第230話 伊丹の休日

 伊丹は久しぶりに自宅に帰った。地方都市の郊外に在る古い日本家屋にほんかおくで、広い庭が自慢出来るだけの家だった。この家には父親と妹夫婦、その子供が農業をしながら住んでいた。


「おや、兄さんじゃないの。珍しいね」

 妹の妃兎美ヒトミが伊丹を見付けて声を上げた。

「ああ、久しぶりに休暇が取れたのでござる」

 伊丹の武士言葉にも慣れたもので、ヒトミは平然としている。


「ふーん、何をやっているのか知らないけど忙しいのね」

 伊丹はJTGで案内人をしている事を家族にも隠していた。因みにミコトの護衛兼助手から正式な案内人へと今回昇格した。東條管理官が仕事を評価したからであるが、正式な案内人を増やし受ける依頼を増やしたいと考えているようだ。


「そんなに忙しいなら、儲かってるんでしょ。家を補修する費用を出してよ」

「いくら必要なのでござる?」

「八〇〇万くらいよ」


 伊丹が持つ資産のほとんどは迷宮都市に有る。それでも銀行口座には二〇〇〇万円以上の残高があり、有価証券としてマナ研開発の株券も持っていた。この株券は、薫が『神意文字の知識』を手に入れた時の報酬だと言って伊丹に渡したものである。


 ミコトと薫、伊丹の三人で宝珠の間に現れた黒骨兵を倒し、『神意文字の知識』が込められた『知識の宝珠』を手に入れた。『神意文字の知識』を得なければ、マナ研開発の設立はなかったのだ。


 薫からは絶対に値上がりするから売っては駄目だと言われている。

「いいぞ、口座番号を教えてくれれば振り込んでおく」

 ヒトミは冗談半分で言ったのに、兄が即座に応じたので驚いた。

「兄さん、何処の銀行を襲ったの?」


 伊丹がジト目で妹を睨む。

「妹とは言え、失礼千万でござるぞ」

「兄さんがどんな仕事をしているか、教えてくれないからでしょ」


「契約で喋ってはいけないとなっているので、仕方ないのでござる」

 ヒトミが肩を竦め呟くように言う。

「まあいいわ。それよりサトルが異世界に行った時の事をまた話して欲しいと言っていたわよ」

 甥であるサトルは、伊丹の事を本当の武士だと思っている節がある。


 サトルが小学校から戻って来た。三年生の甥はランドセルを放り投げると。

「伯父さんだ。僕にチャンバラを教えてよ」


 伊丹は甥からチャンバラとは何かを聞いて、ちょっと困った顔をする。甥が言っているチャンバラと言うのはスポーツチャンバラの事で、専用ゴムチューブを布で覆ったエアーソフト剣で戦う競技である。小学校で流行っているらしい。


 伊丹が修行している古武術とはかけ離れた存在で、どう教えたらいいかわからない。

「伯父さん、スポーツチャンバラはやった事がないのでござる」

「でも、武士なんでしょ」


 ヒトミが肩を震わせ笑い始める。

「アハハハ……サトル、武士は本物の刀で戦う人の事よ。エアソフト剣じゃゴブリンだって倒せないわよ」

「ふうーん」

 サトルは納得していないような感じで返事をする。


「伯父さんはゴブリンを倒した事……ある?」

「ああ、何匹も倒しているでござるよ」

「オークは?」

 伊丹は頷いた。


「だったら、ドラゴンはどう?」

 息子の質問に兄が困っているのを見て、

「サトル、ドラゴンなんて倒せるわけないでしょ。ドラゴンはすご~く強い魔物なんだから。倒したら魔法が使えるようになるくらいなのよ」


 伊丹は複雑な表情を浮かべた。仕留めたのはミコトだったが、一緒に灼炎竜と戦い『竜の洗礼』を受けている。一応ハンターギルドからも竜殺しの称号を授かっているのだ。


 伊丹が考え込んでいる間に、サトルが母親の腰に抱き付き、明日の土曜日に何処かに連れて行ってくれとせがみ始めた。


 ヒトミはチラリと伊丹の方を見て。

「明日はお隣のイチゴ園で収穫を手伝う約束になっているのよ。伯父さんに連れて行って貰なさい」

「えっ、拙者でござるか」


「明日、何か用事があるの?」

「いや」

「なら決まりね。良かったわね、サトル」

 サトルは『ヤッター』と上機嫌となった。


 翌日、伊丹は甥っ子を連れて街の中心街に在る屋内スポーツセンターに車で向かった。サトルが古武術が見たいと言うので、知り合いが屋内スポーツセンターで柔術と居合術の教室を開いているのを思い出し見学させて貰う事にした。

 その見学が終わった後、アニメの映画を見る予定である。


「伯父さん、そこでは本当の刀で練習しているの?」

「居合刀や居合練習刀などの刃のない刀で練習するのでござる」


 屋内スポーツセンターの武道場に入ると弟子たちが乱取り稽古をしていた。上座には友人である結城師範が弟子たちを見守りながら、外国人らしい男性二人に説明をしている。


「結城、見学させて貰いに来たぞ」

「ああ、伊丹先輩。ゆっくりと見学して下さい」

 結城は同じ流派の柔術を一緒に学んだ同門である。


 伊丹とサトルが乱取り稽古を熱心に見ていると隣で話している結城と外国人の会話が耳に入る。

 案内役兼通訳らしい中年男性が、

「ミスタージョゼフが、あなたと試合がしたいそうです」


「試合ですか。ジョゼフさんは何か格闘技をされているですか?」

 ジョゼフはアメリカンフットボールの選手だったが、今はアメリカの荒武者ローグウォーリアの一人らしい。

「ほう、凄いですな。しかし何故試合をしたいのです?」


「日本人の案内人の中に、居合や柔術を修行した者が居ると聞いています。魔物との戦いで、そうした技術が役に立つのか確かめたいと言っています」


 彼らが言っている案内人は伊丹やミコトの事ではない。『豪剣士』と呼ばれる案内人伊達の事を言っているのだ。彼は居合術と柔術の達人で、その剣により多くの魔物を倒している。その存在はアメリカにも知られているらしい。


 伊丹はアメリカの荒武者だという男に興味を惹かれた。それだけではなく案内役兼通訳だと言う男にも気になる点を見付けた。通訳にしては動きに隙がないのだ。


 実は案内役兼通訳のダリル・アシュバートンは現役軍人で、次回の作戦メンバーを選別する調査官だった。


 アメリカが計画している異世界での作戦は精鋭部隊でなければ成功しないと考えられていた。

 それこそドラゴンスレイヤー並の実力者を求めているのだ。ダリルはジョゼフの案内をしながら実力を推し量ろうとしていた。


 結城はまたかと思った。転移門が出現し人々が異世界で魔物が戦うようになり、武術系の道場などに習いたいという者や道場の実力を確かめる為に試合がしたいという者が増えたのだ。


 特にオークがリアルワールドに現れた以降、道場や武術教室を訪ねる者が増えていた。

 結城はある柔術流派の高弟で実力ナンバーワンだと言われている。その御蔭で度々道場破りのような訪問者が現れる。ただ荒武者がここに来たのは初めてだった。


「いいでしょう。相手になります」

 伊丹は苦笑する。結城は伊丹と一緒に修行していた頃から血の気が多く、喧嘩を売られれば必ず買う男だった。


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