横文字だらけの魔法世界に転生したのに俺ひとり漢字だらけの武闘家

遥川貴斗

第1話

「ねえ、ちょっと⁉ 本当に大丈夫なの⁉」

「大丈夫です! 今なら負ける気はしません!」

「今ならって……あなた、ついさっき自分の力を自覚したばかりじゃない!」

「それで充分です! 僕の力、実戦でお見せしますよ!」

 

 いける、大丈夫だ。本当に負ける気がしない。

 ガーゴイルが何十匹いようが関係ない! 好きなだけ、まとめてかかってこい!

 

「地獄コンボを見せてやる!」

 

 

 

 さかのぼること、二時間前。

 俺は気付いたら森の中にいた。

 

 当然、来たことも見たこともない森だ。

 というか、森自体、来るのも見るのも初めてだ。

 だから、森か林かも分からない。 

 

 十数秒、茫然自失ぼうぜんじしつとしていたところで、あっ、と思い出す。

 恐る恐ると、右手で額を触ってみる。

 痛みはない。血も出ていない。

 次いで、後頭部も…………傷一つない。

 

「……おい! おいおいおい! おいっ⁉」

 待てよ、ちょ、待てよ!

 これ、まさかの、まさかなのか⁉

 いや、だって、さっきまで俺、新宿にいたんだぞ⁉

 

 まあ待て、落ち着け。記憶を整理してみよう。

 俺は、大代大吾おおしろだいご、二十三歳。

 東京都練馬区在住のフリーター。

 ……俺、大代大吾、だよな? 俺は、俺だよな? ああ、頭が混乱する。

 

 えっと、今日は日曜日で、新宿の老舗ゲームセンターの大会に出場したんだよ。『ストレートファイターⅦ』の店舗予選大会に。

 

 猛特訓して大会に臨んだ甲斐もあって、優勝できたんだよな。最終戦で劣勢から最後にカウンターかまして……あれは、気持ち良かったなあ…………って、そうじゃない!

 

 それで、次はエリア決勝だ! って言って、意気揚々と、寄り道もすることなく帰路についたんだよ。次に向けて早速特訓だー、って。

 

 で、都営大江戸線で練馬に帰ろうと、地下鉄の階段を降りようとしたところで…………押され、たんだよな。そう、押されたんだよ、後ろから。明らかに、手で。

 

 それから……は、もう、記憶らしい記憶もないな。最初に額を打って、世界がぐるぐると回って、最後に後頭部に、頭蓋骨を直接ハンマーで殴られたような振動と痺れを感じて…………気付いたら、ここにいた。

 

「……転生だろ、これ。異世界転生だろ、これ!」

 

 嘘だろ、おい⁉ つまり、俺は死んでしまったのか。いや、実感としては生きているけど。生きているけど、死んでしまったのか。

 

 本当は今、集中治療室で生死の境を彷徨っていて、ここは俺の精神世界で……って、そっちの方がリアリティがないな。夢の中でこんなに思考を巡らせるかって話だ。

 

 だとすれば。

 本当にあったのかよ、異世界転生なんて……。

 

 身体からだを確認してみると、服装はそのままだった。至ってシンプルなヨニクロのTシャツとジーンズ。血も付いていないし、破れもない。

 

 ただ……気のせい、か?

 中肉中背だったはずの俺の身体が、少し引き締まっているような……。ガチムチでもマッチョでもないが、細マッチョくらいには。なんとなく、力が増している気がする。

 

 あっ、そうだ、転生と言えば!

 と、顔をペタペタと触ってみる。

 髪……目……鼻……口……耳……輪郭……うーん。

 鏡がないのでなんとも言えないが…………多分、変わっていないな。イケメンでもない、不細工でもない、いつも通りの俺の顔って感じだ。

 

 改めて、周囲を見渡してみる。

 パッと、ぐるりと見渡す限りでは……うん、森だな。

 森の広さも自分の位置も分からないが、見えるのは木々だけだ。さて、どうしたものか。

 

 とりあえず、このままここにいても仕方がないし、適当に方向を定めて歩いてみるか。ヘングレ方式で、草や葉っぱを散らしながら進もう。

  

 そうと決めて、その辺の草をぶちぶちと千切っていると──

 

「おいっ!」

 ビクッ!

