第221話 マポスのピアノ
俺が止める前に、ルキが口を開いた。
「音程がまだまだにぇ。それにじょーかんがこもっちぇいにゃい」
それを聞いた王妃様が笑い声を上げる。言い方が児島に似ていたからだ。
笑い声を聞いたデミスが顔を赤くして、ルキを睨み。
「糞ガキが……楽譜も読めないチビ猫に音楽の何が判る」
友達が侮辱されたと感じたサラティア王女は、デミスにムッとした顔を向ける。
「何を言ってます。今の演奏は……ちょっと問題がありました」
「だったら、お前たちが弾いてみろ」
デミスは竪琴を置き、幼女に向けて大人げない事を言う。
ヒンヴァス政務官が呆れたように声を上げる。
「おいおい、小さな子供に何をムキになっとるのだ」
年長の政務官の言葉で、デミスも少し落ち着いた。だが、自分の部下が政務官に
「こんな田舎じゃ……碌な音楽もないのか」
トベウスが吐き捨てるように言う。これにはヒンヴァス政務官もムッとする。
「ここは迷宮都市だ。品のいい音楽が聞きたかったら王都へ行けばいい」
ヒンヴァス政務官の言葉に、今度はトベウスがムッとする。王都まで戦禍が広がりそうだという情報を信じ迷宮都市の支部長を引き受けたのだが、戦争が終結しそうだとの最新情報を受け、ここに来た事を後悔していたからだ。
トベウスが慇懃無礼な感じで言い返す。
「これは失礼した。迷宮都市を侮辱したように聞こえたのなら御容赦下さい。何せここにはガサツなハンターや兵士ばかりで、我々魔導師のような学識の有る者を楽しませる娯楽が無いのですよ」
謝りながらも結局迷宮都市の人々を侮辱している。筋金入りの嫌な奴である。
ヒンヴァス政務官のこめかみがピクピクと痙攣している。
「そうですか。ガサツですか……しかし、王都からいらした人々の中には街の危機に際し、救援を頼んでも無視するような臆病な方が居るようで困ったものです」
ヒンヴァス政務官に言い返されたトベウスは顔を真っ赤にして睨み始める。
戦勝会だと言うのに雰囲気が悪くなった。
俺はやれやれと思いながら、一つ提案をした。
「トベウス殿は音楽をご所望のようだ。マポス、ピアノを弾いてくれないか」
突然、ピアノを弾けと要望されたマポスは慌てたようで食べていた燻製肉を喉に詰まらせてしまう。
「うっ……うっ、ゴホッ……ハアハア……。死ぬかと思った」
涙目になっているマポスを見て不機嫌な顔をしていたヒンヴァス政務官も表情を和らげる。
「それはいい。迷宮都市にも音楽の解かる者が居ると魔導師殿にも知らせてやれ」
「でも、オイラのピアノはまだまだだって児島先生が言っていたんだよ」
習い始めたばかりだと言うのにマポスはちゃんとピアノを弾けるようになっていた。本当に天才級の才能が有るらしく、児島が二、三度曲を弾くだけで、それを記憶し再現出来るようになった。
もちろん、細かなテクニックや情感の表現などはまだまだであるが、何か人を惹き付ける演奏をする。
マポスが渋っているので気楽にやるように言う。
「遊びだと思ってやればいい。児島は今居ないんだから」
漸くマポスがピアノを弾く気になった。ピアノの演奏自体は好きなようだ。
トベウスが胡散臭いものを見るような目でマポスを見詰める。
「そんな小僧にピアノが弾けるのか?」
ピアノは歴史的に新しく、貴族や裕福な商人の子女しか習えない楽器だった。ピアノ自体が高価なので仕方ないのだが、そんな楽器をハンターらしい猫人族の小僧が弾くというのだから怪しんだのも無理はなかった。
マポスはピアノの前に置いてある椅子に座り、ゆっくりと指が動くか試すように鍵盤を叩く。ちゃんと調律された澄んだ音色が食堂に響いた。
ルキと王女が席を立ちピアノの傍に移動する。ルキたちは何度もマポスの演奏を聞いており楽しみにしている。
「小僧、指の使い方くらいは知っているようだが、それだけじゃ音楽を知っているとは言えんぞ」
トベウスが憎まれ口を叩く。
その声はマポスには届かなかった。ピアノを前にしたマポスの集中力は半端ではない。
