第3話
2170年7月のある日、ある高校で16歳の男性が発見された。男性の母親は出産時、生まれた子が男性だと分かっていたが、男性だとばれてしまうと子が自分から引き離されてしまうと思い、助産院の助産師に頼み込んで、子を女性としてもらったのだった。男性の母親は子を翼と名付け、女性として育てていたが、高校に入学し、身体の特徴の異変に気付いた保健体育の教師が翼を調べ、男性だと分かり保健所へ通報したのだった。保健所は翼を預かったが、対応方法がわからず厚生労働省へ相談した。厚生労働省も対応方法を検討することになり、翼はとりあえず街にある大学病院の個室に入院させられることになった。
20歳になった杏は管理栄養士になるために栄養大学に通っていた。杏は大学病院で配膳のアルバイトをしていた。夕方五時、杏は翼が入院している個室へ食事を届けに来た。個室には鍵がかかっていたので栄養科で渡された鍵を使って扉を開けた。病室に入ると窓際に置かれたベッドの上で入口側に足を向けて翼が座っていた。杏は食事をベッド脇の床頭台の上に置こうと歩いていった。杏はベッドの上の翼と目があった。その瞬間杏は10歳の時にデパートで見た人形を思い出した。翼は病衣を着ていたが、体つきはデパートの人形のように肩幅が広く男の体形をしていた。杏は恐る恐る翼に聞いた。
「あなた、男なの?」
「そうみたい、ママからは他の女の子と同じように育てられたけど、あたしのここには男の人にしかついていない物がついているの。見てみる?」
股間を指さして翼は言った。杏は大きく首と手を振って、
「いい、大丈夫、見なくても大丈夫。」
と言った。翼は、
「あたしは翼、あんたは?」
と言った。杏は
「あたしは杏。大学生、ここで配膳のアルバイトをしているの。」
と答えた。
「そうなんだ。あたしは高校に行ってたんだけど、学校の先生に男であることがばれちゃって、病院に入院させられているの。ここに来て三日になるんだけど退屈で疲れちゃった。」
翼は足をぶらぶらさせて言った。
「病気で入院しているんじゃないの?」
杏が驚いて訊いた。
「どこも悪くないよ。あたしに変なものがついているから普通の人と同じ生活はさせられないみたい。」
翼は答えた。
「これからどうなっちゃうの?あなた。」
杏が訊いた。
「わからない、でも前にママに聞いたんだけど、昔、女の世界になる前、男たちはたくさんの人を殺したんだって。戦争って知ってる?」
翼は訊いた。
「高校のときの歴史の授業で、戦争でたくさんの人が殺されたって聞いたことがあるわ。」
杏が答えた。
「国の偉い人の中には、【男は暴力的で人を殺すからいない方がいい。女性だけの世界が平和でいいんだ。】って言っている人がいるってママが言ってた。」
翼が言った。
「やだ、じゃあ、あなた殺されちゃうの?」
杏が悲鳴に近い声で訊いた。
「わからない。殺されることはないだろうけど、どこか無人島とか遠いところで隔離されちゃうんだろうって、あたしを捕まえた人が言ってた。」
翼は答えた。
「ひどい、そんなのひどいわ。囚人みたいじゃない。あなた、何にも悪いことしていないんでしょ?」
杏は言った。翼は頷いて悲しそうな目で杏を見つめて
「しょうがないよ。あたしは男に生まれてきてしまったんだから。」
と言ってあきらめたようにうつむいた。短い沈黙の後、杏は翼を見つめて言った。
「逃げましょう。ここから逃げるのよ。」
「どうやって逃げるの?あんた車持ってるの?」
翼は訊いた。
「持ってないわ。」
杏は答えた。
「タクシーは顔を認識できるから。タクシーで逃げたらすぐ捕まっちゃうよ。」
翼は言った。杏は少しの間上を向いて考えていたが、
「給食センターの車に乗って逃げましょ。給食センターは山奥にあるから、山奥までいけるわ。」
