第376話 クロエの声

 R再生薬が同僚の大臣たちとの間で話題となった時、偽物だろうと貴岬大臣は思ったと話す。

「その後、厚生労働省が本物だと確認した時は、世界中が凄い騒ぎになると思ったものだ」

 夫の話に貴岬夫人が頷く。


「実際にそうなりましたよ。テレビで『R再生薬は本物か』とかいう番組まで放送されていました」

「それ、私も見ました。何とかという教授が絶対に偽物だと主張していた番組ですよね」

 クロエも番組を見たらしい。貴岬大臣は伊丹に目を向けた。


「そうすると、君たちは相当な利益を手に入れた事になる」

「勘違いされておられる。拙者たちがR再生薬をマナ研開発に売った後に、オークションに出したので、利益を上げたのはマナ研開発でござる」


 貴岬夫人が思わず声を上げる。

「まあ、もったいない」

 貴岬大臣は首を傾げる。

「何故、そんな事をしたのかね。自分たちでオークションに出したら、相当な利益が手に入れられるのは判っていただろうに」


「マナ研開発の黒翼衛星プロジェクトに、多額の資金が必要だったからでござる」

「君とマナ研開発はどんな関係にあるのかね?」

「拙者はマナ研開発の大株主の一人でござる」


「そうだったのか。マナ研開発は閣議でも話題になったよ。とんでもないものを開発しているようだね」

「マナ研開発は魔粒子を生産し販売している会社。黒翼衛星プロジェクトは魔粒子を生産する工場を建設しているだけでござる」


「その工場が実証テストをして、世界中を驚かしたようじゃないか?」

 伊丹は苦笑した。その件はミコトから聞いている。黒翼衛星装置の不具合から発生した現象が各国の監視者に見られ大変な騒ぎとなったと聞いた。


「あれを兵器だと言い出す者まで現れたそうでござるが、間違いなく魔粒子を生産する装置でござる」

 貴岬大臣は承知していると答えた。


「だがね。他国政府の中には、未だに兵器だと疑っている所もある」

「困ったものです。本番機が完成したら、そんな疑いを払拭する為に、公開テストを行うとミコト殿と相談していた所でござる」


 貴岬夫人はクロエの方に視線を向ける。

「ねえ、R再生薬やマナ研開発の事は聞いていたの?」

「おおよその事なら聞いてました。でも、あんまり興味なかったから」

 貴岬夫人は溜息を吐く。


「若いっていいわね。R再生薬は年配の友人たちの間で、凄く話題になっていたのに。伊丹さん、R再生薬はもう作らないのですか?」


「あれは希少な原料がないと作れないのでござる。偶然手に入れる機会が有れば、また作る事もあるかも知れませぬが、今のところは作る予定はござらぬ」


「残念ね」

「おばさん、R再生薬が欲しかったの?」

「当たり前でしょ。二〇歳も若返るのよ」


 R再生薬とマナ研開発の話が終わり、話題がクロエの事に移った。

「クロエ、夢だった歌手の道は諦めたのか?」

 貴岬大臣が幾分心配そうな顔で尋ねた。


「諦めていません。今もボイストレーニングや修行をしています」

 クロエが人前で歌えなくなった事を知っている貴岬大臣と夫人はホッとした。

「ボイストレーニングは判るが、修行とは何だ?」


 クロエは武術関連の修行や声に魔力を乗せる修行を話す。貴岬大臣は伊丹の方を睨む。

「……異世界で生活する為に、武術関連の修行をしているというのは理解する。だが、声に魔力を乗せる……クロエをセイレーンにでもするつもりなのかね」


 セイレーンとは、船で航海中の人々を美しい歌声で惑わし遭難させるギリシャ神話の怪物である。クロエは誤解しているらしい伯父に説明する。


「違います、声に魔力を乗せる事が目的じゃないの。声に魔力を乗せた時に出る特別な声を出す修行なのよ」


 クロエは日本に居る時も声に魔力を乗せる修行をしている。日本において、活性化魔粒子を吸収すると同時に、薫から習った<魔粒子活性循環マナアクティブ>を行う事で魔法が使えるようになっていたのだ。


 最初に日本で魔法が使えるように訓練した時、薫から言われ<魔粒子活性循環>を使わずに魔法を使えるようにならないか色々試してみた。


 だが、上手くいかなかった。<魔粒子活性循環>なしで魔粒子と魔力を制御するには、相当高度な魔力制御の技術が必要で、そこまでの技術があるのはミコトと薫、それに伊丹の三人だけのようだ。


 貴岬夫人がクロエの歌を聞きたがり、クロエは文部省唱歌の『朧月夜』を元に作られた曲を歌った。


 その歌の中で、ほんの一部分だけだが声に魔力が乗り、神秘的な響きを持つハスキーボイスが発せられた。その声を聞き心を揺すぶられた貴岬夫人は、目に涙を浮かべる。


 それに気付いた貴岬大臣が、

「おいおい、何泣いているんだ。クロエがまた歌えるようになったんだぞ。笑顔で『おめでとう』と言う所だろう」


「でも、本当に歌えるようになったんだと知って、嬉しくて」

 クロエは本気で喜んでくれる二人に深く感謝した。食事の後、少しだけ話しをしてクロエと伊丹は帰った。


 翌日、伊丹とクロエは黒翼衛星基地を訪れる。マナ研開発の専用ヘリで送って貰ったので昼頃には到着した。


 上空から黒翼衛星基地を見ると、山に囲まれた土地に道路が作られ、その道路沿いに大きな倉庫のような建物と高い煙突が完成している。


 中央にある小山を囲むようにドーナツ状の建物が建設中で、その山頂には巨大な塔が完成していた。伊丹は巨大な塔を指差す。


「あれが黒翼衛星装置の本番機でござる」

 クロエは感心したように頷く。

「大きなものなんですね」


「R再生薬で稼いだ利益のほとんどを注ぎ込んで、建設している施設でござるからな」

 税金で取られるくらいなら全部使っちゃえという勢いで、何社も土建会社と建設会社を入れ建設工事を行わせている。


 作られたばかりのヘリポートに着陸し、実証研究館の方へ歩く。伊丹が周りを見回すと、双眼鏡を手にした監視者たちがジッとこちらを見ていた。人数も多くなり、図々しくも山の中にテントを張って見張っている。


「あいつら隠れる気がないようでござるな」

 クロエも監視者たちを見た。

「芸能人の追っかけみたいな人たちですね」


「そう言えば、クロエと最初に会った時も、追っかけが居たでござるな」

「ファンの一人には違いないんですが、時々節度のない迷惑な人も居ます」


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