第170話 余談 王子と王女

 ミコトたちが王都を去った頃。

 王都に残ったディンは離宮でゆったりとした時間を過ごしていた。ディンはミコトたちと一緒に戻りたかったのだが、母親と妹に引き止められ一〇日ほど滞在する事になったのだ。


 朝、離宮で目を覚ましたサラティア王女は、豪華な天蓋付きの寝台から身を起こし大きく背伸びをした。


 ドアをノックする音が聞こえ返事をすると、侍女のモルアが入って来た。その手には洗顔用の水が入った容器が有った。モルアが持って来た水で顔を洗い、寝癖の付いた髪を梳かして貰う。


「ディン兄様は?」

 サラティア王女がモルアに尋ねると。

「昨日の夜は遅くまで勉強されていたらしく、今朝はまだ寝て居られます」


 急いで身支度をするとディンの部屋に向かった。ドアをそっと開けるとディンの寝ている姿が目に入った。足音を忍ばせ近寄ったサラティア王女は、寝ているディンの頬を指でつついた。


「ううっ」

 ディンが呻き声を上げるとサラティア王女がクスクスと笑い声を上げる。その声でディンは目を覚ました。


「……サラか。もう少し寝かせてくれよ」

「ダメです。もう朝ですよ。ディン兄様」

 ディンは仕方ないというように起き上がった。


 サラティア王女に少し遅れてディンが食堂に入った。

「おはようございます」

 サラティア王女が挨拶をし「ここ、ここ」とディンに自分の隣に座るように言う。ディンが隣の席に座ると目をキラキラさせながら迷宮都市の話をせがんだ。


「えっ、迷宮都市には猫人族の方がたくさんいらっしゃるのですか?」

「まあね。王都では珍しいけど辺境は猫人族が多いよ」


 人族と敵対していない亜人族は、猫人族、虎人族、鳥人族などが存在するが、都市に住んでいるのは猫人族だけである。虎人族、鳥人族は樹海や山の中に隠れ住んでいる。


「知り合いの猫人族の中にルキという小さな子供が居るんだけど、とっても可愛んだ」

 サラティア王女は熱心にルキの話を聞いた。


「ルキはサラより小さいけど、ハンターなんだよ。魔法や槍が使えて迷宮にも行ったことがあるんだ」


 王女は兄の言葉遣いが変わったのに気付いた。下品と言う事ではないが、教育係から教えられた言葉遣いより頼もしい感じになっている。


「凄いですわ。私も魔法を習いたいです。ディン兄様のお師匠様にお願いしてくれませんか」

 これにはディンも驚いた。妹がミコトに魔法を習いたいと言うのだ。確かにミコトに習えば、早く魔法の技量は上がるだろう。だが、迷宮都市に住んでいるミコトには無理だ。

 そう言うと王女の表情が曇った。


「マルケス学院に入れば、ちゃんと教えてくれるよ」

 王女は眉を顰め、ディンを非難するように言う。

「でも、お兄様は学院の生徒が習っている魔法は駄目だと仰ったじゃありませんか」


 ポルメオスたちが野外演習の時に鹿に向かって放った魔法を思い出した。実戦経験の少ないポルメオスたちは身体に溜め込んでいる魔粒子の量が少なく、威力の低い攻撃魔法しか使えなかった。


 それはマルケス学院の教師たちがヘボだからではない。安全を重視し座学中心に知識を学ばせる学院と実践を重視する辺境とでは単純に教育方針が違うのだ。


「経験が足りないから、魔法本来の威力を引き出せないだけだ」

「でしたら、学院で学ぶとして何年で歩兵蟻を倒せるようになりますか?」


 ディンは目を泳がせる。学院を卒業する頃になっても、ポルメオスが歩兵蟻を倒せるようになるとは思えなかった。とは言え、王女が歩兵蟻を倒せるようになる必要は全然ない。


「歩兵蟻を倒せるようになるより、王族として学ぶべきものが別に有るだろ」

 迷宮都市で、太守館を抜け出しミコトの趙悠館に入り浸り武術や魔法の修行をしているディンが言っても説得力がほとんどなかった。

「ディン兄様だけずるいです」


 そんな会話をしていると母親のオディーヌ王妃が現れ朝食となった。朝食はディンの希望で野菜サラダと玉子サンドである。ゆで玉子を微塵切りにしマヨネーズ・塩・香辛料・蜂蜜・水を加えたものを掻き混ぜ、ふんわりしたパンに挟んだ簡単なものである。


