第145話 偵察部隊の戦い 5

 瘴霧の森の入り口から五〇〇メートルほど離れた地点にベースキャンプが設置された。偵察部隊の計画ではここを拠点として瘴霧の森へ侵入し偵察する事になっている。


 ベースキャンプは川の近くにある草地だった。テントを張り周囲に紐を使った警戒装置を設置する。ベースキャンプの形が整うと、案内人の錦織は一旦辺境都市シンガに戻った。補給物資を運んで来る為である。


 錦織が樹海に消えるのを見送った後、金光一等陸佐と四人がベースキャンプに残り、三つの分隊に別れ瘴霧の森に侵入した。三つの分隊にはそれぞれ通訳として倉木三等陸尉たちが付いて行く。


 それぞれの分隊は手分けして瘴霧の森を探索した。地形を調査しオークの町を探すのが目的だった。


 瘴霧の森には迷宮よりも濃度が薄いけれども瘴気が漂っていた。一歩足を踏み入れると首筋の産毛が逆立つような感覚を覚える。それは偵察分隊全員が同じだ。


 倉木三等陸尉は瘴霧の森を好きになれないと感じた。その直感は陰気な森に侵入して一〇分で正しかったと証明される。織部一等陸尉の分隊と一緒に瘴霧の森の東側へ向かってすぐに奇妙な魔物と遭遇した。


 姿形はゴブリンなのだが、物凄く臭いのだ。近付いて来て正体が判った。動く死体、グールであった。魔物が死んでアンデッド化したらしい。


 足を引き摺るような歩き方と虚ろな目はゾンビ映画を見ているような感じである。但し臭いだけは最悪だった。


「なあ、ゾンビに噛まれると自分もゾンビになると言うのは、異世界でも同じかな」

 隊員の一人が小声で問う。倉木三等陸尉がパチンコを取り出しながら。


「ここのはゾンビじゃなくてグールです。噛まれてもグールにはなりません。けど病気にはなりそう」

「……そんな感じだな」


「倉木、喋ってないで片付けろ」

 織部一等陸尉の命令で、倉木三等陸尉は凍結弾を放ちゴブリングールの胸に命中させた。凍結弾は魔物の全身を凍らせた。体温がない所為で凍結弾の効き目は良好だ。


 隊員の一人が石を凍った魔物にぶつけ砕いた。

「このまま放って置くと溶けて復活しそうだから、きちんと止めを刺しておこう」

 もっともな意見だと倉木三等陸尉も思う。


 三キロほど進む間に四匹の魔物と遭遇した。三匹がグールで一匹が長爪狼だった。

「瘴霧の森がこんな場所だと知っていたら、アンデッドに有効だって聞いた『光明術の神紋』を授かるんだった」


 隊員の一人が愚痴るように言う。『光明術の神紋』の基本魔法に<光明弾>という魔法があり、これを使えば一発でゴブリングールくらいなら倒せるはずだ。


 前方で何かの気配を感じ、倉木三等陸尉は注意を促した。

「静かに前進だ」

 織部一等陸尉が命じる。樹々を抜けた先に細い道が在った。そこでは一匹のオークが足軽蟷螂のグールと戦っていた。


 そのオークは身長一八〇センチ、体重一二〇キロほどだろうか。プロレスラーのようなボディの上に猪の頭が載っている。手には戦斧を持っており、ブンブンと振り回している。


 オークと足軽蟷螂グールの戦いは壮絶で、大鎌を振り回しオークを切り裂こうとする足軽蟷螂グールと急所を狙って斧を振り回しているオークが真正面から斬り合っている。


 優勢なのはオークで既に二本の足を切り飛ばしている。戦斧が足軽蟷螂グールの腹を切り裂く、ダメージは大きく巨大蟷螂がよろめく。そこにオークが飛び込んで首に戦斧を叩き込んだ。

