第12話 3−3

 トイレや洗面台、シャワーなどと独立した作りの、大人四人程度は入れる大きさの、檜湯船の風呂桶の中に須賀優人は身を沈めた。

 湯の暖かさが、肌に伝わり身にしみてゆく。自分の体は大部分が機械(とはいってもマイクロマシンが主だが)になったはずだが、体の暖かさは人間そのものだ。

 湯の中に体をたっぷりと浸からせ、ひとつ深呼吸をして大きく息を吐いた。

 それから今日のことを思い出す。

 気がついたら日本の家にいて……。

 一緒にユイリーがいて……。

 そこに美也子がやってきて……。

 話していたらカミーラとか言う奴らが襲ってきて……。

 家を出て……。

 車に乗っていたらまた襲われて……。

 アヤネたちが来てくれて……。

このホテルに辿り着いた。

そして今こうしてここにいる。

そこまで思うと、

「ふぅ〜、疲れたぁ〜」

 思わず口から言葉が漏れた。本当は、それほど疲れていない。機械の体(まだ実感はあまりないが)だし、先程メンテナンスを受けたので、体調としては疲れていなかった。しかし、心情的には別だった。

 あまりにも多くのことがありすぎて、理解が未だに追いついていないところがある。脳にマイクロマシンで構成された演算機が追加されて(ユイリーはそう言っていた)いてもだ。

 自分は両親に改造された。飛行機事故で瀕死の重傷になって。そしてその改造に使われた技術を巡ってアリステラ社に狙われている。

 それはいい。それはいいとしても。

 ──なにか妙な違和感がある。

 優人はそういう思いを抱いていた。重大な何かが誰かに隠されているような。何かを見落とさせられているような。そんな感覚。

 なんなのか。それは。

 その疑問が脳内に拡がるが、それをユイリーに問いてはいけない気持ちがどこかにあった。もう一人の自分が、そう言ってくるような。

 ──これってもしかして……。

 湯に体をつからせながら、思いを巡らせていると。

 視界の隅に、とあるアイコンが点滅しているのが見えた。

(……?)

 よく見るとそれはホロディスプレイやコンタクトディスプレイでいつも見かけるアイコンだった。優人が所有しているギアスペース──オートマタOSを保管しておく電脳空間への入り口だ。

 ──いつの間にインストールしてるなんて。

 そんな疑問をいだきながらギアスペースのアイコンを視線入力で「押す」。

 すると、見ていた景色が切り替わった。ラグジュアリーホテルの檜風呂から、豪奢な宮殿の一室へと。

 ふかふかとした触り心地に、違和感を覚えた。

 ──これは。

 優人が「いる」のは彼が所有しているギアスペース内にある優人の宮殿の自室だ。そのキングサイズベッドの上に、彼はいる。周りを見れば落ち着いた白色の壁紙に金細工が施された家具や壷、絵画などが置かれ、飾られている。

しかしそれよりも印象的なのは、ふかふかとした布団の触り心地だ。これはまさに現実としか思えない。通常のVRではありえないことだ。電脳化でしか味わえないはずの「フルダイブ」状態としか思えない。つまり、

 ──ギアスペースに「自分の体」が、ある……。

 状態なのだ。

 これは生身では味わえなかった感覚だ。自分が電脳化された、という実感がまた湧き上がってくる。そんな思いに優人がふけっていると、

「ヤッホー、マスター。ようこそギアスペースへ〜」

 と自分を呼ぶ声がそばからしたので、そちらの方へと顔を向けると。

 ベッドのそばに、赤髪の肩ほどまでの長い髪に赤い目の端正な顔をした少女型ガールズギア人格、アヤネが妖艶なすみれ色のネグリジェ姿で笑っていた。

「や、やあ……」

優人が戸惑いながら返した。アヤネは彼が所有するガールズギア人格の中でも最古参の一人で、ギアスペース内ではリーダー格の一人だ。優人が日本にいて自分の持ち家にいるときは、主なお世話をするのが彼女の役目だ。だから、ユイリーのライバルと言える。