 

 声をかけられた。

 ぎこちなくゆっくりと、声のした方向を見てみると、そこには、明らかに人間以外の何かが立っていた。そして人語を喋っている。

 

「人間がこの森で何をしている?」

 ほら、やっぱりこいつは人間じゃない……なんて言っている場合じゃない!

 

 ヤバい! いきなりこれはヤバい! まだこの世界のことはおろか、自分のことも分かっていないのに。

 この、いかにも獣人って感じのこいつが敵なら、いきなり俺の転生人生が終わるかもしれない。

 

 頼む! 実は友好的な種族であってくれ!

 

「人間は、殺す!」

 はいっ! 駄目でしたっ!

 

 逃げないと! なんとかして逃げないと!

 でも、無理だろ。どう考えても。

 俊敏な脚に追い付かれて、鋭い爪で切り裂かれる。そうなるとしか思えない。

 

 と、思ったら。

 

 その獣人はその場に立ったまま、なにやらブツブツと呟いている。両手を広げて、掌を空に向け、何かを唱えている?

 

 まさか⁉

 

 そのまさかだった。

 獣人の掌に、ボッと、ソフトボールサイズの火球が出現した。魔法だ!

 

「ファイアボール!」

 

 獣人は、火球を携えたその右手をこちらに向けると、叫びながらその火球をこちらに飛ばしてきた。

 

「うおおおお⁉」

 

 火球は、横っ飛びした俺のすぐそばを抜けて、巨木に命中した。ギリギリのところで気付けて助かった──が、まだだ。すぐに体勢を整える。

 

「ファイアボール!」

 

 続けて左手の火球を撃ってきた。

 もう一度、横っ飛びでそれをかわすと、今度は地面に命中した。蛙にでもなった気分だが、格好をつけていられる場面じゃない。

 

「チクショー!」

 獣人はその場で悔しがっている。距離を詰めてきたりはしない。

 

 二発目が命中した地面を一瞥いちべつすると、草や落ち葉は燃え尽きてしまったが、地面に穴が空いたりはしていない。火球も霧散してしまった。

 

 一発目が命中した巨木も、当たった部分がプスプスと焦げてしまってはいるが、貫通も炎上もしていなかった。

 

 なるほど……あの火球、ファイアボールは文字通りに火の球であって、漫画で見るようなイメージほど質量を有しているわけではないのか。

 

 とは言え、やはり当たるわけにはいかない。

 まだこの世界における自身の肉体の防御力も分かっていないし、あのファイアボールになんらかの副次効果がある可能性も否定できない。

 

 と、なれば。

 

「次は当ててやる!」

 そう言って、また獣人は詠唱をし始めた。

 こうなれば、道は一つ!

 

「三十六計逃げるに如かず!」

 

 こうなったら逃げるしかない!

 体力が続く限り、どこまでも!

 

 俺が背を向けて逃げ出すと、獣人は詠唱をしながら走って追いかけてきた。

 

 くそっ! 精神集中のために詠唱中はその場を動けない、なんていう都合の良い設定はなかったか。

 

 でも──

 

 俺が速いのか、獣人が遅いのか、瞬時に間合いを詰められるということはなかった。むしろ、引き離せそうだぞ?

 もしかしたら、このまま逃げられ──

 

「ファイアボール!」

「わああああ⁉」

 

 ファイアボールは、かなりの速度で真っ直ぐに俺を目掛けて飛ばされてきた。走るルートを右にずらすことでなんとかそれを避ける。

 

 まずいぞ! 速度もだが、命中精度がかなり高い! もっと盾になる木々の多いところに──いや、駄目だ。地の利はあいつにある。複雑なルートを選択したがために回り込まれたり、あいつに仲間がいて、挟まれたり囲まれたりしたらアウトだ。

 

 それに幸い、俺の逃げるスピードの方が速い。なら、火球を避けつつも、できる限りは真っ直ぐに逃げるべきだ。少なくとも、自分で曲がっていると自覚できるようなルートを選択するべきではない。

 

 獣人は二発目の、累計四発目のファイアボールを撃ってきた。今度は左にずれてそれを躱す。すると、障害物に当たることなく直進するファイアボールは、ある時点でフッと、消えてしまった。

 

 くそっ! 間違いない!

 異世界だ……!

 ここは異世界で間違いない!

 今ので、種も仕掛けもないと確信した。

 あれは、魔法だ!

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