第285話 クロエの魔法使い(宴会芸)

 チケットのもぎりをしているスタッフに、

「拙者はクロエ殿から魔法使いと呼ばれている者でござる」

 スタッフが面食らったような顔をした。だが、ハッと真顔に戻ると伊丹を入口の脇に案内した。


 そこで質問をするらしい。スタッフとの話を聞いていたファンたちががやがやと騒ぎ始めていた。中には、また偽物じゃないかと言っているファンもいる。


 クロエのマネージャーが呼ばれ、メガネを掛けた三〇代後半の女性がやって来た。マネージャーと二人だけになると名前を聞かれた。


「伊丹と申す」

「失礼ですが、甥御さんの名前を教えて下さい」

「サトルでござる」

 マネージャーはニッコリと笑う。


「ようこそ、魔法使い様。お待ちしておりました」

 マネージャーが伊丹を中に案内するのを見て、ファンたちが驚きの声を上げている。

 伊丹はコンサート場の最前列の席に案内された。


 コンサートが始まり、クロエがステージに現れると盛大な歓声が上がった。彼女は伊丹の方を見てニッコリと笑う。


 クロエの歌は甥のサトルが言ったように素晴らしかった。彼女の声には独特の艶があり、情感を込めて歌う歌には魅せられた。


 コンサートは盛況のうちに終わり、伊丹は楽屋に招かれた。ステージ衣装を着替えたクロエは伊丹に会うと深々とお辞儀をした。


「あの時は、ありがとうございました」

 病院で別れた後、彼女は伊丹を探していたようだ。しばらく話している内にツアーが終わった後、クロエが休みを取る話が出た。


「イギリスにでも行くか。異世界にでも行こうと考えているの」

 何故、イギリスと異世界なのかは分からなかったが、ゆっくりとした休息を取るならイギリス、刺激を求めるなら異世界なのだそうだ。


「異世界に行くのなら、JTGの者を紹介するでござるぞ」

 クロエは不思議そうな顔をした。

「古武術の師範ではないのですか?」


 病院で会った時、伊丹は古武術を教えていると言っていたからだ。伊丹はJTGの関係者であると教えた。JTGには案内人以外にも大勢の職員がいる。

 そんな職員の一人だと思われたようだ。


 その時、楽屋の外から騒ぎが聞こえて来た。

 マネージャーが確かめると会場に数十人のファンが残り、その中の一人が自分はクロエの魔法使いであるので、クロエと会わせろ騒いでいるらしい。


 伊丹とクロエ、マネージャーがステージに行くと一人のファンがステージに上り、少しだけ残っているファンに向って訴えていた。


 クロエは溜息を吐くと前に出て、ステージにいるファンに話し掛けた。

「ごめんなさい。私が探していた魔法使いは、この人なんです」

 伊丹は魔法使いと呼ばれるは不本意だったが、クロエの横に立った。


 魔法使いだと喚いている男は二〇代前半の若者だった。

「そんなの嘘だ。オッさんじゃないか。クロエの魔法使いに相応ふさわしいのは僕だ。見てくれ、魔法だって使えるんだ」


 そいつが左手を突き出すと指先に炎が灯った。蝋燭の炎のようなゆらゆらと揺れる炎である。ファンの中から手品じゃないのという声が上がる。


 次の瞬間、左手全体が燃え上がり大きな炎となる。ファンの間で、あっと言う驚きの声が上がった。

「見ろ、魔法だ」

 ドヤ顔で自慢する偽物。ファンが騒ぎ出した。その中の一人が、

「オッさん、魔法使いだと言うなら何か見せてみろよ」


 嫌な雰囲気である。何か見せないと場が収まらない感じだ。

「何を言っているんです。私が、魔法使いはこの人だと言ってるんですよ」


「……でも、ファンとしては納得出来ません」

 何が納得出来ないのか。伊丹には理解しかねた。

