第3話 山田さんの街。

 山田さんが増え始めたあの日から、一週間が過ぎた。

 ぼくの住む街は、一週間前の平和な街並みが、もう何十年も前のことだったかのように、すっかり変わり果てていた。

 ぼくは、その街の駅前大通りのビルの影で、息を潜めていた。

 あたりに見えるビルは、ケーキのように柔らかく崩れ落ちていた。

 崩れ落ちたビルの前では、自動車のフロントがアコーディオンのようにひしゃげ、道路にたたきつけられていた。

 陥没した道路のそばには、樹の枝のように安々と折れ曲がった電柱が、何本も並んでいる。

 と、折れた電柱群の間を縫って、大きな影が現れた。

 影の正体は、体は四足動物だったけれども、顔は、あの山田さんだった。

 そうその生物は、山田さんが増殖と突然変異を繰り返した結果生まれた「山田さん生物」なのだ。

 山田さん生物の姿は、神話や中世ヨーロッパなどで描かれた、空想の怪物のような姿だった。

 その四足歩行型の山田さん生物は、顔が山田さんで、体は馬のような、通称「山田さん馬」だった。

 山田さん馬が数十頭群れをなして、悠々と街中を歩いていた。

 まるで、サバンナの中を歩くシマウマにも似ていた。

 と、その時だった。

 後方にいた山田さん馬がいななくと、突然かけ出した。

 何かを警告するように。

 いななきに後押しされるように、他の山田さん馬たちも全速力でかけだしていった。

 山田さん馬たちはあっという間に見えなくなった。

 その代わりに、猛獣の唸り声が聞こえてきた。

 そこに駆け込んできたのは、数頭の、体はライオンで、頭は山田さんの「山田さんライオン」だった。

 山田さんライオン(雌)は、他には目もくれず、一目散に山田さん馬の後を追う。

 もちろん、山田さん馬を捕まえて、その肉を食べるためだ。

 山田さん生物の分裂と突然変異、そして進化は、今やこのような食物連鎖さえ生み出していたのだ。

 物陰でぼくはこの世界を眺めつつ、なんとも言えないうっとりとした気持ちでいっぱいだった。

 ああ……。山田さんがこんなにいっぱい……! これがぼくの望んだ世界だ……!

 うっとりしながら、別の方向に目をやった。

 そして手にしていた双眼鏡を目につけた。

 まだ残っている電柱に張り巡らされた電線の上を、山田さん猿が数匹、軽快に飛び回っている光景が、双眼鏡越しに飛び込んできた。

 さらにその上に目をやると、巨大な山田さん鳥が数羽、街の上を優雅に飛び回っていた。

 まさにここはジャングル。

 山田さん生物が縦横無尽に生きる、コンクリートのジャングルだった。

「素晴らしいよ……! 山田さんが街に溢れてる……! 素晴らしいよ……!」

 ぼくはそうひとりごとを言いながら、空いていた拳をぐっと力強く握りしめた。

 次元を超えた美しさを持つ、山田さんの顔や体をした生物は、はたから見れば奇妙で気持ち悪いものかもしれない。

 しかしそれがいいのだ。動物の体に山田さんの顔がぴったりとハマっているというこの感じ! これよ! これこそが大自然の奇蹟というものだ!

 ぼくがこぶしをさらに強く握りしめた時だった。

 むっ、真後ろに山田さんの気配!

 これは!?

 ぼくが期待に打ち震えながら、体ごと双眼鏡を後ろに向いた時だった。

「柏木くんって、ほんっとうに私に夢中なのね……」

 突然、暖かい声でそう言われたので、双眼鏡を外して目の前を見ると。

 もふもふとした赤いセーターに、ぴっちりとした青いジーンズを見事に着こなした、山田さん本人がそこに立っていた。

 次元を超えた美しさを秘めた美少女の顔。

 わずかに動く動かし方と角度を持った首。

 どんな服を着ていても似合うモデル体型の体と大きな胸。

 ぴっと綺麗に伸ばした背の伸ばし方。

 大きく膨らんだ二つの胸が、綺麗にゆっくりと上下する呼吸のリズム。

 健康的かつゆるやかな美的曲線を持った長い足。

 美しくつるっとした手と指。

 どれもこれも、素晴らしいぼくらのオリジナル山田さんじゃないですか!

