第151話 薫の転移
工場跡地に有る転移門近くに依頼主である病院の車が停まり、中からストレッチャーに横たわる患者が降ろされた。患者は小学生くらいの少年で、遅発性ウイルス感染症で入院している大企業の御曹司である。
少年の両親らしい者が心配そうに息子を見守っている。伊丹は彼らの傍に近寄り自ら押して来たストレッチャーに患者を乗せるように指示した。
「病院のストレッチャーじゃ駄目なんですか?」
付き添って来た担当医が伊丹に尋ねる。伊丹は当然とばかりに頷く。
「転移門の近くで静電気の嵐のようなものが発生する場合が有るのでござる。故にこちらの金属を一切使用していないストレッチャーに乗せ替えて貰いたい」
「判りました」
患者を伊丹が用意したストレッチャーに乗せ換える。そのストレッチャーのマットの下には大型のスーツケースのようなものが付いており、その中には薫が入っていた。
自衛官により警備された転移門まで移動する。転移門が現れる場所は鉄柵で仕切られており、銃を持った五人の自衛官が眼を光らせていた。鉄柵に一つだけある扉の前で時間を待つ間、両親が心配し伊丹に質問を始めた。
「向こうでの受け入れはどうなっているんですか?」
母親が顔を青褪めさせ尋ねる。事前に説明はしてあるはずなのだが、異世界に一緒に行く伊丹に確かめたいらしい。
「異世界には医師二人が待機しており、迷宮都市の趙悠館と言う宿泊施設で療養する手筈でござる」
少し口調はおかしいが、落ち着きのあるダンディな伊丹は両親に安心感を与えたようだ。
「向こうの転移門から迷宮都市まではどうやって僕を運ぶの?」
患者の
「現地人の手伝いを頼む予定でござる。知り合いの猫人族が担架で運び、我々が警護を致す」
「猫人族……猫の人か早く見たいな」
ミッシングタイムが訪れ転移門の光が現れた。伊丹はストレッチャーを押し鉄柵の扉を抜け転移門の中に進んだ。患者に付き添うのは伊丹と母親だけである。
初めは患者だけを転移させる予定だったのだが、どうしても心配な母親が同行すると言い出し依頼主である病院の承認の上、同行する事に決まった。父親も行きたいと言っていたが、大企業の社長となると長い休暇を取れないらしい。
転移の瞬間、伊丹は患者を両腕で抱えるような体勢を取る。母親は相変わらず青褪めた顔で息子の傍に寄り添っていた。
一瞬だけ意識を失った後、伊丹は異世界に転移したのが判った。
「イタタタ……変な体勢でストレッチャーから落ちたから頭を打っちゃった」
聞き慣れた薫の声を聞いて、伊丹は計画通り薫も転移したのが判った。腕の中には患者が気を失っている。そして、もう一人傍に誰か居るのに気付いた。
転移門の光が消えたのを確認した俺は、伊丹と薫に話し掛けた。
「今のうちに着替えてくれ」
二人に服と装備を渡す。伊丹と薫は素早く着替え、患者と母親の様子を確かめる。気を失っているだけのようだ。
夜が明け、手伝いを頼んだリカヤたちが来るのを待って患者と母親を迷宮都市へ連れて戻る予定である。
日が昇りしばらく時間がたった頃、猫人族の娘たちが来た。
「あっ、カオル様だ」
ルキが薫を見付け、ダダッと駆け寄ってぴょんと薫に抱き付いた。
目を覚ました患者と母親は目を丸くしてルキたちを見詰めている。初めて見る猫人族に驚いているのだろう。
二人は薫が一緒に転移した事に全く気付いていなかった。どうやら案内人の一人だと思っているようだ。薫は久し振りに会ったルキたちの変わらない姿に微笑みを浮かべている。
少し休んでから、リカヤたちが持って来た担架に加那多を乗せ迷宮都市へ向かった。
趙悠館に到着すると薫が完成間近の建物を見上げ声を上げる。
「凄いわね。趙悠館がほぼ完成してるじゃない」
外観は完成しており内装だけが終わっていない状態だった。『へ』の字形をした建物の外壁は白い漆喰で塗られており、意図的に組み込まれた筋交いとのコントラストが鮮やかで風情のある建物になっていた。
患者と母親は完成しているA棟の一階の部屋に宿泊して貰う事にした。後は医師の二人が面倒を見るだろう。
その日の夜は伊丹と薫、それにアカネを呼んで相談をした。特にアカネには今後の事も含めた相談も有るので食堂の仕事はおばちゃんたちに任せて来て貰った。
趙悠館のA棟とB棟の接合部分にある食堂が完成したので、仮設の食堂は趙悠館へ移っており、元の食堂はガランとした空き家状態になっている。そこにアカネを含めた日本人に集まって貰った。
「アカネさん、今日は大事な話があって来て貰いました」
現在のアカネの立場は中途半端なものである。案内人見習いとして仕事をしているが半分は研修である。完全に俺たちの味方という訳ではなく、JTGの一員という事で働いている。