 首を刎ねられた足軽蟷螂グールはドッと地面に横倒しになり動きを止めた。


 オークが倒した足軽蟷螂グールの上に片足を乗せ、クイッと上を向き勝利の雄叫びを上げる。

「ヴォゴオオオーーッ」

 満足そうな顔で胸を張っているオークは思いっきり油断していた。


 そこに倉木三等陸尉の放った凍結弾が命中する。

『ウゴッ』

 凍結弾はオークから急速に体温を奪った。急激な体温低下でガタガタと震え出したオークは戦斧を取り落とす。


 その後、織部一等陸尉たちが跳び掛かって地面に押さえ付けロープで縛り上げた。

『放せ、やめろー』

 オークが叫んでいる。少し涙目になっているのを見て、倉木三等陸尉はちょっとだけ罪悪感を覚えた。


 そのままオークの捕虜を連れてベースキャンプに戻り、そこで尋問が始まった。尋問方法は案内人の錦織に調達して貰った麻痺薬を自白剤代わりに使用する。


 この薬は中国政府が発見したもので、ある毒茸と薬草を材料にしている。脳の一部機能を麻痺させる効能を持つ麻痺薬は使い方次第で自白剤にもなった。


 これも案内人に頼んだ銅製の注射器で自白剤を注射する。針が少し太いがオークには我慢して貰う。数分後、酩酊状態になったオークを尋問する。


 そのオークは兵士で将軍からの命令を末端の兵士に連絡する役目だったらしい。

 尋問は多岐に渡り、時間が掛かった。通訳である倉木三等陸尉はずっと立ち会っているが、オーク社会の全貌を知るに従い驚いた。


 異世界にはここと同じ瘴霧の森が幾つも存在し、同じようにオークたちが住み着いていた。日本にある転移門から行ける瘴霧の森は自衛隊が偵察部隊を出したここだけだが、北の方にも瘴霧の森が在った。


 便宜上、ここはJポイント、北の瘴霧の森はKポイントと呼ぶ。どうやらKポイントは韓国軍の精鋭が偵察に向かった森らしい。


 この瘴霧の森は、ザギュガ将軍領と呼ばれる。四〇〇〇近いオークが住んでおり、その中の一二〇〇は兵士だと情報を得る。そして、オーク帝国の首都は北西に有るらしい。


 その首都には青鱗帝と呼ばれる支配者が居て、万を超えるオーク兵士により守られている。

 オーク社会は階級社会で下層民・兵士・貴族将に分かれ社会を構成していた。支配層である貴族将は軍人であり官吏でもあるそうだ。


 他の偵察分隊も捕虜を得る事に成功し、同じ尋問を行い情報を確かめた。


 捕虜たちから地理や社会制度などの情報を得た金光一等陸佐は、その情報を確認する為に、偵察分隊をザギュガ将軍領の領都ヴァズに派遣した。


 瘴霧の森は直径五〇キロほどの円形状に広がっており、領都ヴァズはその中心にある。直線距離で二五キロだが、往復で四日が必要だと偵察分隊の隊員は考えていた。


 同行する通訳係は筧一等陸曹で男だけの分隊に入れられたのが不服そうだった。

「仕事にも潤いちゅうもんが必要だと思わないのかよ」

 筧一等陸曹がブツブツ呟くと、先輩の自衛官から叱られた。


 途中多くのアンデッド系魔物に遭遇する。何とか倒して進み領都ヴァズまで辿り着いた。領都は要塞都市と言う言葉がピッタリする町であった。北と西を高い岩山で囲まれ、東と南は高さ十五メートルもある防壁で囲まれていた。


 要塞都市内部には入れない。そこで都市の周囲にある施設を偵察した。牧場らしい柵で囲まれた草地には山羊らしい動物が多く居た。他に鉄柱と鉄棒で囲まれた飼育施設みたいな場所があった。そこでは恐竜のような魔物が飼育されている。


 地球の恐竜で似たものを探すと、石頭恐竜とも呼ばれるパキケファロサウルスに似ていた。頭の天辺が瘤のように盛り上がり河童のようになっている二足歩行の恐竜で、体長は五メートルほどである。長く逞しい後ろ足と短く細い前足を持ち、こいつに頭突されるとコンクリート製の建物でも壊れそうだ。