「ああ、お……、山田さんじゃないですか!」

 と、視線をヌメ回すようにして山田さんの全身を見て、もう一度顔を見た時だった。

 大きな違和感を感じたのだ。

 そしてその違和感の源に、〇.〇五秒で気がついた。

「あれっ? 山田さん、髪切りました?」

「ええ……。学校が休校になってから、すぐにね……」

 そう言いながら、山田さんは遠い何処かを見た。

 山田さんは長い艶をたたえた黒髪を切り、美的曲線を持った顔の輪郭に沿うようなラインのショートヘアにしていた。

 うーむ。ショートヘアの山田さんも、とても美人だ。

 しかし、どこで髪を切ったんだろう?

「ああ、学校、すぐに休校になっちゃったからね……。でも街があんなになってすぐに出かけられたね?」

「家が美容室だし……」

「そうだったっ!」

 ぼくは小さく舌を出す。

「でも、なんで髪切ったの?」

「だって、私と同じ顔があちこちにいるじゃない。せめて、髪型ぐらいは違っておきたいなって……」

「そっかー。でもショートヘアの山田さんも、とても似合っているよ」

「そう?」

「うん、本当だよ」

「へぇ……」

 そう言うと山田さんはさらに遠い何処かを見た。

 なぜそんな物憂げな顔をするんだろうか?

 でも、そんな物憂げな顔も、可愛くて愛おしいよ。山田さん。

 山田さんはその物憂げな表情で少し考えると、

「柏木くんは、避難しないの? 街には避難命令が出されているわ。危険な状態なのよ」

「だって、山田さんと山田さん生物たちがいるんだもん。避難する理由がないよ!」

 ぼくは間髪入れずに返事をした。

 だって、こんなに愛おしい山田さんが増えたのに、逃げるななんてありえないじゃないか。

 そう続けようとした時だった。

 遠くにクォーンという重低音が響いた。

 あれは、と思った次の瞬間だった。

 ゲームやアニメなどで聞いたことのある、しかし数十倍も大きな、衝撃を伴った爆発音。

 触れていられないほどの痛い熱さ。

 某アーティストの真似をしたくなるような猛烈な風。

 嵐の時の雲のように何もかも遮るまっ黒な煙。

 この四つが、同時に襲いかかってきた。

「のうわぁっ!」

「きゃあっ!」

 ぼくらははかない枯れ葉が飛ぶように、吹き飛ばされた。

 ……。

 くっ。

 どれくらいたったのだろうか。

 口中の違和感で気がついた。

 口が砂とかホコリだらけだ。

 立ち上がりながら、つばを何度も吐いた。

 行儀が悪いけど、そうも言ってられなかった。

 頭がボクサーの連打を浴びた後のようにくらくらした。

 耳元で甲高い金属音がヘヴィメタルを響かせていて、何も聞こえやしなかった。

 そんなことより、山田さんは!

 山田さんはどうなったの?

 全身の痛覚を何者かに押されるような感覚を味わいながら、ようやくのことで立ち上がり、あたりを見渡した。

 耳もどうにか聞こえ始めてきていた。

 山田さんは……。

 二つの目という探査装置でくまなく探した。

 いた! ぼくより遠くの道路上で倒れてる!

 見たところ、大きな怪我はなさそうだった。

 でも、心配だ。

「山田さん! 山田さん!」

 ぼくは、体力測定で百メートル走をする時よりも全速力で、山田さんのそばに駆け寄った。

 赤ちゃんを抱きかかえる時のように、丁寧に抱き起こした。

 そっと胸に耳を当てる。静かに心臓のリズムが脈打っている。

 ほっ。山田さん、生きてる。

 そう思うと同時に、山田さんのかぐわしい体の匂いが鼻に届いた。

 やっぱり、はちみつの甘い匂いだ。

 んんんー。気持ちいい……。このままこの匂いに包まれていたい……。

 と思った時だった。

 もそっ、と何かが動く音と感触がした。

 と同時に、強い意志を秘めた視線がぼくに刺さる。

 ぼくの視線を上に上げると、まさに驚愕、と言った面持ちの山田さんと目があった。

「……なに変なことしてんのよっ!?」

 ぼくは思いっきり突き飛ばされた。

 近くの建物の壁まで突き飛ばされて、壁にたたきつけられる。

「ぐはあぁっ!」

 背中に強烈な痛みがァッ!!

