第49話 自虐して生きていきたいなって

*少し人を選ぶ話です。許せない気持ちが出る人は飛ばして下さい。*


【あれこれ色々言いますが】ってエッセイの方でも少し書いてますが、私は自身の考えや行動に自信が無くて、でも言わなきゃ動かなきゃって時があるじゃん?そん後に起こる結果にいつもビビっているんですな。でも、同時にこう思っているの「言わねば、やらねば損損」って。これは誰しもがそうなんかも知れないけど、この矛盾した気持ちが50:50で保っているんだよ。こんな事に限って思考が偏ってない。どっちかに引っ張られていれば楽な気がするんですけど、この矛盾した気持ちが同時に私を引っ張るからさ、私は千切れてしまいそうになるよ。これから綴ることに対してもそう。


私は「人は偏ってる方が面白い。」って事を周りに言っているんだけど、魅力的に思うんですよ。ある考え側に進んでいく人の過程や経緯を見たり知ったりするのが好きなんです。そういう人って、反対側の意見に背を向けて行く訳じゃないですか。気持ちの強い人じゃないと出来ないなって思うんですよ。自分でしっかり考えて信じる力があるって凄いなって思うんです。自身の生き方を、思想を、哲学を構成しているな、太くて長く大きな軸があるなってなるんよ。まぁ…面倒くさい、関わりたくないって奴であることも多いんですけどね。とにかく!生ける価値ありと信じて生きれる人間になりたいなぁって、思い込んでる生き方はしたくないなって思うんだ。特に自分を可哀想だと思い込いこんで生きたくないなって。可哀想という場所に自分を置きたくないです。


自分の人生を振り返るとさ、まぁ…そこら辺の人よりも中々なジェットコースターなんよ。これは一応、周りの人からもお墨付きなんでそうなんだと言って良いと思うんです。私は辛い出来事があってもそれが過ぎれば、起きている最中もまぁ…笑い話として話しているよね。そん時の惨めな自分とかね、私なりに面白おかしく話せるんよ。卑屈過ぎるとかネガティブだと嫌悪する人もいるだろうけど、自虐出来るんですよ私。自分の失敗や恥、コンプレックスを話せるよ。


だって歩く悲惨って言われたくらいにね躓いているんですもん。そんな自分を可哀想だって思いたくないじゃないですか?何かあると病気、暴力、孤独とかそんな経歴を並べて可哀想な自分に持って行き騒ぐ人が居たりするけど、まぁ…実際に被害者である事が多かったのかも知れないけどさ、何時までも辛かった出来事を可哀想なまま持って生きてるってどうなの?って思うんです。その辺もそれなりに経験している自分としてはさ、辛い出来事を自分で笑いにして、相手に笑って貰うようにしてやれば良いのにと思うんですな。何時まで救われない自分で居たいんですかね?そんな自分が好きなんでしょうかね…。可哀想な自分を可哀想なままにして人生にプラスあるんでしょうかね?


…これ、私がおかしいんですかね?皆は自分の失敗を面白くして貰おうって考えないのかなぁ?そんな可哀想な事が無いのかなぁ?まぁ…大変だった人の中でもこんな考えって少ないんかね?とにかく自虐して自分の人生、こんなんでも良いんだって思いたいですね。


…こういうのを言いたくなってるからまだ駄目なんだろうなぁ。

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