 但し、マヨネーズは王都になかった新しい調味料で、作り方は趙悠館のアカネに教わり、厨房の料理人に教えたものだ。アカネからマヨネーズについては広めて良いと許可を貰っている。これは他の国でもマヨネーズが知られるようになったからだ。

 地球から転移した人々が広めているらしい。


「あらっ、今日はいつもと違うのね」

 オディーヌ王妃がチラリと給仕をしているモルアに視線を向けた。

「ディン殿下のご希望で用意致しました」


 食卓の上には玉子サンドを載せた皿と野菜を盛り付けた器、それにハーブティーが並んでいた。王族の食卓にしては質素なものだ。昨日までは、食べ切れないほどのパンや料理が並んでいたのだが、毎朝残すのでディンが止めさせたのだ。


「どうせ、朝は余り食べないでしょ」

 息子の言葉にオディーヌ王妃は肩を竦め食事を始めた。ディンが玉子サンドを美味しそうに食べているのを見て、サラティア王女が尋ねた。


「これも迷宮都市の料理なの?」

「ミコトの趙悠館で出している料理だよ。食べてみてよ」

 この時、趙悠館と言う名称がサラティア王女の頭の中に刻み込まれた。


 王女が玉子サンドを手に取り口に入れる。モキュモキュと食べ笑顔を浮かべた。

「凄く美味しいです」

 王妃も口にして満足そうに微笑む。


「あらっ、本当に美味しい。陛下にも食べて頂きたいわ」

 普段は余り朝食を食べない王妃も玉子サンドが気に入った様で人並みに食べた。


 その日、カザイル王国の国王が暗殺されたと言う情報が王宮に届いた。その時から王国首脳陣の眠れない日々が始まった。


 軍部は情報収集を始め、外務局はカザイル王国で始まった後継者争いを一刻でも早く終わらせようと動き出す。

 そして、ミスカル公国がマウセリア王国に『虫の迷宮』の独占使用権を要求した時、貴族たちは戦争が始まると覚悟した。


 王都より西に領地を持つ貴族は王都で暮らす親族を自分の領地に戻し始め、東側に領地を持つ貴族は迷宮都市や港湾都市モントハルへ避難を開始する。


 貴族たちが過剰とも思える反応を示すのは、過去に魔導先進国の一国クノーバル王国と戦争となった時、もう少しで王都が陥落する寸前となるまで追い込まれたからだ。


 その時は悪天候が続きクノーバル王国からの補給が途絶えた上に、マウセリア王国の貴族が兵を引き連れ参戦した事で辛くも敗北を免れたが、王都の一部は焼失し数千人の死者が出た。

 貴族たちは、その戦いで王都に住んでいた先祖を失ったのを覚えている者も多いのだ。


 その影響はマルケス学院にも及び、生徒の半数が休学し王都から去り、サラティア王女が楽しみにしていた入学式が延期となった。


 予定が狂い暇になったサラティア王女は、なおさらディンと一緒に行動するようになった。

 国王ウラガル二世が王族の疎開を決めた時、オディーヌ王妃は迷宮都市に疎開しようと決めた。仲の良い兄妹を引き離したくなかったのだ。


 オディーヌ王妃が国王に迷宮都市へ疎開すると報告すると、ウラガル二世の傍に居たクモリス財務卿が、

「オディーヌ様、野蛮な迷宮都市へなどサラティア王女の教育には、良くないのでは有りませんか。港湾都市モントハルへ行かれた方が……あそこなら劇場やコンサートホールなどの文化的施設も揃っておりますから」


「そうね。芝居や音楽を聞けないのは残念だけど、サラがどうしても迷宮都市に行きたいと言うのよ」

「そうですか。退屈なされたら、モントハルへお越し下さい。オラツェル殿下が歓迎されるでしょう」

 オディーヌ王妃は御免だと思った。オラツェル王子は母親以外の王妃を敵だと思っているからだ。


 ディンは迷宮都市の太守である為、緊急時に招集される王族のリストから外されていた。第一王子や第二王子は招集され、国家戦略を話し合う会議に出席すると言うのに、自分は迷宮都市に戻らなければならない。


 自分は兄たちに比べ期待されていないと感じたディンは一時落ち込んだ。しかし、前向きに考える事にした。迷宮都市に居ても国の為に出来る事は有るはずだ。

 戻って祖父ダルバルと相談しようと思った。


 この頃、サラティア王女が迷宮都市の趙悠館に行ってみたい、最終的には趙悠館で生活したいと言い出した。ディンが趙悠館に泊まりこんで修行した時の話をしたので、自分も修行したいと思ったようだ。


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