 肺から空気が抜け、呼吸がしばらくできなかった。

 それでもぼくはよろよろと生まれてすぐに歩く動物のように立ち上がり、とびっきりの笑顔を山田さんに見せる。

 さすがは山田さん、偉丈夫だぜ……。

 山田さんは起き上がりながら、相変わらずね、とだけつぶやいた。

 それから何かに呆れた顔をして、

「だから危険だと言ったのに。今日の朝、山田さん生物駆除のために、米軍が攻撃するって言ってたじゃない」

 ぼくに向かってそう言った。

 米軍……? そういえば……。

「そういえば、一昨日自衛隊が駆除しようとして失敗していたっけ。分裂と進化を猛烈なスピードで繰り返す山田さん生物は、核でも使わないと無駄だというのに……」

 ぼくがぼやいたその時だった。

 先ほどの爆発と地響きが、少し遠いところで数回連続して発生し、その衝撃がぼくらがいる方に向かって波のように押し寄せた。

 比較的遠くの方だったけど、ぼくらは立っていられず思わずよろけた。

 おっ、チャーンス!

 山田さんとさらに親密になれる絶好の機会だ!

 ぼくはよろけながらその力を利用し、山田さんに近づいた。

 そして、よろけた山田さんを支えようとしたが……。

 なんと山田さんは、ぼくの手からするりとすり抜けた。

 そして二本の足で、踏ん張った。

 素晴らしい足の踏ん張りようだ……!

 ぼくが感動したと同時に、真上からゲームとかで聞いたことのある爆音が重なって鳴り響いた。

 見上げると、飛行機が四機飛んで行った。

「あれか……。米軍の飛行機というのは……」

 その時、飛行機とは別の轟音が、近場から飛んできた。

 瓦礫が崩れる音に続けて、ライオンにも虎にも似た、生き物の咆哮がした。

 咆哮を受け、黒い巨体がそのビルが崩れた場所から立ち上がった。

 土煙がもうもうと立ち込める。

 土色の煙が晴れると、そこに立っていたのは、巨大な竜≪ドラゴン≫だった。

 もちろん、その顔は山田さんだった。

 山田さんドラゴンは一吠えすると、その体よりもはるかに巨大な翼を動かし、瓦礫の山から飛び立った。

 それから大きく息を吸う仕草をすると、空を飛んでいた戦闘機に向かい何かを吐いた。

 それは。

「つ、つばを吐いた!?」

 そう、山田さんドラゴンが吐いたのは、火の息とかではなくつばだったのだ。

 だがそのつばはめちゃくちゃ速く、音速近い速度で飛んでいたであろう戦闘機に直撃した!

