第5話

- 第5章 -

翌朝学校に向かうと、甲本先生が図書当番の表をくれた。俺は毎週火曜日担当だが、学校にいる時間は授業中以外(たまに授業中も)は、大抵図書館にいた。なので、毎日本の貸し出しや蔵書整理はしていて、あまり当番は関係なかった。

「えっとね、啓介君は火曜日のままでいいのよね?」

「毎日でもいいくらいですよ。どうせ四六時中暇ですから」

「そうね」

甲本先生は軽く微笑んだ。ただ、問題は、当番の日、誰とやるかだ。俺は他の図書委員と関わるのを極端に嫌った。特に、バレー部の小坂なんてひどかった。性格最悪で、陰キャラの俺を避けるし、何より友達を連れて図書館で騒がれた時には頭にきた。夏目漱石の全集でぶっ叩いてやろうかと思った。無論そのような暴行には及ばなかったが、あいつの当番の日だけは図書館に通わなかった。万が一当番が一緒なら、甲本先生に変えてもらおうと思ったが、まさかこんなことになるとは思いもしなかった。

火曜日の当番には、俺、東雲、二年生の上野、そしてもう一人が小坂…。最悪だ、変えてもらおう。そう思ったその瞬間、その下の字が目に入った。

「一年生、天ヶ瀬」

舞!まさかここで同じ当番になるとは。

「どう?これでいい?」

先生は、おそらく俺と小坂の仲の悪さを知らない。だからこんな当番表になったのだろうけど、神様が俺を試しているとしか思えなかった。迷う。何故だ。

「去年、小坂さん金曜日でしたよね?」

「ああ、バレー部の方で新年度から休みの日変えるってなったから、変更になったの。」

畜生。ふざけやがって。俺は爪を噛んだ。そして頭の中では小坂という爆弾を取るか、舞という天使を取るか、どちらを取るかの選択を迫られていた。

「どうする?」

うーんと首を傾げた。別にずらしたっていいわけだ。あの最悪の女と関わるのはなんとしても避けたかった。でも、舞。俺にあんなに優しい言葉をかけてくれた後輩女子と一緒に仕事ができる千載一遇のチャンスを、絶対無駄にはしたくなかった。

「もし嫌なら、水曜日人足りなさそうだから、変えるよ」

「いえ、そのままでいいです。水曜日も暇なんできますけど」

俺は咄嗟に決定を下した。

「そう、じゃあよろしくね」

「はい」

そう言って先生は図書館の司書室の方へ行った。俺は自分の選択に不安を感じていた。それに、俺は舞を信じすぎたのかもしれない。昨日少しばかりの優しさを受けただけで、舞のいる方を選んでしまった。それが果たして正解かどうかは分からない。

女という生き物は、いくら本を読んでも理解に及ばない。醸し出しているアウラは人それぞれ違うが、だいたい皆同じように表裏というものを持ち、多いのは、五も六も顔を持つものもいる。俺は女のその顔が恐ろしくて仕方なかった。そう考えると、やはり人生はただ辛いだけのものなのかもしれない。俺はまた一つため息をついた。


放課後図書館に行くと、同い年の上野がいた。上野はスマホゲームに熱中していて、図書館の仕事などそっちのけだった。

「おい!」

俺は眉をひそめて上野をにらみ、厳しい口調で話しかけた。

「なんだ」

上野はゲームの途中で話かけられたことに少し苛立っているようだった。ふざけるな。ちゃんと仕事もせず。

「仕事はちゃんとしろ」

「べつに今誰も本借りにきてないしいいだろ」

「返却された本を元の棚に戻せよ、甲本先生に全部任せるな」

俺は上野に厳しい口調で怒鳴りつけた。

「はいはい」

だるそうな態度でどっこらしょと椅子から立ち上がり、本を鷲掴みにして、本棚へ向かった。こいつは本に対する愛というものがないのか。彼の雑な本の扱い方に、俺は余計に腹が立った。そして舞と小坂はどうしたんだ。遅い。

