第164話 幻獣と貧民街

 スコキスが記憶している幻獣をもう一度チェックしている時、研究員がポツリと言った。

「でも、残念ですね。完全なものなら凄い価値があるのに」


「何!」

 スコキスは幻獣概念コードが書かれた紙を奪うようにして手に取り詳細を調べ始めた。書き写している時には気付かなかったが、最後の部分が奇妙な形で終わっていた。


「……この最後の部分を埋めて完成させられないのか?」

 研究員は難しい顔をして。

「完成させるには時間が……」

「すぐに始めろ。他の研究員も協力するんだ」


 急かされた研究員は協力して幻獣概念コードを完成させた。だが、それは危険なものだった。一応魔導理論からは外れていないが、魔力の流れが収束しておらず暴走する危険をはらんでいた。


「支部長、もう少し時間を下さい。これはまだ完全じゃないです」

 研究員が疲れた表情でスコキスに訴えたが、長老が迷宮都市に到着する前に結果を出したい彼は実験を強行しようと決意した。


 その時はまだ、その実験がどれほど危険なのか理解していなかった。失敗したら召喚を解除すればいいと思っていたからだ。


 魔導師ギルドの所有地で魔導実験が出来る場所は三箇所あった。魔導寺院の地下、魔導師ギルド支部訓練場、北西の一画にある未利用地である。


 スコキスは何処が一番人目に付かないか考え、未利用地で実験する事にした。

 その日、街中をせかせかと何かに追い立てられるように北西の方角へ歩く魔導師の姿があった。


 迷宮都市の中央にある公園を通り、北西へと進むと周囲の建物が段々寂れてくる。そのまま進むと貧民街へ出るので左に曲がり、貧民街の外縁を回り込むようにして魔導師ギルドが所有する土地に到着した。


 少し傷んだ箇所もあるが石垣が健在で、一つだけある鉄製の門から中に入ると雑草が生い茂る荒れた土地が見える。ここは古い魔導寺院が有った場所なのだが、周囲が貧民街となったので今の場所へ引っ越したのだ。


 建物の基礎だけが残っている場所で、スコキスは幻獣概念コードの紙を広げ最後のチェックをする。

「やる……やるぞ」


 スコキスの目は血走り、その目の下には隈が出来ていた。かなり憔悴した感じの魔導師はきつく目を閉じると脳裏に幻獣概念コードを一つずつ思い浮かべながら魔力を込めていく。


 その単調な作業は十数分も続き魔力が尽き掛けているのを感じた。それでも最後の部分に魔力を込め始めた。研究員が埋めた部分に魔力を込めると魔力が漏れ出すような感じがし、スコキスの背中に冷や汗が吹き出す。


 一瞬、やり直すかと考えたが、長老の事を思い出し無理やり続けた。最後のコードに魔力を込め終わり、幻獣を召喚するキーワードを口にした。

雷豹召喚サンダービースト


 スコキスの目の前に雷球が生まれた。拳ほどだった雷球が次第に大きくなり直径一五〇センチを超えた時、突然中に動物のような姿が見え始めた。そして雷球が消え、ひょうのような獣が姿を現す。


 だが、その獣の様子がおかしかった。召喚者であるスコキスに向けしきりに唸り声を上げ、威嚇するように牙をむく。


「静かにしろ」

 スコキスが命じても雷豹は止めなかった。本来なら召喚者の言葉なら無条件に従うはずの幻獣が言うことを聞かない。……まずい……まずい……まずい、暴走しとる……スコキスは心の中で叫んだ。


 スコキスは暴走した幻獣が召喚者を殺したと言う話を思い出す。ゆっくりと後ずさり始めた彼の目の前で、雷豹が身体から稲妻を放ち始める。


 スコキスの足元で『バチバチ』と強力な放電現象が起こり地面を焼いた。

「ひゃっ!」

 変な声を上げたスコキスは後ろに飛び下がった。


 彼は雷豹を消そうと召喚の解除を行おうとしたが出来なかった。それどころか勝手に大量の魔力を吸いだされ、身体に力が入らなくなってしまい、その場にへたり込んだ。雷豹が魔導師を無視して外に飛び出す。

 外は貧民街である。誰かの悲鳴が聞こえ、落雷の音が大気を震わせ、火の手が上がる。


  ◆◆◇◆◆=◆◆◇◆◆=◆◆◇◆◆


 趙悠館の庭でオリガとルキが遊んでいた。オリガの頭にはヘアバンドがあり小さな鳥が止まっている。オリガが激しく動いてもヘアバンドの鳥が飛び立たないので飾りかと普通の人は思うだろう。