 つばが命中した戦闘機は、バランスを失い、グルグルと回転していきながら落ちていった。

 その途中で何かが打ち出され、バラシュートの花が開いた。

 ほっ。乗っていた人は無事みたいだ。

 ぼくは一安心して胸をなでおろした。

 ドラゴンは飛び回りながら、飛んでいる戦闘機に向かって勢い良くつばを吐きつづけた。

 最初の一撃で警戒した模様で、他の戦闘機はドラゴンより優れた速度で逃げまわっていた。

 と同時に、気の抜けた花火のような音と同時に、遠くで再び爆音と黒煙がいくつも上がった。

 空からの攻撃ではないようだ。

「遠くからの砲撃かな……」

 そう思う間にも、幾度となく爆発と黒煙と振動のコラボレーションは続いた。

 しかしその灰と煙と炎の中から、何体もの巨体が立ち上がった。

 山田さん生物が強烈な刺激を受けた結果、分裂と突然変異と進化を遂げて、巨大化したのだ。

 竜や恐竜、熊、多頭竜ヒュドラなどといった、実在や空想上の動物に似た姿に変化を遂げた山田さん生物は、刺激を与えた対象に向かって吠えた。

 空気と瓦礫と大地を震わせる、大音響があたりに鳴り響いた。

 そして思い思いの方向へと、一歩を踏み出す。

 巨大怪獣となった山田さん生物は、もはや手が付けられなかった。

 ぼくはその光景に、心が震えた。

 これは、だめかも、しれない。

 そう思うと、ぼくの足が、体が、震えた。

 人類の通常の武器では、歯がたたない。

 攻撃しても、分裂して進化してしまう。

 そんな山田さん生物たちに、どう勝てというのか。

 でも心の別面では、そんな山田さん生物たちが素晴らしい、とも思った。

 米軍でも勝てない最強の生物。それが山田さん生物。

 彼女らの誕生と進化に立ち会ったぼくは、なんて幸運なんだろう。

 自分の思いをそう肯定すると、身と心が、もう一度震えた。

 その時、ふとオリジナルの山田さんのことが気になって、視線をそちらに向けた。

 遠くの山田さん生物たちを見つめる山田さんの顔は、物悲しさに満ちあふれていた。

 その物悲しさが、山田さんの美しさをさらに素晴らしいものにしていた。

 まるで、ハリウッド映画のスター女優のようだった。

「山田さん……、ぼくは……」

 ぼくは一言、声をかけた。

 ぼくはこの時、言おうとしていた。

 大事な言葉を。

 しかし、それを言おうとした時、山田さんは遠くからぼくの方へと視線を向けた。

「待って」

 彼女の顔と口調には、大きな覚悟に満ちていた。

 その覚悟に、ぼくはためらった。

 言いたい言葉を言うのを止めた。

 ぼくの言葉を制した山田さんは、どこかへ出かけるような口調でぽつり、と言った。

「あのね。私はあなたにお別れを言いに来たの。私はこの街に残ります」

「え?」

 その時、山田さんの方からぼくの方に向かって、風がひとつ、強く吹いた。

 ぼくは耳を疑った。

 お別れを言いに、だって?

「どうして?」

「私の分身のもとへ行ってみて、みんなが暴れるのを止めたいの」

 そんなことだろうとは、ぼくは思った。

 責任感が強くて、クラスでもまとめ役だった山田さんのことだ。

 自分の分身がしでかしたことに、痛烈な責任を感じているんだと思う。

 ぼくは山田さんを強く見つめた。

「だからか……」

「だからよ。だから私は、ここに残るの」

 別れの時にしては、そっけない口調で山田さんがそう返した時だった。

 先ほどの米軍の攻撃による砲撃とは別種の、連続した地響きがこちらに近づいてきた。

 そちらの方を見ると、ティラノサウルスにも似た生物がぼくらの方へ近づいてきていた。

 恐竜の、山田さんが。

 その山田さん恐竜は、その巨体をぼくらの前で立ち止まらせると、体と首をおもいっきり地面の方へと下げた。

まるで、よく調教された象が人間を乗せるときのようだった。

 山田さんはごく当たり前といった風情で、山田さんの顔のティラノサウルスの元へと歩んでいった。

 山田さん、行っちゃうのか……。

「待って!」

 ぼくは叫んだ。

 しかし、ぼくの呼び止めを無視して、山田さんは、

「じゃ、行くわね。……さよなら」

 そう一言だけ言うと。山田さんは山田さんティラノサウルスの頭にまたがった。

 ショートヘアの黒髪が綺麗に揺れる。

 山田さんティラノサウルスは、よく調教された動物のように、一定の早さでゆっくり立ち上がった。

 そして、山田さんティラノサウルスが、笑った。

 その時、ぼくは見たんだ。

 ここから見えていた、山田さんドラゴンや、山田さん巨大熊や、山田さん怪獣などが、一斉にぼくの方を向き、笑ったのを。

 ……山田さんたちが、笑った?

 ああいう姿でも、やっぱり山田さんは、山田さんなんだ。

 ぼくが感心する間に、山田さんを乗せた山田さんティラノサウルスは、軽快な足取りで瓦礫の街中へと遠ざかる。

 ……このままじゃいけない。このままさよならを言う訳にはいかない!

 伝えなきゃ、ぼくの言葉を!

「山田さんっ!」

 そう決心したぼくは次の瞬間、かけ出した。

 想いを乗せた全速力で、先を行く山田さんティラノサウルスを追った。

 走る。追う。走る。追う。

 けれども、山田さんとぼくとの間はどんどん開いていった。

 それでも……、ぼくは……! 山田さんと一緒にいたいんだ!

 しかし、ぼくの前に倒れた電柱がいくつも折り重なっていた。

 山田さんティラノサウルスは悠々とそれを乗り越えると、そのままの勢いで走っていった。

 ぼくがなんとか電柱の山を乗り越えた後には、既に、山田さんたちは姿を消していた。

 ぼくは彼女が姿を消した後も、その場に立ち尽くしていた。

 街は、山田さん生物の鳴き声と、爆弾などが炸裂する音、戦闘機が上空を飛び回る音などが、山田さんの物語のBGMを奏でていた。

 みんなのために、身を投じた山田さん。

ああ、なんという自己犠牲精神だろうか!

 だからぼくは山田さんのことが、大好きなんだ!

 もし山田さんにもう一度会えるなら、ぼくは山田さんに言えなかったことを、今度こそ言おう。

 そう、強く誓った。

 好き、だと。


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