アカネも馬鹿ではないので、俺たちが幾つかの事をJTGに秘密にしているのを気付いているようだ。中途半端な状態は危険であると判断しアカネをこちら側に取り込むべく交渉する事にした。
「JTGに秘密にしているのは何故か教えて下さい」
アカネが秘密にしている訳を訊いてきた。
「理由ですか……JTGと言う組織が危ういからです」
俺の言葉にアカネが首を傾げる。
「以前、アカネと行動を伴にした加藤大輝を覚えていますか?」
アカネは顔を顰め頷いた。大物代議士である加藤大蔵の息子である大輝は実力もないのにJTGの幹部候補になり、現在は東京にあるJTG本部で幹部研修を受けている。
「あの男がどうかしたの?」
「今度、奴は調査部の課長補佐になるようです。どう思います」
あんな男が課長補佐になるとは……JTGの組織が健全ではないと判る。そして、政治家加藤大蔵の実力が思っていた以上に大きいのにアカネは気付いた。
「加藤大蔵はJTGのトップに自分の子飼いの者を送り込み、JTGを私物化しようとしています。もちろん、それに対抗しようとしている者も居るので、完全な掌握は無理でしょうが、我々が発見した情報や技術を正当な報酬も無しに奪われるかもしれないと危惧しているんです」
アカネの顔に暗い影が差していた。アカネ自身も日本で様々な噂話を聞いており、俺の話が根も葉もないものではないと感じているのだ。
「危惧している事と言うのは例えばどんなものなの?」
「例えば、俺が所有している言語知識を秘めている知識の宝珠です。その値段を決める時に圧力が掛かり一個が三〇万円という安い値段で一括購入する話が起きたそうです」
アカネが呆れたような顔をする。一瞬で異世界の共通語を習得する夢の様な魔道具なのだ。それを三十万円ポッチでJTGは買い叩くつもりだったのかと呆れる。
「それに東條管理官から聞いたのだけど、転移門対策委員会の委員長に就任した加藤大蔵は、各国の強硬派と連絡を取り、異世界の国と交渉し租借地を得ようとしているらしい」
「租借地を得ても、異世界に送り込める人間の数なんて限られているのに、加藤代議士は何を考えているの」
俺は肩を竦めた。それ以上は東條管理官にも判っていないのだ。だが、奴らは何かをする為に資金を集めているらしい。知識の宝珠もそうだが、異世界で金になるものを集めオークションのようなものを設立している。
今は異世界の国と交渉するのは早いと各国は考えているが、オーク社会の偵察の結果、各国の政治家がどう考えるか判らない。中国などはミッシングタイム毎に五、六人の兵士を送り込み、異世界で鍛え始めていると言う噂がある。
「そんな加藤がJTGに強い影響力を持ってるんだ。JTGを信用しろと言うのが無理だよ」
アカネは益々暗い表情になる。
「ミコトさんはどうしようと思っているの?」
俺は考えている事を少しだけ話した。迷宮都市にしっかりした基盤を作り、活動範囲を広げつつ魔法や魔粒子について研究するつもりだと。
俺はアカネに自分たちの仲間になるか訊いた。
「判ったわ。ミコトさんや伊丹さんは信用しているの。仲間に入れて」
これでアカネは正式に仲間となった。彼女にも躯豪術を教えてやらなきゃと俺は考えた。
翌日、薫は戦いの勘を取り戻す為に伊丹と模擬戦を行い、俺はオリガとルキを連れ魔導寺院へ向かった。魔導寺院ではオリガの魔法適性を調べる。
オリガに神紋の扉を順番に触るように指示する。
「ルキもやりゅ」
オリガが初級属性の神紋から扉を触れて行く。『灯火術の神紋』『湧水術の神紋』『土砂導術の神紋』『疾風術の神紋』は反応し神の名が記されたプレートが光った。
オリガは第一階梯神紋のほとんどに適性を示した。ルキも同じでほとんどに適性を示す。
「オリガちゃんと一緒だにゃ」
オリガとルキが手を取り合って踊るようにしてはしゃいでいる。
「ルキちゃんは新しい神紋をしゃずからないの?」
「ルキはカオルしゃまと同じふうじんりゃんぶが欲しいの。だからお金が貯まるまでがまんすりゅ」
次に第二階梯神紋を調べると『調教術の神紋』『治癒回復の神紋』『魔導眼の神紋』に適性を示す。他にも幾つか適性を示すが、俺が知りたかったのは先の三つの神紋である。
迷宮都市の魔導寺院には無い神紋が王都の魔導寺院には有る。次にオリガに取らせようと思っている神紋もそういう神紋で、その適性を持つ者はオリガが適性を示した三つも適性を示したと魔導寺院の資料に書かれていたのだ。
これでオリガが目当ての神紋に適性がある可能性が高くなった。後は魔光石を手に入れ、魔力供給装置を作製し魔導飛行バギーを完成させ王都に行こう。
因みにルキは『風刃乱舞の神紋』に適性を示し大喜びした。
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