 異世界では亜竜族に属するナイト級中位の魔物である。鰐のような外皮に黄色い縞模様があり、瘴霧の森や樹海ではかなり目立つ。


 脅威度はワイバーンや独眼巨人サイクロプスに一歩及ばないが、一流のハンターでもソロで倒すのは難しく、通常はベテランでも四人以上のパーティを組んで討伐するような魔物だった。


 そんな魔物が群れで飼育されているのを発見し、筧一等陸曹はゾッとした。オークが支配している転移門を通して、この化け物を日本に送り込まれれば大変な事態になる。韓国に送り込まれた帝王猿でも多くの死傷者を出したのだ。政府に警告しなければならないと強く思った。


 食料が乏しくなった偵察分隊はベースキャンプに引き返した。だが、その姿をオーク兵士に見られた事を彼らは気付かなかった。


 瘴霧の森を抜けベースキャンプに帰った筧一等陸曹たちは、金光一等陸佐に領都ヴァズの様子を報告した。飼育されている亜竜族の件に話が及ぶと金光一等陸佐の表情が曇った。


「オークが日本に侵入した転移門は、警備の人員を増やしただけだったな……まずいな。警備体制を考え直さなければ韓国の二の舞いだ」


 織部一等陸尉が筧一等陸曹たちの報告を聞いて意見を言う。

「情報も集まった事ですし、誰かを日本に帰して上層部に判断を仰ぎませんか?」


「もう少し粘って情報を集めたい気もするが、欲張ってオーク共に気付かれては元も子もないな」

 金光一等陸佐が辺境都市シンガへ引き上げる決心をした時、それは起こった。


 補給物資を取りに行っていたはずの錦織がベースキャンプに駆け込んで来るなり大声を上げる。

「オークが襲撃して来た。逃げるんだ!」

 錦織の<魔力感知>は隊列を組んでいる一〇〇を超える魔物の反応を捉えていた。


 金光一等陸佐は撤退の命令を出した。慌ただしく各隊員が動き出し、大半の荷物を捨て武器だけを持って樹海に飛び込んだ。


 樹海を彷徨うろついているオークは下層民出身の者が多く、戦闘訓練を受けていない。それでも人間に比べればずっと強い、そのオークが戦闘訓練を受け樹海の魔物を倒し強くなっている。


 訓練されたオーク兵士の強さは大鬼オーガに匹敵するかもしれない。それが三倍以上の数で襲って来たのだ。逃げるしか無かった。


 逃げ遅れた隊員の一部とオーク兵士の戦いが始まった。戦っている隊員の多くが<躯力増強>を使って筋力を上げオーク兵士の囲みを破って脱出しようと試みる。

  だが、確実に囲まれた隊員は一人また一人と倒され数を減らし最後には皆殺された。


 一方、樹海に逃げ込んだ隊員たちは、追って来るオーク兵士の追撃を逃れる間にバラバラになっていた。


 倉木三等陸尉と森末陸曹長は一緒に逃げ、川の方へと向かった。その後ろを二体のオーク兵士が追っている。

「ハアハア……森末、逃げ切れそうにない。ここで敵を迎え撃とう」


 倒木を飛び越えた森末陸曹長が肩で息をしながら頷いた。

「爆炎弾で顔を狙う。いいわね」

 二人はパチンコを取り出し骨弾をセット、<爆炎魔導印エクスプローズマジックマーク>の呪文を唱え始める。


 オーク兵士の片方が手斧を投げ付けた。手斧は倉木三等陸尉の背中に向けて飛翔する。寸前で気付いた彼女は横に跳んで躱す。そして、振り向くと同時に爆炎弾を放った。続けて森末陸曹長も爆炎弾を撃ち、山刀鉈を取り出す。