「見えりゅようににゃって良かったね」

「うん、でも疲れるから一日ずっとは使えないの」

「そうにゃんだ」


 それでもオリガは嬉しそうに笑った。オリガは友達のルキを見詰める。実際はサイトバードが見ているのだが、自分の目もルキに向ける。


 オリガにとって何もかもが新鮮だった。灰色の短い体毛で全身を覆われた友達は丈夫そうなズボンと半袖の青いシャツを着ており、お尻から細い尻尾が見えている。

 頭の上には猫耳があり、それが忙しげにピコピコと動いている。


「どうしたにょ?」

 ルキがオリガに尋ねた。自分を見ているオリガを不思議に思ったのだろう。


「何でもないよ。今日は何処で遊ぼか?」

 ルキがピョコッと首を傾げてから提案する。

「セルジュの丘に行こ」


 二人は趙悠館の傍にある丘で遊ぶことに決めた。そこは迷宮都市では数少ない未開発地の一つで、子供の遊び場になっていた。


 ルキとオリガは手を繋いで歩き始める。

「二人で何処に行くの?」

 仲良く歩いている二人の姿を見付けたアカネが声を掛けた。


「セルジュの丘だよ」

 オリガが答えるとアカネは自分も行くと言い出した。

「あそこは山菜が採れるでしょ。今晩は山菜の天麩羅を作ろうと思うの」


「ルキも採る」「あたしも」

 オリガとルキは元気よく声を上げた。アカネは蔓細工で作った籠を持つとオリガたちと一緒に丘へ向かった。


 アカネはルキとオリガの後ろを歩きながら目を細め微笑んだ。小さな手を繋いだ二人の幼女が楽しそうに歩いて行く姿は抱き締めたくなるほど可愛かった。


 セルジュの丘はそれほど高くはない。三人は細い山道を登りながら山菜を探して集める。

「アカネお姉ちゃん、これは山菜?」

 オリガがアシタバに似た山菜を指差しながら訊いた。


「そうよ。採って籠に入れましょ」

 ルキとオリガが楽しそうに採取する。アシタバの他にもウドの若芽やマダルと呼ばれるアスパラに似た山菜が採れた。


 三人は丘の頂きに到着した。頂上からは迷宮都市の様子がよく見える。ルキは頂上に有る大きな岩に飛び上がった。高さ一メートルほどある岩に飛び上がる筋力は相当なものだ。


 姉たちと一緒に数多くの魔物を倒し大量の魔粒子を吸収したルキは、一人前のハンター並みの身体能力を持っていた。


 オリガはルキに助けて貰い岩に登った。

「すご~い、街の遠くまで見える」

 しばらく街の景色を眺めていた時、遠くで青白い光が輝いた。そして大気を震わす雷鳴が耳に聞こえる。


「あれっ、雷。空には雲一つないのに」

 アカネの言葉でルキとオリガが雷鳴の聞こえた方に視線を向ける。

「煙が昇っていりゅ。貧民街の方」


「あたし見て来る」

 オリガはそう言うとサイトバードに見に行くように命じた。ヘアバンドから飛び上がった小さな鳥は高速で貧民街の方へと翔んで行く。


 あっと言う間に貧民街まで翔んだサイトバードは、上空から貧民街の様子を眼に納めた。貧民街の狭い路地に普通の動物じゃないと一目で判る獣が居た。


 青白い火花を飛ばし嵐のように貧民街の路地を駆け巡る獣は、無差別に雷を落としボロい建物に火を点けていた。貧民街の住人が獣を阻止しようと戦いを挑んだが、雷撃の一撃で返り討ちにあってしまう。


 見ていられなくなったオリガは召喚を解除しヘアバンドの近くに再召喚する。表情を曇らせたオリガに気付いたアカネは、見た内容を聴き出した。


「お姉ちゃんたちにしゅらせにゃきゃ」

 貧民街の様子を聞いたルキが叫ぶように言うと趙悠館目指して駈け出した。貧民街はちょっと前までルキが暮らしていた場所である。仲の良い友達も居れば知り合いもたくさん居る。


 丘を下り趙悠館へ駆け込んだルキは姉とリカヤたちを探して貧民街で起きている事を伝えた。

「あたしたちは先に行くから、ルキはミコト様に伝えて頂戴。いいわね」

 リカヤに指示されたルキが頷く。


 リカヤたちは装備を整え貧民街に向けて駈け出した。ルキはミコトを探し趙悠館の中に入る。

 その頃になって、漸くオリガとアカネが帰って来た。二人はルキと一緒にミコトを探し内装を工事している部屋でミコトと薫を探し当てた。


「ミコトお兄ちゃん、大変なの」

「どうしたんだい?」

 アカネが代表して状況を説明した。薫はすぐにオリガの見た獣が幻獣である可能性に思い当たった。


 迷宮都市の内部にいきなり魔物が現れる可能性はほとんど無かったからだ。但し『調教術の神紋』を持つ者が魔物を中に入れると言う可能性もあるが、街の中では檻に入れるのが普通である。


