第136話 ムアトル公爵と料理

 アカネの料理が気に入ったのか。ニムリスとヤロシュは毎晩のように趙悠館に現れ夕食を食べていくようになった。


 アカネは日々精進し異世界の食材を使って新しい料理を開発している。もちろんリアルワールドの料理を参考にしているので、俺や伊丹には馴染みの料理である。

 ただ似ている食材や調味料を探し出すのは大変なようだ。


 アカネは今日も料理の研究に邁進している。伊丹から案内人としての修行はどうしたと聞かれると、

「朝の訓練に樹海でのサバイバル訓練、それに加えて魔法訓練、これ以上は死にます」


 明確な回答に、アカネの顔から目を逸らす伊丹だった。アカネの訓練内容を決めたのは伊丹なのだ。最初は一日中訓練しているようなスケジュールを組み、アカネに私を殺す気ですかと怒られたらしい。

 アカネは効率よく訓練をこなし空いた時間を料理に使っている。


 その日は裂きイカを作っていた。一昨日、リカヤたちが大きな烏賊いかを五杯釣り上げたと言って持って来たのだ。


 リカヤたちはエヴァソン遺跡の近くの海で釣り上げたまでは良かったのだが、見た目が気味悪い烏賊を食べる気にはならなかったらしい。


 しかし、もしかしたら美味しいかもしれないのでアカネに確認しようと担いで持って帰って来たのだ。


 アカネと伊丹は烏賊を見て喜んだ。大きな烏賊で胴体だけで五〇センチほどある。俺はそれほど烏賊が好きと言う訳ではないので烏賊も釣れるんだと思っただけだが、酒飲みの伊丹にとって烏賊は大好物。


 伊丹が内蔵を取り出して開き、アカネが海藻から取ったダシ汁に塩を加えた漬け汁を用意する。その漬け汁に開いた烏賊を漬けてから、水分を取り除き二日ほど干したものが、アカネの目の前に在る。


 干した烏賊を炭火で焙ると美味しそうな香りが漂い出す。嗅覚の鋭い猫人族は鼻をヒクヒクさせ焙っている烏賊の周りに集まり始めた。


「アカネさん、これは何ですか?」

 食堂で一緒に働いているモニが尋ねた。

「リカヤたちが釣って来た烏賊を干したものよ」


「美味しそうにゃ匂いがしますね」

 アカネが嬉しそうに頷く。

「もう少し待ってね。試食させてあげるから」


 焙った干し烏賊を板の上に広げ、すりこ木を転がすようにして圧力を掛けて伸ばす。この伸ばす時の力の入れ方により裂きイカの硬さが変わる。


 三割ほど広くなった烏賊を適当な大きさに切って、指で端の方を細長く切り裂き口に入れた。口の中に烏賊の香りと独特の味が広がる。


「美味しく出来たようだわ」

 アカネが告げると猫人族たちが試食させてくれと手を差し出した。烏賊一杯分を小分けして配り、食べ方を教えた。釣ったリカヤたちも指で烏賊を裂いて口に入れる。


「美味しい、捨てにゃいで持って来て良かった」

 マポスが声を上げ、初めて烏賊を食べたルキは瞬く間に食べ終え、ゆっくりと味わっている姉ミリアの手の中に有る烏賊を物欲しそうに見ている。


「もう、しょうがにゃいでしゅね」

 ミリアはその視線に負け、残っている烏賊を半分に分けてルキに渡した。

「お姉ちゃん、大好きりゃよ」

 何が大好きなのかは不明だが、喜んでいるルキを見てミリアは微笑んだ。


 俺と伊丹も味見してみる。

「これはいい。コンビニで売っている裂きイカとは次元が違う美味さだ」

「うむ、酒飲みにはたまらぬ味でござる」

 伊丹が満足そうに頷き、噛み締めるように裂きイカを口にする。


 この裂きイカの味に猫人族ははまったようで、リカヤたちを中心に大勢の猫人族で烏賊釣りに行こうという話になった。アカネが烏賊が釣れるのは今の時期だけだろうと言ったからだ。今まで釣れなかった烏賊が急に釣れ始めたのは、この時期だけエヴァソン遺跡の沖に烏賊が回遊しているからだと推測した。


