第2話

 数分間、右へ左へとファイアボールを躱しながら逃げ回っていると、ふと、あることに気付いた。

 

 ──あれ、俺、こんなに速く走れたっけ?

 いや、走れなかったはずだ。転生する前は。

 

 それに、全く息が上がらない。今に至るまで必死で疑問にも思わなかったが、なんだ、これ? まだまだ、いくらでも逃げ続けられる気がする。

 

 ファイアボール!

 ファイアボール!

 ファイアボール!

 

 ──っ!

 それにしても、しつこい! あいつはあいつで、決して遅いわけではない。俺の獣人のイメージよりは遅かったというだけの話で、むしろ全然速い。

 

 だが、俺はそれよりも速い。速いのだが、ファイアボールのせいで蛇行を強いられている。そのせいで完全に振り切ることができない。

 

 というか、森の中でファイアボールって、馬鹿なのかあいつは。当たりどころ次第で、簡単に森林火災に繋がるぞ。──今のところ、無事みたいだけど。

 

 そんなことを考えていた、その時だった。

 

「あっ!」

 視線の先に、景色の変化を捉えた。

「出口だ!」

 

 累計、もう何発目か分からなくなったファイアボールを躱して、森を抜ける。

 抜けた先は、平原だった。

 

 これであいつも追ってこないか?

 ──などという淡い期待を当然のように裏切って、獣人はなおも追いかけてくる。

 

 本当にしつこい──と思って後ろを確認すると、異変に気付く。

 

 ──あれ?

 あいつ、さっきまでファイアボールを詠唱する時には、両手を広げていたよな?

 なんであいつ、手を組んで──まさか!

 

「ファイアレイン!」

 

 クッッッソ!

 そうか、そうだったのか!

 あいつは最初から計算して、森の中ではファイアボールを使っていたんだ。森を燃やさないように。

 

 でも今は、障害物のない視界の開けた平原。広域魔法を存分に使える状況ってわけだ!

 

「……駄目だ。終わった」

 

 ファイアボールよりは小さいが、しかし、レインというだけのことはある量の、火の雨が頭上から降り注いでくる。

 もう、駄目だ……!

 

『プロテクション!』

 

 ────⁉

 なんだ? 俺の周りに、円形の膜のようなものが……!

 

 獣人のファイアレインは、膜に触れると次々と蒸発するように消えてしまった。

 一体、何が起きた?

 

 しかし、答えはすぐに分かった。

 逃げる先に、一人の女性が立っていた。今度は獣人ではなく、俺と同じ人間のようだ。

 

 近付くと「下がっていなさい!」と言われたので、そのまま横を通り過ぎる。

 そして、その女性から十分に離れた位置で停止した。

 

「ぬっ⁉ お前は⁉」

「フリーズランサー!」

 

 女性がフリーズランサーなるものを発動すると、追いかけてきた獣人の周りに、少なく見積もっても十本以上の、巨大な氷柱が現れた。まさに、氷の槍だ。

 

 その氷の槍は全弾、獣人へと向かっていく。

 もう俺にも、どうなるのかは想像できた。

 反射的に、片目を瞑る。

 

「ぐぎゃああああああああ‼」

 獣人の、断末魔が聞こえてきた。

 

「すげえ……!」

 と言うと同時に、エゲツない、とも思った。

 非情さが、ではない。自身がフリーズランサーの餌食になる場面を想像してしまったからだ。

 

 女性が振り向き、こちらへと近付いてきた。

 そうだ、この人は命の恩人だ。ちゃんとお礼を言わないと。

 

「あ、あの! ありがトゥッ⁉」

 思いっきり、左頬にビンタを食らってしまった。

 同い年くらいの、若い女性から、ビンタを。

 

「あなた、何を考えているの⁉」

「えっ……」

「えっ、じゃないでしょ! なんでコボルトの森に入ったりしたの⁉」

「えっ……コボル……えっ……」

 