杏は目を輝かせた。
「山奥に行ってどうするの?なんかあてがあるの?」
翼は訝った。
「ないけど…。山奥に行って考えましょ。なんとかなるわ、きっと。さあ、行きましょ、支度して。」
杏はそう言って翼の腕を引っ張った。翼は渋々立ち上がると病衣を脱いだ。膨らみのない胸につけたブラジャーとパンティがあらわになった。パンティの股間が膨らんでいるのを見た杏は、思わず目をそらした。翼が私服に着替えると杏は個室のドアを開けて、廊下の様子をうかがった。夕食時間帯は看護師が患者の食事介助についているため廊下に人影はなかった。杏と翼は廊下に出て、非常階段の扉を開けた。翼が収容されている病棟は六階だったが、非常階段は1階まで続いていて、さらに1階の資材搬入口まで直接行くことができた。杏と翼は誰にも会わずに、搬入口から外へ出ることに成功した。外はまだ明るかった。2人は周囲を警戒しながら、搬入車駐車場に停車している給食センターの配送車の荷台の扉を開けて中に乗り込んだ。荷台の中は6台のコンテナが横置きに並んでいた。杏と翼はコンテナの脇を通って奥のスペースに隠れた。配送車もロボットで、病院の職員が搬入口から出てきて、手に持ったリモコンを押すと配送車は静かに走り出した。杏と翼は配送車が動き出してほっとした。2人は顔を見つめて微笑んだ。杏と翼はスマートフォンを取り出し、GPSで探知されないよう電源を切った。しばらくの沈黙の後、
「ママ心配してるかな?」
翼が呟いた。
「心配って、病院に入院させられたことへの心配?」
杏が訊いた。
「そう、ママすごく優しいの。あたしを他の女の子と同じように育ててくれて。あたしのわがままいっぱい聞いてくれたの。ママに会いたいな。」
翼は母親を思い出して、遠い目をして言った。
「いいお母さんだね。翼のこと大好きなんだよ。」
杏は言った。
「ママのところに帰りたい。」
翼はついに泣き出した。杏は翼を抱き寄せて、やさしく髪をなでながら、
「今はだめだけど、いつか会いに行こうよ、お母さんに。」
杏は言った。杏は翼を不憫に思ったのと同時に自分がしっかりしなくてはいけないと思った。翼は涙を流しながら頷いた。
1時間後、配送車が停車した。給食センターに着いたようだ。杏と翼は息を殺して荷台の扉を見つめた。扉が開くと給食センターの係員が車外から荷台の中のコンテナの数を数えた。数を数え終わると係員は立ち去り、代わりにフォークリフト型ロボットが近づいてきて中のコンテナを運び出した。杏は扉の近くまで進み、外の様子をうかがった。外は大分暗くなっていた。フォークリフト型ロボットが給食センターの工場と行き来しているだけで、人影はなかった。
「行くよ、翼。」
と言って杏は外に出た。翼が続いた。外に出た2人は給食センターの門から国道に出て山奥に向けて山側を歩いた。途中自動車が近づいてくるとしゃがんで、自動車をやり過ごした。1時間ほど歩くと、道の反対側に果樹園の看板を見つけ、2人は果樹園に向かった。果樹園はその看板から細い脇道を三百mほど進んだ先にあった。二人が果樹園に侵入すると、たわわに実った桃をみつけた。
「これ美味しそう。1個くらい頂いても大丈夫だよね。」
翼は両手で桃をさすりながら言った。
「だめだよ、人んちの物勝手に取っちゃ。」
杏は制止したが、翼は
「もう取れちゃった。いただきまーす。」
と言って桃にかじりついた。その時、強い光が2人の目をくらませた。
「何やってるんだい、あんたたち。」
杏が光が射す方向を目を細めて見ると懐中電灯を持った老婆が立っていた。
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