時間は約13分。その内無重力空間はたった5分間であったとされる。
彼女は無事地上に帰還したのち、母国フランスにて英雄と評され勲章を授与されたのだった。
その後、彼女は弾道飛行の任務を終えた三か月後、安楽死させられたのだった。
有史以来、初の″猫の宇宙飛行士″は、その最後まで実験動物としての生涯を全うしたのだ。
しかし彼女の功績は、後の世に広く知られる事はなかった。それは欧米の″犬社会″といった考え方、宇宙開発に於いて特筆する記録を残せなかったフランスの世界的地位もあったとされる。
彼女の生涯と栄光ある功績は、時の砂の中に埋もれ忘れ去られてしまったかのようだった。
それから約50年経った今。
彼女の母国フランス、ストラスブールにある国際宇宙大学には、クラウドファンディングによって一体の銅像が建てられる事になった。
そこには、「地球の上に座り、かつて旅した大空を見上げている」フェリセットがいた。
あの日、勇敢にも命を賭して宇宙へ旅立ち、大空を泳いだ彼女。
パリの野良猫は、偉大なる初の猫の宇宙飛行士としてその名を人類の歴史に名を刻んだのだった。
宇宙飛行士フェリセット(短編) うどん。 @bebemaruudon
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