第4話 雑草を食べるという生活

最近は頻度が減ったが、母の気まぐれで雑草のおひたしや天ぷらが出る事がある。ドが付くほどの田舎に住んでいて、近所の人もそんな事をしているのかというと決してそうではない。近所の人は精々、山菜・キノコ・竹の子そんなもんである。私の家だけが食卓に雑草が並ぶ。お爺ちゃんが食べれる雑草に詳しかった。それだけの理由でお爺ちゃんが亡き今でも食卓にノリで並んでいる。


これが家だけの常識と知らない時は、小学生の時とか「ほら、道草食ってみろよ!」と馬鹿にされたな。だから雑草が出される度に怒ってたし、頑なに食べようとはしなかった。しかし我が家では野菜と雑草は同じ立ち位置の扱いだから、当然の様に叱られた。


でも正直、納得はしていなかった。野菜はお店に売られているもので、手間暇も掛けて育っているのに対して、ただ勝手に生えているだけの雑草の方が格下だし大量にあるんだから食わないで残したって良いだろ!と思っていたのだが、あんまり突っ撥ねていると拳骨の制裁を受けていたなぁ。


でも仕方なかったんだよなとも思っている。私が中学生の時まで同級生の家族がお金の事情で居候していたけど、その分の食費を浮かせる為の節約術の1つでもあったのだと思う。今でもやる必要はあるのかは微妙だけどね。


そしてこれは本当の理由なのか、それとも適当な理由なのか分からないが成程と受け入れた出来事がある。いつもの様に「どうして雑草とか団栗をうちでは食べるんだ!」と言った時にお母さんが言ったのだ。「雑草を食べる事で図太く生きれるようになるんだ!自然に適応した人間に育つんだ!」と言われた。この時に自分でも分からないけど納得した。


実際の所、雑草を食べて育って来ているからなのか、災難に遭うことの多い人生だけど、図太く生きている様な気がする。例え周りから邪魔だと思われても、どんな目に遭ってもしぶとく生きなければ行けないのだろう。踏まれても引っこ抜かれても育ち続けなければイケないのだと思う。そうする事で雑草で一括りにされているけど、誰かの目に止まって名前とか特別に覚えてもらえるのかも知れないな…なんてね考えたりもする。

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