「遅れてすみません」

遅いと思っていたら、丁度舞が来た。焦る舞の様子もなんだか可愛らしい。あろうことか、

舞の顔を見ていたら怒りなんてどこかに行ってしまった。

「東雲先輩、初日からすみません。掃除が長引いて」

必死に俺に謝る舞の様子を見て、叱る気になんてなれなかった。

「いいのいいの、全然大丈夫。さ、図書委員のやること教えるから鞄置いて来て」

「はい」

俺は今日で本の貸し出し方法から、本棚への返却方法、その他雑務を一通り舞に教え込んだ。もちろん甲本先生の植物への水やりも。

「毎日水あげるんですか?」

「そうなんだよ。先生は園芸が趣味で、春夏秋冬、津々浦々の花々を育ててるんだよ」

「へぇ、素敵ですね、私花大好きなんです」

「そうなんだ」

「ええ、家は花屋なんです。小さい頃からいつも花と一緒にいました」

「そうなんだ、それは先生と気があうぞ。先生花と紅茶がなによりも好きだからな」

「おとぎの国の人みたいですね」

「そうだな」

ハハハ、と二人で笑いあった。舞の無邪気な笑みを見て、俺の舞に対する疑心は全て晴れた。舞は、美しい人だ。その身もそうだが、心も。花を愛でるものに悪者はいない。俺は少なくともそう思う。

「さて、早速水をやってもらっていいか?」

「わかりました」

「ジョウロは倉庫に入っているから、もしなんかあれば俺に言ってくれ。使ったら戻してな」

「はい」

舞はジョウロを取りに倉庫へ向かった。倉庫に走る舞の姿が俺の心を和ませた。さて、俺も仕事しないと。しかしここで嫌なことを思いだした。小坂がまだ来ていない。もう時計は五時を過ぎていた。委員の仕事は放課後の四時開始だから、すでに一時間遅刻している。遅れるなら電話なりメールなり連絡を入れるのが礼儀だろうが、あいつはそういうところの常識がない。まったく呆れる。図書館の中でしばらく本の整理をしていると、五時十五分を過ぎたあたりで小坂が来た。彼女は謝るでもなくかといって悪びれる様子もなく、あっけらかんとした様子でカバンを床に放り投げ、椅子に座ってスマホをいじり始めた。

「おい!」

あまりの小坂の自分勝手さに、俺は小坂を怒鳴りつけた。こんな様子を見て腹が立たないやつのほうが少数だろう。俺は怒りのあまり両手を握っていた。

「遅れるなら連絡くらいしろ!なんで何もよこさないんだ」

しかし小坂は俺の方を見向きもせず、インスタを見て笑っていた。俺は再三彼女に注意したが、一向に耳を傾けようとしない。とうとう我慢がならなくなり、彼女のスマホを取り上げた。これには流石に彼女も驚いたのか、俺の方を険しい目つきで睨んだ。

「なにすんのよ」

「お前の方こそなんで連絡しないんだ!ふざけるな!遅刻するなら遅刻すると言え!常識だろ!」

彼女は「はぁ?」という表情を浮かべた。そして次の瞬間、彼女の性格の悪さを露呈させるとんでもない台詞が飛び出した。

「汚い手で私のスマホ触んな!クソインキャ」

まさか「ごめんなさい」でもなく、申し訳ないでもなく、私のスマホを俺は汚いから触るなと。もう怒りを通り越してこの女の身勝手さに呆れた。もう初日から相手にするのが無駄とわかった。最悪という言葉ですら物足りないぞ、この女。よく友達がいるなぁ。俺なら絶対にこんなやつと関わり合いたくない。舞とは大違いだ。

俺はプイと彼女から目線をそらし、仕事に戻った。不意に窓の方を見た。そこには楽しそうに水やりをする舞がいた。俺は少しだけ微笑んだ。

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