 二つの爆炎弾はオーク兵士に命中し激しい炎を吹き上げた。片方は直に炎を浴び悲鳴を上げたが、もう片方のオーク兵士は両腕で防いだようだ。


 力強い踏み込みでオーク兵士の傍まで跳んだ森末陸曹長は悲鳴を上げるオーク兵士に山刀鉈を叩き付けた。倉木三等陸尉はもう一方のオーク兵士に長柄山刀の突きを入れるが躱される。


 訓練されたオーク兵士は強かった。二人掛かりで残ったオーク兵士を攻め立てるが、その攻撃を手に持つ戦斧で受けられ躱された。


 それから連続攻撃でオーク兵士を仕留めようとするものの全てを防がれた。二人の息は上がり、全身から汗が吹き出す。


 剣技や戦闘技術だけなら二人の方が上だったかもしれない。ただオーク兵士の実戦経験は豊富で自分の方が体力が上なのを判っていて粘る。


 疲れが見えた二人に、オーク兵士が反撃を始める。戦斧が倉木三等陸尉の胸目掛け振り抜かれ、それをギリギリでステップして躱す。


 倉木三等陸尉は奥の手を使う事にした。伊丹から教わった技で接近戦でのみ有効な技だった。オーク兵士が森末陸曹長を攻撃している隙に、ベルトポーチから何かを取り出し口に放り込む。


 そしてオーク兵士の攻撃をしのぎながら、口の中でブツブツと呟く。チャンスはすぐに来た。オーク兵士の戦斧を受け流した瞬間、相手の顔が近くに見え、それ目掛けて口に含んでいた針を吹き出した。


 <氷結魔導印フリーズマジックマーク>が刻まれた含み針がオークの顔に突き刺さった。オーク兵士が喚き声を上げ慌てて針を抜こうとする。そこに森末陸曹長の山刀鉈が叩き込まれた。


 その一瞬で勝負は決まった。オーク兵士の首から血が吹出し崩折れる。

「ふうっ、危なかった。倒せて良かったよ」

 倉木三等陸尉は奥の手を教えてくれた伊丹に感謝した。


「倉木三等陸尉、他の隊員は逃げ切れたでしょうか?」

「判らない。でも私たちは絶対帰るよ」

「はい」


 倉木三等陸尉たちが辺境都市シンガに辿り着いた時、隊員の半分が戻って来ていた。だが、その中に筧一等陸曹の姿はなく、行方不明のリストに載せられた。


 偵察部隊の中で辺境都市シンガに戻れたのは十七名、その他は生死不明だった。案内人の錦織は無事に戻ったが、疲れ果てておりしばらく休養が必要だと言っていた。


 辺境都市シンガで五日が経過した。その間に戻って来た者は居ない。

 生き残った中には金光一等陸佐も居て日本に戻る事を決断した。それを部下たちに告げた時の隊長は、目の下に隈が出来、何日も碌に寝ていないように見えた。


 その決定を聞いた織部一等陸尉が低い声で、

「隊長、行方不明者を諦めるんですか。捜索隊を……」

「駄目だ。犠牲者を増やすだけだ」

 その時、金光一等陸佐の拳が震えるほど強く握り締められているのに、倉木三等陸尉は気付いた。


 今回の偵察任務は成果を上げていた。但し犠牲は大きかった。倉木三等陸尉は準備期間がもっと長かったら、犠牲者を出さずに済んだのではないかと思い、この任務を命じた自衛隊上層部や政府に怒りを感じた。

 その次の夜、偵察部隊は日本へ帰還した。


 金光一等陸佐が報告した内容は、政府や自衛隊の中枢部に大きな波紋を広げた。

 JTGにも情報は伝わり、東條管理官は頭を抱えた。これで転移門の管理を厳重にしろと言う声が強くなる。


 政府からの予算に頼らず、独自の資金で運営しようとしているJTGにとって自衛隊が異世界にまで駐屯するようになれば、その財源である案内人たちの活動にも支障をきたすかもしれない。


 その頃、ミコトたちはある計画を始動させようとしていた。ミコトと薫が中心となって立てたもので、JTGや政府にも秘密の計画だった。

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