第2話 山田さん、さらに増える。

「先生、山田さんがまた増えてますよ!?」

 教室にいた女子生徒の、空気をつんざくような悲鳴で、他の生徒がまたかよ、という手慣れた様子でざわめいた。

 山田さんが、また増えたの!?

 ぼくも後ろを振り向くと、山田さんが、また増えていた。

 授業中、倉庫から持ってきた椅子に座っていたそれぞれの山田さんが、気がついたら八人に増えていたのだ。

 もちろん、アホ毛はそのままだ。

 そう、既にもう一回分裂し、そしてたった今、さらなる分裂を終えたところらしいのだ。

「……え、えええ!? 増えたんですか!?」

 男の教員がその声で振り向くと、悲鳴を上げておびえた。

 先生は既に話には聞いていたけど、その場に見てしまうというのは、やはり驚くものだとは思う。

 今は午後の授業中で、いつもならけだるいというか、眠たげな空気が教室を支配しているはずだった。

 しかし、この日は違った。

 山田さん複製体という異物が、教室に緊張感を与えているのだ。

 教室には生物学や化学の教員が控えており、ビデオカメラを回しながら山田さん複製体の様子を観察していた。

 気持ちはわかるけど、まるで授業参観か犯罪者の監視じゃないか。これじゃあ。

 クラスのみんなが、困っているじゃないか。

 なにより、山田さんたちがかわいそうだろう……。

 そんなことを思っていたぼくの思惑をよそに、山田さん複製体は、

「「「「「「「「先生、座る椅子がないんですけど……」」」」」」」」

 とか細く声を上げた。

 ああ、そんなところが可愛いよ、山田さんっ。

 その時、ふと、何か憂鬱な空気を感じた。

 ぼくの隣、オリジナルの山田さんの席からだ。

 そちらの方に視線を向けると、山田さんが黒板の方を見ながら、物憂げな表情をしていた。

 ぼくはそんな山田さんを見ながら思った。

 山田さん……。

 この物憂げな表情も、ああ、また可愛らしいなあ……。

 しかし……。

 このまま山田さんが増え続けると、どうなっちゃうんだろう?

 衣食住はどうするんだろう?

 さっき生物学の先生が、どこかの研究所に電話したとか言っていたけど、そこに預けたりするのだろうか……?

 そこでぼくはある仮定に気がついて、背中が震えた。

 もしかして、いろいろな実験に使うとか!?

 それって、モルモットじゃないか。

 ……させない。そんなこと、山田さんたちにはさせない!

 ぼくは次の瞬間、音を立てて椅子から立ち上がった。

 そして叫んだ。

「ここから逃げよう、山田さんたち! このままいると、君たちは人体実験させられちゃうよ!」

「「「「「「「「えっ!?」」」」」」」」

 その瞬間、教室がざわっ、と揺らめいた。

 それぞれが回りにいる誰かを見て、囁き合った。

 あいつ、ついに狂いやがった。

 ぼくはそのざわめきに構わず、山田さんたちに向かって続けた。

「生物学の先生とかは、ビデオを回し続けているだけじゃなく、どこかの研究所に電話して山田さんたちを連れて行こうとしているんだ!」

「「「「「「「「なんですって?」」」」」」」」

「何を言ってんねん君! わしはただこの生物学的に重要な謎を解明しようとしているだけやねん!」

 ぼくの言葉に、下手くそな大阪弁丸出しの生物学の先生がカメラから目を離して抗議する。

 だが、構わなかった。

 世界を敵に回しても、ぼくは、山田さんたちを守りたい。

 そう思っていた。

 強く願っていた。

 だから。

「逃げよう!」

「えっ!?」

「「「「「「「「はいっ!」」」」」」」」

 ぼくはオリジナルの山田さんの手を取り、立ち上がらせ、教室からかけ出した。

「柏木くん! ちょっと、待ちなさい!」

 授業の先生の悲鳴のような叫びが聞こえてきた。

 だけど構わない。

 ぼくはぼくの信じた道をゆくんだ!

 ぼくらの後を、八つの足音が続いた。

 ふと横を見ると、何をしてるの……? というオリジナル山田さんの顔がそこにはあった。

 ぼくはその不安な表情をかき消そうと、満面の笑みを送った。

 それでも、山田さんの表情は変わらなかった。

 そうだよな。


 山田さん、自分が人体実験されるかもしれないと思っているから、不安なんだ。

 ぼくがそばに居てやらないと。

 そんなことを思っていると、いつの間にかぼくらは学校の玄関を飛び出していた。

 ちょっと、息が苦しい。

 一息つくか……。

 ぼくは足をゆるめた。

 大きく息を吸ったり吐いたりしながら、後ろを振り向いた。

 山田さん複製体たちも、玄関から駆け出してきたところだった。

 みんな捕まっていないらしい。

 よかった。

 ぼくが安堵のため息をついたときだった。

 山田さんたちの体が、一斉に小刻みに震えだしたのだ。

 そして次の瞬間、肌や服の隙間からさっきの白い液体がにじみ出たかと思うと、「山田さんたち」の体をあっという間に包み込んでしまった。

 またか!?

 また増えるのかよ!?

 しかしさっき増えたというのにまた増えるなんて!