「私たちも行きましょう」

 薫の掛け声で一斉に動き出した。但しルキとオリガはアカネと一緒にお留守番である。


 俺と薫が貧民街に到着した時には、そこら中が火の海となっていた。

 一足先に到着したリカヤたちは逃げ遅れた住民や路地で泣いている子供たちを貧民街の外へと避難させている。


「逃げろと言われても何処に逃げりゃいいんだよ」

 住民の一人がリカヤに尋ねた。リカヤたちはこの辺の地形を思い出し避難場所になりそうな土地を一箇所見付けた。


「元魔導寺院だった場所よ。あそこにゃら石垣で囲まれてるから大丈夫なはず」

 続々と貧民街の住民が元魔導寺院の土地へと避難を開始した。幸いにもスコキスが門を開けていたので苦労する事なく中に入った。


 俺は状況を確認し、住民の避難が順調に進んでいるのを見て、避難誘導はリカヤたちに任せれば大丈夫だと判断した。


「どうする?」

 薫が俺に尋ねた。俺は周りを見回してから。

「アカネさんが言っていた獣を探そう。まずは原因を取り除かなきゃ被害が増えるばかりだ」

 俺たちは雷鳴の鳴る方へ火を避けながら進んだ。


 一〇分ほど探した頃、その獣と遭遇した。体長は一四〇センチほどで黄色の体毛の中に黒い斑がある豹だった。しかも時折体表から放電現象のような火花を散らしている。


「やっぱり幻獣よ」

 薫が雷豹を見て告げる。

「だったら、召喚者が居るはずだ」


 俺と薫は召喚者を探したが発見出来ない。何が目的かは判らないが、遠隔操作しているのかもと二人は考えた。実際は召喚者の制御を離れ暴走しているのだが、二人に判るはずもない。

「強制的に止めるしかないようだ」

 俺は邪爪鉈を取り出し構え、薫は神紋杖を手に取った。


 雷豹は俺たちを睨み付けながら唸り声を発している。どうやら敵だと認識したようだ。

 薫が小手調べに<風刃ブリーズブレード>を放った。雷豹は稲妻のような雷撃で迎撃し、中間点で交錯した風刃と稲妻が大きな音を立てて爆発を起こす。


「やるわね。これならどう!」

 薫は続けて<三連風刃トリプルゲール>を放つ、三つの風刃が同時に雷豹へと襲い掛かった。だが、これも雷撃により迎撃された。


 雷豹が反撃に出た。大気を切り裂くようなスピードで薫に駆け寄り、その鋭い爪で薫を切り裂こうとした。俺は薫の前に飛び込み<風の盾ゲールシールド>でシールドバッシュする。

 空中へ撥ね上げられた雷豹は身体を捻って体勢を整え綺麗に着地する。


 雷豹は着地した瞬間、俺に向かって雷撃を放った。俺はとっさに<風の盾ゲールシールド>で防いだが、衝撃で風の盾が破壊される。


 その後、雷豹と俺たちの間で魔法の撃ち合いとなった。雷豹は薫の攻撃魔法を雷撃の迎撃と素早い動きで躱し、俺たちは雷豹の雷撃を<風の盾ゲールシールド>で防いだ。<遮蔽しゃへい結界>で防ぐのが確実なのだが、攻撃するには結界の外に出なければならないので<風の盾ゲールシールド>を選んだ。


 業を煮やした薫が<豪風刃ゲールブレード>を使い始めた。この魔法は薫が所有する攻撃魔法の中で最速の部類に入る魔法である。雷豹に向け何発か豪風刃を放った時、幻獣の動きに変化が現れた。


 魔法を躱す動きが遅くなり、最後には豪風刃を身体に受けてしまう。そして、よろよろと逃げようとした所に止めの<崩岩弾クランブルロックブリット>が命中しさらさらと崩れるように消えてしまった。


「最後の方は魔力切れかな」

 俺が薫に尋ねると薫も同意する。

「そうかも。それにしても誰が召喚したのかな」


 薫の疑問は少し後に答えが見付かった。避難所に指定した元魔導寺院で倒れている魔導師が発見されたのだ。そして、その魔導師が握り締めていた紙が薫の所に持ち込まれた。


 それを調べた薫は倒れていた魔導師が雷豹を召喚した者だと気付いた。そして、幻獣概念コードに重大な欠陥があるのも判った。


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