第10話 キンモクセイ

 甘い香りというより、苦かった。


-------------------- 『空白』


 愛香ちゃんに写真を向けた、思った通りに驚いた顔をしていた。

 「これ聖也、じゃ、ないですよね?」

 「うん、違うよ。彼の名前は『大西祥太』。私におにぎりと珈琲を教えた人で、私の初恋の人。」

 「その人に会えなくて、それで聖也で満足してたんですか?」

 「しょうがないでしょ、会えないんだから。聖也くんで心満たしても。」

 「最悪です、会いたいけど会えないからって甘えてるだけじゃないですか。そんなので聖也をそんな気にさせないでください。」

 「遠いから会えないんじゃなくて、一生会えないのよ。」

 「どういう、」

 と呟くと愛香ちゃんいきなり口を閉ざして、目を見開いて手を口に当てた。

 「1年ほど前、死んだの。病気で。そして店前に植えてあったアネモネは祥太にもらったものだったの。」

 愛香ちゃんに謝ってほしいから、聖也くんにこれからも会いたいから言ったんじゃない。

 本当に愛を持っている彼女だからこそ言った。何も知らないで人を悪にするなんて彼女にとって損しかなかったから。

 木で作られたカウンターの色がポツポツ濃くなる。

 すると愛香ちゃんは小さく、でも力強く「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も呟いた。


 私のせい?あなたのせいかな、私以外の女の子を泣かしちゃったね。祥太。


-------------------- シオン『君を忘れない。』


 5年前に遡る。

 大学のサークルで出会ったのが始まり、彼は肌が白くて、透けて消えていきそうなくらい、掴めなさそうなくらい、美しい存在だった。


 「僕の名前は大西祥太、よろしく。君は?」

 「私は七海、岸本七海。下の名前で呼んでくれてもいいよ。」

 呼んでくれてもいいというより、呼んで欲しかった。

 一目惚れをして、その時からずっと好きなんだから仕方ないよね。

 初めて入ったサークルは珈琲研究の活動がメインで、どの品種がどんな味か、どの食べ合わせが1番美味しいのか。なんてことを毎週のようにしていた。

 「お昼ご飯それだけで足りるの?祥太くん。」

 「君付けはやめてって言っただろ、七海。足りるよ、元々小食だからね。」

 「おにぎり2個かー、栄養偏りそう。ザ日本人って感じだね。」

 「いや、そんなこともないよ。」

 そう言って一緒に飲んでいた水筒の中を見せてきた。そこには真っ暗の液体が入っていて、匂いが伝わってきてやっと気づいた。

 「珈琲?おにぎりと?合わないよそんなの。」

 「僕は好きだから、一緒に飲んでるだけ。」


 試しもしなかった、絶対まずいのだから。


 いつからだろう。会って1年になろうとしていた時、祥太は私の前から消えた。いや、みんなの前から消えたんだ。

 サークルを辞めただけだと聞いていたのに大学を退学したということまで耳に入ってきて、私は苦悩でしかなかった。まだ時間があると思って告白をしなかったのに、連絡先を聞かなかったのに。

 後悔しかなかった。


 私はOLになるも合わなくて、1年で会社を辞めて23歳からカフェを開くことにした。

 どこにでもあるようなサンドウィッチやケーキ、そして少しはこだわりのある珈琲。

 客は全くこないというほどてはないが少なく、またOLにでも戻ろうとと考えていた時、彼が現れた。

 「え?祥太くん?」

 「七海!」

 こんな形で再開するなんて思わなかった。会社を辞めて正解だったんだ。そう思った。


 彼は重病を患っており、大学を辞めざるを得なかったのだ。

 大学の時の話で盛り上がった、友達の話、サークルの話、珈琲の話。

 そしておにぎりと珈琲の組み合わせの話。

 祥太はたまたまここに来たらしく普段は遠い所に住んでいるらしかった。

 今回ばかりはと思い連絡先を交換して、彼は店を後にした。


 思い切ったことだって私も思ったし、周りも思った。

 祥太が毎日のように来てくれればいいなと思い、彼の住む街に店を移したのだ。

 それから祥太はほぼ毎日のように珈琲を飲みに来て、お互い大学の時のりも仲を深めていった。

 「最近お客さんがまた減ったの、祥太はどうしたらいいとおもう?」

 「そうだなー、おにぎりカフェにするとかはどう?」

 ただの冗談だったのか、しっかり考えた答えだったのか。

 わからないけど彼の案だということで店を『おにぎりカフェ』に改名し、珈琲に合うおにぎりを研究した。


 連絡はつくけど少し店にこない日が続き、久しぶりに来てくれたと思えば車椅子を使っていた。


 「足、動かなくなっちゃって困ったよ。」


 笑いながら言ってたけど。辛かったよね多分。

 それからは車椅子でも毎日のように来てくれて、おにぎりと珈琲を食べては飲んだ。


 1年ほど楽しい日々を過ごして、また祥太がこなくなったと思うと非通知で電話が来た。

 「祥太の母です、あなたが七海さんね。よく話を聞いていました。」

 胸の高鳴りというのは、興奮して、ドキドキしているという意味ではなくて、胸が今止まりそうなほど強く動いているということ。

 「祥太は、昨日死んだの。よかったら葬式に来てくれないかしら、きっと喜ぶだろうし。」


 綺麗だった。美しかった。

 外傷も無ければない部位もないからそのままで棺桶に入っていた。

 あの時より一層白さは増しているけど、それでも好きだった。

 愛してた。


 11月、まだ早い雪が嬉しくて。

 2人で撮った写真があって本当によかった。

 でも、思いを伝えることはもう一生ないんだ。


 葬式が終わり、帰り際に祥太のお母さんに止められて一つの封筒を渡された。

 「これ、あなたに書いてた遺言なの。私はみてないから、みてあげてね。」

 

 見れるわけもなかった。怖くて怖くて、仕方なかった。


 だからあれからずっと、私は読めずにポケットに手紙を入れている。

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