 今度は突然変異とか、進化したりして!?

 もしかして、刺激とか激しい運動とかをしたりすると、山田さんは自己増殖を始めるのか?

 それって単細胞生物?

 ぼくとともに、オリジナルの山田さんも、息を呑んで山田さん達のまゆの様子を見守っている。

 かつて「山田さん」たちだった白いまゆ達は、もぞもぞと動きながら、次第に横に大きくなってゆく。

 まゆは山田さん二人分から少し大きい大きさになると、大きくなるのをやめ、真ん中から割れ始める。

 そして引き裂かれた白い膜の間から現れたのは、二人の山田さんだった。

さっきは八人だったのだけど、それが倍になって十六人。

 十六人の、山田さん、だったのだが……。

「わーい、仲間が増えたわっ、わーい」

「どうしてこんなに増えてるのよ!? わけわからないわよ!?」

「なんでこんなに増えちゃってんのよ……。悲しい……」

「ふふっ、仲間が増えて、嬉しいわ」

「……」

「柏木おにーちゃん。あそぼっ」

「ふふっ、坊や。いいことしましょっ」

「あ、あんたなんか、好きじゃないんだからねッ!」

「モーッ」

「ガウゥ……」

「コケコッコー」

「ワンワン!」

「ウッホウッホ! ウッホウッホ!」

「ブーブー」

「チュンチュン! チュンチュン!」

「ワタシハヤマダサンデス。コマンドヲドウゾ」

 喜怒哀楽がそれぞれ激しいのとか、無口とか妹とかアダルトお姉さまとか、ツンデレの山田さんはいいとして、口から牙が生えていたり爪が鋭くなって四本足で歩いていたり、背中から翼が生えていたり、さらにはロボットみたいな山田さんが生まれていた。

 まさかこれ、突然変異とか進化か……。

 山田さん複製体自身を、ひとつの単細胞生物とみなせば、そういう進化とかもありえるわけだけど……。

 ぼくはそう納得しつつも、唖然として口を開けていると、

「さあっ、私達は自由よっ! 行きましょっ!」

「「「「「「「「「「「「「「「はいっ(ワオーン)!」」」」」」」」」」」」」」」

 喜の山田さんがそう言うと、校門へと向かって走り始めた。

 この中ではリーダー格であるらしい喜の山田さんの後を追い、山田さんたちは一気にかけだしていった。

 立ち尽くすぼくとオリジナル山田さんを通り越し、校門の方へと向かっていった。

 あ、山田さんたちが!

 これは追わないと!!

 ぼくはオリジナル山田さんの手を離すと、山田さんを追う。

「ちょ、ちょっと待ちんさい! どこへ行くねん!?」

 後を追って生物学の先生たちもやってきたが、その制止の声を無視するかのように、十六人(?)の山田さんたちは、街中へと散らばっていった。

 走る。走る。走る。

 ゼーハーゼーハー、ゼーハーゼーハー……。

 一生懸命追いかけたけど、山田さん達の早さは尋常ではなく、全員見失ってしまった。

 なんて早さだ。人間じゃない。これも山田さんが次元を超えた存在だからに違いない。

「あー、どうしてくれるねん!? 生物学的な大発見やったのに!!」

 追いついた、大阪弁の生物の先生が、怒り心頭でぼくを睨みつける。

 山田さんも、他の先生達とともにぼくに追いついていた。

 しかしぼくが、

「まあまあ先生。放課後、山田さんたちを探しに行きましょうよ。そんなに遠くに行ってないはずですよ。この街が大好きで、帰りに必ずあちこち寄り道する山田さんのことですし」

 なだめる声色でそう言うと、山田さんの顔が真っ赤になった。

 あれっ?

「あらっ? 山田さん、褒められて恥ずかしくなっちゃった? ふふっ、この山田さんウォッチャーのぼくは、何でも知っていますからね」

 ぼくが胸を張ってそう答えると、山田さんは大気圏突入する隕石のように顔を真赤にして、

「……柏木くんの莫迦!」

 そう一言叫んだ。

 同時に左頬に強い衝撃が来た。

 ぶべっ!?

 一瞬、何をされたのかわからなかった。

 が、すぐに理解した。

 山田さんが、ぼくを殴ったのだ。

 殴った後、山田さんは振り返ると、大きな足取りでその場を去っていった。

「ちょ、ちょっと待ってよ山田さん!?」

 なんで!? どうして!? 山田さんを褒めたのにどうしてぶたれるの!?

 わけが分からず、ぼくが山田さんの後を追おうとしたその時だった。

 騒ぎを聞いたらしく、その場に駆けつけていた担任の菊池先生(女性・永遠の十七歳)に、鬼のような大気を震わせる恐ろしい声で呼び止められた。

「柏木」

 ぼくは抗いがたい声に足を止め、恐る恐る振り返った。

「……はい?」

「ちょっと生徒指導室な」

 その後、生徒指導室で小一時間にわたり、菊池先生(女性・最近周りの結婚話が気になっている)と生物の先生と生徒指導の先生などに、タップリと絞られた。

 ……あんなに恐ろしい先生たちは、初めて見た。

 本当に、怖かった……。

 が。

 それより恐るべきことが、既に始まっていたのであった。

 山田さんたちの、の手によって。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る