第377話 フラッシュモブ
実証研究館に入り、荒瀬主任の研究室のドアを叩いた。返事があり、二人は中に入る。
「おおっ、本物のクロエだ」
「荒瀬殿、呼び捨ては失礼でござるぞ」
「すいません。ファンだったもので」
伊丹たちがここに来たのは、クロエのハスキーボイスの原因を調べる為である。ここの研究施設には人間の魔導細胞を調べられる装置があり、それでクロエの身体を調べようと思い付いて来たのだ。
ハスキーボイスが急に出るようになった原因として考えられるのは、ポリープや結節などの身体異常がある。
但し、魔力に関連している事を考えると魔導細胞が関連していると思われるので、ここの装置で魔導細胞の分布を検査し医者に判断して貰おうと思ったのだ。
大量の魔粒子を必要とする試作装置は、実証研究館へ移され研究が続けられている。魔力反応検出装置もその一つで、医療関連開発チームの眞鍋主任が担当している。
荒瀬主任は医療関連開発チームの研究室へ伊丹とクロエを案内する。実証研究館の奥にある部屋で、厳重なセキュリティが設けられていた。
「眞鍋主任は居る?」
荒瀬主任が声を掛けると、何人か作業をしている研究室のスタッフが、パソコンを睨んでいる四〇歳くらいの背の高い女性に視線を向けた。
「何?」
眞鍋主任がパソコンから目を離さず声を上げる。
「連絡した魔力反応検出装置の件だけど、用意出来てる?」
眞鍋主任がやっと顔を上げ、伊丹とクロエを見た。
「伊丹さんとクロエさんですね。お待ちしていました」
そう言うと立ち上がり、実験室に案内した。そこにはMRIのような装置が有った。この魔力反応検出装置は磁気の代わりに魔力を使って検査する。
この装置の特色は、少量の魔導細胞でも検出可能な事だ。他にも血管に活性化魔粒子溶液を注入し、血管の詳細な状態を調べる事も可能である。
クロエは台の上に横たわり、魔力反応検出装置の検査を受けた。
「この装置に危険はないのでござるか?」
「有りません。MRIのように金属が駄目という事も有りません」
検査の結果、クロエの声帯の一部が魔導細胞に変換している事が判明した。
「クロエさんのハスキーボイスの原因は、この魔導細胞が関連していると思われます。意識的に声帯の魔導細胞に魔力を流し込むようにするとハスキーボイスが出るかもしれません」
医学に詳しい眞鍋主任による説明を聞いて、クロエが頷く。
ついでに伊丹も魔力反応検出装置の検査を受けた。その結果を眞鍋主任は見て、
「何ですかこれは。ほとんどの筋肉が魔導細胞に変換されているじゃないですか。本当に人間なの!」
「失礼でござるな。ちゃんとした人間でござる」
伊丹の事はさて置き、クロエの声帯の一部が魔導細胞になっているという発見で、クロエは声に魔力を乗せるやり方のコツを掴んだ。
数ヶ月の修行は必要だったが、自由自在にハスキーボイスを発せられるようになる。
修行期間が終わり、クロエは再び歌手として活動を開始する事になった。とは言え、案内人助手の仕事を辞める訳ではない。
伊丹と相談し、半々くらいの割合で両方の仕事を続ける事にした。最初の歌手としての仕事は、某音楽大学の学生と組んでフラッシュモブを仕掛ける事である。
フラッシュモブというのは、雑踏の中の歩行者を装って通りすがり、人が集まる場所で突然パフォーマンスを披露し立ち去る事である。
クロエがフラッシュモブを行う事にしたのは、話題作りの一つとしてである。世間ではクロエが芸能界を引退した事になっており、復活したと知らせたいのだ。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
ある日の午後、繁華街の駅前にある広場に大勢の大学生らしい姿があった。買い物に来た主婦たちが多く行き来しており、学校帰りの小学生や中学生の姿も有る。
広場のベンチに座っていた女子大生がケースからヴァイオリンを取り出し、情緒溢れる音色を響かせ始める。道行く人々や広場に居る人たちは、路上ライブでも始まるのかと思い視線を向ける。
だが、立ち止まるような人は少なかった。
「ママ、あれ何?」
「ヴァイオリンよ。路上ライブでもやるのかしら」
ヴァイオリン奏者の横に、チェロを抱えた男子学生が現れ弾き始める。他にヴィオラなどの弦楽器、フルート・オーボエなどの木管楽器、金管楽器、打楽器が持ち込まれる。
彼らが奏でている曲はパッヘルベルのカノンだと、道行く人々の何人が気付いただろうか。
この頃になると広場に居た人々が、演奏している学生たちの周りに集まって来て見物を始めた。中にはスマホで動画を撮り始める者も現れる。
「本格的じゃない」
「あの人、カッコいい」
集まった女子中学生が、小さな声を上げた。
楽器奏者のすべてが出揃い準備が整った所で、ちょっと商店街に買い物に来たというような地味な格好をしたクロエが登場した。サングラスを掛けている以外は普通の若い女性である。
周りの人々はクロエだと最初は分からなかったようだ。
『アメイジング・グレイス』の曲が奏でられ始め、クロエが歌い出した。
その歌声を聞いた周囲の人々は、ゾクッとするような感覚を味わう。その声には何らかの人を惹き付ける響きがあり、耳にした人々は聞き入ってしまう。
クロエの歌声に惹かれて人々は集まり、広場を埋め尽くすほどとなる。そして、クロエが歌い終わった時、大きな拍手が沸き起こった。
「あの人、クロエじゃない」
「まさか」
クロエに気付いた者が現れ始める。
次の曲が始まった。『ユー・レイズ・ミー・アップ』という曲である。この曲は有名で今までに様々なアーティストがカバーしていた。
女性が歌う場合、澄んだ高い声で歌う事が多いのだが、クロエはわざと低い声で歌い始める。だが、その声には独特の艶があり、クロエの持ち味を出していた。
しかも、例のハスキーボイスが混じり始めると、聞いている人々の身体の中に声が染み込むように響き渡る。
「ステキ……」
誰かが呟いた。クロエが歌い終わった直後、少しの間余韻に浸った観衆が大きな拍手の音で広場を満たした。
フラッシュモブは大成功を収め、参加した音大生とクロエは蜘蛛の子を散らすように退散した。
後日、そのフラッシュモブを記録した映像が、ネットにアップロードされ評判となる。クロエは歌手活動を再開出来るという手応えを感じた。
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