第231話 伊丹の休日(2)

 乱取り稽古を止めさせた結城は、武道場中央に進み出た。ジョゼフが上着を脱ぎシャツを腕まくりして前に出る。男は大柄で鍛え上げられた胸板の厚みは結城の二倍は有りそうだった。


 結城は伊丹の方を振り返り、弟子たちに紹介していないのを思い出した。

「伊丹先輩は私の兄弟子で、現代の武士を目差している人だ」

 伊丹が頭を下げる。


「拙者、伊丹源治でござる。よろしく頼む」

 弟子たちの間から、笑いと挨拶が返って来た。この反応は慣れたものなので無視する。


「伊丹先輩、審判をよろしく」

「承知した」

 伊丹は立ち上がり両者の中間に進み出ると試合開始の合図を叫ぶ。


「始め!」

 日本語だったがジョゼフにも分かったようだ。ゆっくりと円を描きながら相手の周りを移動し始める。ジョゼフが軽いジャブで牽制しながら間合いを縮める。そして、一歩踏み込み回し蹴りを放った。


 結城は上半身を後ろに反らして躱す。ジョゼフが鍛え上げた筋力を活かし素早く懐に飛び込み右ストレートを放った。結城がパーリングで弾こうとしたが、力に押されてバランスを崩す。


 筋肉の一部が魔導細胞に変化しているジョゼフのパワーは結城の予測を越えていたようだ。チャンスだと思ったジョゼフは結城に掴み掛かる。結城は冷静だった。掴み掛かる手を捻り重心を崩すと投げた。


 ジョゼフの身体が畳の上を転がった。バンと音がして、ジョゼフが弾けるように飛び起きる。

『チッ、油断したぜ』


 ジョゼフは何度も攻撃を仕掛け、その度に投げられた。最初は冷静さを保っていたジョゼフも、投げられる度に怒りが胸の奥に溜まっていき顔が鬼のような形相へと変化する。そして、遂に切れた。


 危ないと感じた伊丹は試合の終了の声を上げる。

「そこまで!」

 結城が身体を引き、ジョゼフに向かって頭を下げる。


 その瞬間、ジョゼフが信じられない速さで結城に体当りした。結城の身体が吹き飛ぶ。それは人間離れしたパワーとスピードだった。


 倒れた結城に、ジョゼフが襲い掛かった。

「ストップ!」

 伊丹がジョゼフを止める。ジョゼフのタックルは結城の肋骨を折っていた。


 しかし、ジョゼフは攻撃を止めない。倒れている結城の背中を踏みつける。弟子たちの間から悲鳴に似た声が上がる。


「ストップ! 止めろ!」

 伊丹がジョゼフの肩を押える。ジョゼフは腕を振り回し伊丹の手を弾いた。

「おい、通訳の人。彼を止めろ」


 通訳の男はうんざりしているような目でジョゼフを見ると鋭い声で叫んだ。たぶん止めるように命令しているのだろうが、ジョゼフには聞こえていないようだ。


 舌打ちした伊丹は、なおも結城を攻撃しようとするジョゼフの金的を蹴り上げる。奇妙な声で悲鳴を上げたジョゼフが涙目になって畳の上に倒れた。顔から嫌な汗を噴き出し身体を震わせている。


「酷い」

 男子高校生らしい弟子が呟くように言う。

「酷くはござらん。このように理性を失って暴れている男には、これが一番有効なのでござる」

 伊丹は倒れている結城を助け起こし、弟子たちに手伝って貰い道場の隅に運ぶ。


 伊丹が結城の具合を確かめていると背後でジョゼフがのそりと立ち上がった。

「$#&%$#」

 言葉にならない怒声を上げるジョゼフ。伊丹は結城の傍を離れ、ダリルの方へ向かった。何を言っているのか通訳して貰おうと思ったのだ。


 突然、ジョゼフが伊丹に向かって突撃する。結城にも有効だったタックルを敢行したのだ。そのスピードは結城の時より速かった。


「伯父さん、危ない」

 心配そうに叫ぶ甥の声が聞こえた。伊丹はステップして躱し足を引っ掛けた。ズザーッと頭からスライディングするジョゼフ。伊丹は追い駆け二度目の金的蹴りを決める。

 ジョゼフが白目を剥きピクピクと痙攣を始めた。


 弟子の一人が股間に手を当て呟く。

「二度も金的なんて」

 伊丹は弟子たちの方に振り返り。

「我が流派のトドメは金的と決まっているのでござる」


 伊丹の冗談だったが、弟子全員が引いた。

「何て嫌な流派なんだ……」

 本気にされてちょっと困ってしまう伊丹だった。


 サトルがキラキラした目をして近寄って来て。

「凄かった。伯父さんはゴブリンも今みたいにして倒したの?」

 教育上、駄目な事をしたかもしれないと反省する。


「異世界での拙者の武器は刀でござるから、バッサリと斬ったぞ」

「ふーん、そうなんだ」


 その会話を聞いたアメリカ人の通訳が割り込んで来た。

「失礼ですが、あなたは異世界に行った事が有るのですか?」

 甥との会話を聞かれたに違いない。ここは正直に答える。


「ああ、以前に依頼人の護衛として異世界を訪問した経験がござるが……何かな?」

 ダリルは倒れているジョゼフを目線で指し。

「彼のハンターとしての実力をどう思いますか?」


 伊丹はジョゼフのパワーやスピードを思い出す。リアルワールドで人間離れしたスピードを出せるのは多くの魔導細胞を持つからだろう。


「なんとかオーガを倒せる程度でござろうか。パワーやスピードには目を見張るものがござったが、戦闘技術はあまり評価は……」


 ちょっと言い過ぎたかと心配になる。ジョゼフが強力な神紋を持ち、魔法で魔物を薙ぎ倒す可能性も有ったからだ。


「まあ、彼が熟練の魔導師だという可能性もござるので、正確な判断は難しい」

「いや、彼の戦闘スタイルは剣士だ」

 ダリルはジョゼフの方を見てハズレだったかと密かに舌打ちする。今回アメリカ国内から荒武者を中心に十六名を選び、ダリルのような調査官がハンターとしての力量を調べている。


 ダリルが日本で調べているのは、ジョゼフが日本へ武術見学旅行に行く予定があり、その予定に合わせただけで、日本で調査する意味はない。


 誰が呼んだのか。救急車が到着し救急隊員が担架を持って現れた。伊丹は結城を救急隊員に預け、ジョゼフをどうするかで悩んだ。


「私の車で病院に運びましょう。伊丹、お手伝い願いますか」

 ダリルは伊丹に頼んだ。行き掛かり上仕方なくジョゼフを車まで運ぶ。サトルも付いて来ていた。


「さあ、病院に行きましょう」

「拙者も行かねばならんのか?」

「彼が暴れだした時に、止める者が必要です」


 最近、伊丹は病院を避けていたのだが仕方ない。サトルを置いていく訳には行かないので助手席に乗せ、自分はジョゼフと一緒に後部席に座る。


 無事にジョゼフを病院に送り届け、待合室でサトルと一緒に一休みしていた時、ちょっとした有名人と遭遇した。


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