 いや、ちょっと、待って。

 理解が追いつかない。

 あれが、コボルト? コボルトって、割と雑魚の代名詞的な、あの? あれで、雑魚なの? それとも、この世界のコボルトは上位種族なの? いや、というか、ビンタされた、痛い、じゃなくて、この状況でなんて言えばいいんだ? 気付いたら森の中にいましたって、怪しすぎるし、でも事実だし、どう弁明したら…………あっ、でも、まずは──

 

「ごめんな──」

「あなた!」

「は、はいっ⁉」

「あなた、もしかして何か、その、訳ありだったりするの?」

 

 お、おう……⁉ なんか、鋭いな、この人。……いや、単純に警戒しているだけかもしれないけど。

 ……でも、利発そうな顔立ちをしている。ここは下手に取り繕うよりも…………よし。

 

「は、はい。実はその、僕自身、混乱の真っ只中でして……何も、分からないんです」

「何も、分からない?」

「はい……ここがどこなのかも、自分がなんでこんなところにいるのかも、何も……」

「……これは相当、訳ありみたいね」


 なんとかして、この世界のことを少しでも知らないと。情報がないままに無頼で一から楽しむ、なんていう余裕はない。とにかく情報がほしい。

 

 暫く、沈黙の時間が流れる。

 先に折れたのは、女性の方だった。

 

「…………分かったわ。付いてきなさい」

「──っ! 良いんですか⁉」

「このまま放ってもおけなさそうだし、まあ、悪人ってわけでもなさそうだしね」

「あ、ありがとうございますっ!」

 

 じゃあ、と女性は平原の先を指差す。

「あそこ、見える? 町があるでしょ?」

 

 町? 言われて、女性が指差す方向を凝視ぎょうしする。

 …………ああ、確かに、小さくポツンと、人工物のようなものが見える。

 

「はい、見えます」

「じゃあ、あそこまで走ってもらうわよ」

「……えっ、走るんですか? ……遠く、ないですか?」

「大したことないわよ。それにあなた、森を抜けてここまで走って逃げてきたんでしょ? その割に、全然疲れていないじゃない」

 

 ……そう言えば。

 全く疲れていない。息も整っている。

 どうなったんだ、俺の身体は。

 

「分かりました。走ります」

「オッケー。じゃあ、ちょっと待ってね」

 

 …………?

 なんか、詠唱し始めたぞ?

 

「グラウンドダッシャー!」

 

 …………えっ? 俺の視線が、巨大化する生物でも見上げるように上がっていく。

 地面が隆起して、女性が、頭上に……⁉

 

「じゃあ、行くわよ。付いてきなさい!」

 

 そう言うと、そのまま女性は、地面ごと前進し始めた。しかも、速い!

 

「ちょっ⁉」

 ──仕方ない! 後を追うしかない!

 Bダッシュ走法だ!

 

 全力で前を行く女性を追いかける。これ、三十キロくらいは出ているんじゃないか? ……でも、付いていける。追い付いて、並走できている。

 

「──あのっ!」

「ん? 何?」

「失礼ですが……それ、僕も乗ることとかは……できないんでしょうか?」

「ああ、ごめんね。これ、一人乗りなんだ」

 

 そうですか、と小さく頭を下げて諦める。

 もちろん、この女性に悪気はないんだろうけど、セリフだけ聞くと、新手のス○夫みたいだな。

 

「あっ、そうだ!」

 

 と言うと、女性は移動しながら、また何かを詠唱し始めた。

 

「ビルドアップ!」

 

 詠唱した何かは、隣を走る俺に向けて発動された。

 ──っ⁉ これは⁉

 

「どう? 楽になったでしょ?」

「は、はい! なんか、身体が、うんと軽く……!」

身体しんたい能力を向上させる補助魔法だからね」

「あ、ありがとうございます!」

 

 これは、凄い。今まで以上に疲れなくなった。足はせわしなく動いているのに、脳と心臓は平常運転って感じだ。

 今なら、フルマラソンを全力疾走で走り切れる気さえする。

 

 しかし、間もなくして早くもマラソンはゴールのようだった。

 プロのマラソンランナー以上の速度で平原を駆けること五分、距離にして三キロ弱といったところだろうか。俺たちは、町の入口に到着した。

 

「お疲れ様。ここがあたしたちの町──リンドブルムよ!」

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