マポスは何を弾くか迷っていたが、先程デミスが演奏した『舞姫の気紛れ』という曲と双璧をなす舞姫の曲である『神に祈る舞姫』という曲を選んだ。
昔から伝わるマウセリア王国の曲を児島がピアノ用にアレンジしたもので、児島自身がよく出来たと珍しく自賛した曲だった。
初めはそよ風のような優しいメロディから始まる。マポスの指が鍵盤の上で軽やかに動き、確かなメロディを紡ぎ出していく。
曲は次第に速さを増し、兵士と恋に落ちる舞姫の様子を描くように喜びと恋心を情感豊かに表現していく。マポスの指は鍵盤の上で忙しく飛び回り美しい音色を奏でる。
この曲を聞くと舞姫と兵士が仲睦まじくデートをしている光景が心に浮かぶ。俺は薫の事が頭に浮かんだ。
デミスやトベウスもアレンジされているが、この曲が『神に祈る舞姫』だと判ったようだ。
食事を楽しんでいたモクノス商務官も手を止め、うっとりとピアノの音色に耳を傾けている。ルキと王女は目を輝かせ、鍵盤の上で踊るマポスの指を見詰めていた。
終盤は、兵士が戦場へと向かう事となり、舞姫と別れるシーンを表現する悲しげなメロディがピアノから紡ぎ出される。
マポスが奏でるピアノの音には何かが有った。ピアニストの児島が弟子だと言い出すだけの才能が感じられた。
最後の舞姫が兵士の無事を神に祈るシーンは、昇る朝日に向かって祈りを捧げる舞姫の姿が心に浮かぶような神聖で強い願いが込められたメロディだった。
曲の終わりを告げるように、マポスが立ち上がりお辞儀をする。マポスはミリアの方をチラリと見た。ミリアが嬉しそうに微笑んでいるのを確認しニッコリと笑う。
王妃が一番に拍手を始める。俺も伊丹も拍手していた。食堂に居た全員が拍手するまで時間は掛からなかった。驚く事に魔導師たちも拍手していた。
その拍手の音に庭で騒いでいたハンターや衛兵たちも気付き、何事かと食堂近くに集まり始める。
王妃からもう一曲という声が上がったので、マポスは椅子に座り何を弾くか一瞬迷った末、意外な曲を選曲した。戦争で滅んだ未来世界を描いたアニメのオープニングテーマである。
児島が好きでよく遊びで弾いていた曲だった。
「何でナ○シカ……」
俺は思わず呟いた。神秘的でステキな曲なんだが、異世界では馴染みのない曲調で、この曲を聞くとルキたちは不思議な気持ちになるらしい。
神秘的で物悲しい調べがピアノから響き渡ると、外でガヤガヤとしていたハンターと衛兵たちも静かになった。胸に染み渡るようなピアノの音色が異世界の人々の心に響く。
ピアノの側で聞いているルキと王女は、手を取り合って喜んだ。児島が居なくなり、もう二度と聞けないのかと思っていた曲だからだ。
王妃は涙を浮かべながら聞いていた。王妃だけではなく感受性の強い女性たちは目をうるうるさせ聞き入っている。
その後、マポスは二曲のクラシックを演奏し拍手喝采を浴びた。
王妃が呟くように言う。
「陛下にも聞かせてあげたいわ」
この時をきっかけにマポスの音楽家としての才能が知られるようになり、音楽を愛する人々の前で演奏する機会が増えていく。
魔導師たちはマポスのピアノに圧倒され静かになった。
ヒンヴァス政務官が魔導師たちに聞こえるように声を上げる。
「オディーヌ王妃様、粗末な竪琴の演奏は、ご不快に思われたかもしれませんが、ご容赦ください。ですが、マポスのピアノは素晴らしいですな。田舎じゃ碌な音楽もないとかいう世間知らずがいたようですが、笑って許してやりましょう」
魔導師たちはオディーヌ王妃という名前を聞いて、ギョッとした。そして、こそこそと帰っていった。
戦勝会が無事に終わり招待客が帰る頃には、ルキと王女ははしゃぎ過ぎたのか疲れて眠ってしまい、王妃とミリアが抱いて部屋に戻る。
眠っている二人は笑顔をしており、楽しい一日を過ごせたようだ。
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