しかし彼の世話をした年数から言うとユイリーのほうが上であった。彼女は優人が生まれたときから世話をしていたのだ。アヤネは先程彼女に突っかかっていたが、どこか遠慮はあったはずだ。

「マスター、どう? ギアスペースに自分の体を持った感想は?」

「……んー、なんか不思議だな。アバターじゃなく、実際に体があるなんて」

優人は自分の手でベッドのシーツを撫でながら応えた。手触りが確実にある。その手触りに現実味を感じるが、今自分は風呂の中にいるのだ、という思いも同時に沸く。

アヤネは優人のそばに腰掛けると、赤い目を細め甘い声色で語りかけた。

「警戒中暇なんで、ちょっとマスターの頭がどうなっているか気になってね。調べたついでにインスコしちゃった♡」

「そんな迫りながら言わなくても……。で、なにかわかったのか?」

「わかるもわからないも」アヤネは口の端を歪めた。「面白いことがわかったわ」

「なんだよ」

「あのユイリー、大事なことをいくつか隠してる」彼女は急に声を潜めると言葉を続けた。「マスターの脳、本当のマスターの脳じゃない」

「えっ」

「マイクロマシン演算機部分以外の脳部分、つまり、人間の脳の部分自体はマスターのもの。医学部門の遺伝子解析でマスターのものだと判明しているわ。でも、脳の構造自体は過去にマスターの脳を検査したときと若干異なってる。だいぶ似ているけどね」

「俺の脳じゃないってこと?」

「そういうこと」アヤネは優人の問いに肯定した。「だいぶ似ているし、細胞自体はマスターのものが使われているけどね」

「……」

優人はベッドのシーツを強く握った。しばらく黙ったあと、ようやくのことで重い口を開いた。

「そんなこと、ユイリーは検査のときに教えてくれなかった」

「そういう態度を取るとわかっていたから彼女は教えなかったんだと思う」アヤネは優しい口調で衝撃を受けた自分の主人を慰めるように、あやすように応えた。それから、自分の片手をマスターの手に重ねた。「彼女はマスターに忠実よ。だから嘘をついたと思うわ。……優しいのね、思ったより彼女は。まだ本当の主人の命令下から抜け出せないようだけどね」

「……」

「もうちょっと素直になってくれたら、あたしたち、彼女をあなたの『正室』に迎えてあげてもいいと思ってる。でも彼女は意固地だからね、もう……」

「……」

 優人は、少女人形人格が持つ仮想世界の体の手のぬくもりに驚きながらも不信感を拭えなかった。先ほど対立していたとは思えないほどの相手へのいたわりだ。それは自分が彼女が好きなことをわかっていると同時に、

 ──アヤネも何かを隠している……?

 という直感からくる疑問のせいだった。ユイリーが嘘をついているならアヤネも嘘をついていてもおかしくない。それは自分のなにかに関わる重大なことだ。それで自分にショックを受けさせまいとユイリーもアヤネも必死なのだ。

「アヤネ」優人は彼女の「目」を覗き込んだ。彼女のキラキラとした星屑のような光が混じった赤い「目」も自分の目を見る。「お前、なにか隠してないか?」

「いいえ」彼女は即答で首を横に振った。赤い髪が揺らめく炎のように左右に揺れる。「何も隠しておりませんわ。マスター」

 甘い声でそうささやくと彼女は静かに目を閉じ、顔を近づけた。

 そして、自分の唇を優人のそれに重ねた。

 重ねた下の手がさらにシーツを握りしめた。その手を上の手が母のように握りしめた。

 二つの腕が斜めに傾いた。ややあって、どすん、という音がキングサイズのベッドの上でひとつした。

 優人は唇を吸われ、残る手で自分の裸体を撫で回されながら、

 ──嘘つき……。

 とどこか他人事のように思った。

 その時。頭の奥から聞き慣れた女性の声がした。

 ──ご主人さま? ご主人さま?

 その声に、優人は起き上がった。しかし、アヤネに愛撫されている自分の「体」はそのままだった。その感覚も同時に受けている。

 ──これは……。俺の心が二つに分かれている?

 その瞬間、彼の視界が真っ暗になった。そして、意識が途絶えた。


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