「あのファンの者たちは、何が納得出来ないと言っているのでござるか?」

 伊丹がマネージャーに尋ねる。


「クロエにとって特別な存在である魔法使いが、伊丹さんみたいな普通の人だというのがしっくり来ないのですよ」


 伊丹の格好は、Gパンに革ジャンというありふれた格好である。

「普通だと言われたのは久しぶりでござる」

 マネージャーは『ござる』と言われて苦笑いする。


「そうかもしれませんね。魔法でも見せて貰えると納得すると思うんですが」

 どうやら冗談を言っているらしい。


 やれと言われれば、魔法を見せるくらいは簡単だが、わざわざ目立つ事をしたくはない。ただでさえアメリカ軍や自衛隊から注目されているのだ。東條管理官からも行動を慎めと注意されていた。


 手品を見せたファンがクロエに近付き、

「このオッさんのどこが特別なんだ。クロエの魔法使いには俺を選んでくれよ」


 クロエの魔法使いイコールクロエの特別な人と思われているようだ。それに先程からオッさん呼ばわりされて伊丹は不機嫌になっていた。


「何が魔法使いでござるか。ちゃちな手品を見せて喜んでいる小僧に、オッさん呼ばわりされるいわれはない。辞めて頂こう」


「手品だと俺の炎の魔法を……」

 伊丹がそいつをジロッと見て、

「異世界に行った事もないようだが、それでも魔法が使えると言うのでござるか」


 伊丹は、そいつの気配から『魔力袋の神紋』さえ授かっていないのが判っていた。

「ふん、お前は何も知らないようだな。異世界の魔法はドラゴンを倒さないとリアルワールドでは使えないんだぞ。俺が使うのは地球産の魔法だ」


 地球産の魔法と聞いて、西洋魔術や陰陽道を考えたが、そんなものを実際に使える人物に会った事はなかった。やはり手品だろう。


「どうだ、驚いたか。悔しかったら、オッさんの魔法を見せてみろよ」

 安っぽい挑発だった。だが、何だか面倒臭くなった伊丹は、魔法を披露しようと決めた。東條管理官の顔が脳裏をよぎった。───後で始末書を書くとしよう。


「よかろう。拙者の魔法を見せてやろう」

 先に小僧が手品を見せているので、見ている連中は本物の魔法だとは思わないだろう。


 ミコトと薫の二人と一緒に開発し一度だけ披露した後、封印した魔法を発動させる。両腕を頭の上で交差させ、二つの掌から青白い炎を放出する。


「そ、そんな炎は、俺の真似じゃないか」

 伊丹は小僧を一睨みし、青白い炎を変化させる。二柱の炎は絡み合い両翼を広げた竜に姿を変えた。見ていた人々が驚きの声を上げる。


 青白い炎の竜は小僧目掛けて飛ぶ。ヒッと声を上げた小僧はコンサートホールの出口目掛けて逃げ出した。


「ご、ごめんなさ~い」

 逃げ出した小僧の声が聞こえて来た。伊丹はクロエとマネージャーに笑い掛けた。


「どうだったかな。炎の宴会芸1号は?」

「えっ、宴会芸」

 マネージャーが驚いていた。この魔法は宴会芸として開発したものである。忘年会で披露したのだが、会場となった趙悠館の庭で発動したら、周りの住民にも目撃され大変な騒ぎとなってしまった。


 その時はミコトと一緒に披露したのだが、結局二人で周辺の住民に謝って回る羽目になった。


 この炎の竜は宴会芸なので四メートルほどしか前に進まない。見応えのある綺麗な炎なのだが、攻撃魔法ではないので実用性はゼロである。

 この一件でクロエの魔法使いは凄いと評判になった。


 その評判を聞いた後、伊丹は反省した。どうやら、二度めの『竜の洗礼』を受けた伊丹も、身体の内部に溢れる力の影響で、精神が興奮状態になりやすいらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る