 推測通り夏から秋になる時期にだけ烏賊が釣れるようで、数年後には烏賊釣りと裂きイカは迷宮都市の名物となる。


 その夜、ヤロシュとニムリスが趙悠館の食堂に現れエールを注文した時、注文を受けた猫人族のおばさんが、

「本日はツマミとして裂きイカが有りますが、試されますか?」


「アカネさんの新作料理か。貰おう」

 ヤロシュは枝豆と裂きイカを注文した。出て来た裂きイカを口にしたヤロシュはニヤッと笑い。

「こいつはいい、酒が進みそうだ」


 ヤロシュとニムリスが食事を終え帰る時にアカネに話し掛けた。

「晩酌用に裂きイカを貰えないか?」

「気に入って貰えたんですか。ありがとうございます。残りが少ないので多くは駄目なんですがよろしいですか」

「ああ、構わん」


 二人は裂きイカの入った袋を持って太守館へ戻った。ヤロシュはメイドに裂きイカの入った袋を渡し、太守館で最も眺めのいい応接室に酒と裂きイカを盛った皿を用意するように頼んだ。


 その後、二人はモルガート王子の部屋で今日の狩りの成果を報告する。

「今日はどうだったのだ?」

 尋ねたモルガート王子にヤロシュが山刀甲虫の山刀角を渡した。


「『衝撃斬』の源紋を秘めた山刀角でございます」

 ニムリスが源紋の魔法効果である切れ味増加と衝撃波放出を報告する。

「まずまずだな。これで魔導武器を作るよう手配せよ」

「ハッ」

 二人が部屋を出ようとした時、モルガート王子が止めた。


「ムアトルの豚が何を企んでいるか。報告は無いのか?」

 ニムリスが顔を顰める。嫌いな相手とは言え、他国の公爵を豚呼ばわりするのは如何なものかと思う。


 その公爵は買い物をさっさと済ませ母国へ帰ればいいのに迷宮都市に居座っている。何が目的なのか配下に調べさせているが、商人のラドニスと取引をしているらしい事しか判明していない。


「未だ不明のままです」

「ラドニスとの取引の内容を探らせろ」

「承知致しました」

 二人はモルガート王子の部屋を辞去し応接室へと向かった。


 その応接室は、ムアトル公爵とダルバルが使っていた。ムアトル公爵がダルバルを呼び出したのだ。

 テーブルの上にはラコルと呼ばれる蒸留酒と太守館の料理長が用意したツマミが並んでいた。


「ラコルは中々美味いが、ツマミがありきたりな物ばかりだな」

 ツマミはアーモンドのようなカルバの実と鎧豚のハム、鶏ササミと野菜のマリネなどだ。酒のツマミとしては定番のものだが、料理長が用意しただけ有り最高級の素材を使って作られていた。


 ブツブツ文句を言うムアトル公爵にダルバルが問い掛けた。

「それで話というのは何でございますか?」

 ムアトル公爵がダルバルに視線を向ける。


「モルガート王子に売った簡易魔導核に興味を持ってね。我が国に少し売って貰えるかな」

 ダルバルは申し出を聞いて考え込んだ。簡易魔導核は強力な武器になる。他国へ安易に売れるような物ではなかった。だが、相手は同盟国の公爵、断るにしても公爵が納得するような正当な理由が必要だ。


「公爵様、簡易魔導核は魔導武器になります。カザイル王国との交易条約により魔導武器の売買には両国の承認が必要です。残念ながらお売りする事は出来ません」


 この魔導武器の売買に関する交易条約はカザイル王国から優れた魔導武器が流出するのを防ぐ為に定められた条文で、その条文を盾に取られ拒否されるとはムアトル公爵は思ってもみなかった。


「ムッ……簡易魔導核は武器ではなく部品ではないか。その条文に縛られるものではない」

「いえいえ、簡易魔導核から簡単に魔導武器が作れます。この条文の対象となります」

 ムアトル公爵が怒りで顔を歪める。


「それは詭弁だ」

 ダルバルは鋭い視線をムアトル公爵へ向け、強い語調で、

「でしたら、カザイル王国からも魔導武器の部品を購入可能だと解釈してもよろしいのですね」

 公爵は唸り声を上げ、ダルバルを睨み付ける。


 ムアトル公爵は簡易魔導核を諦めたようだ。不貞腐れたようにラコルを飲み、ツマミを食べては辛辣な批評をする。


 そこにドアがノックされ、ダルバルが返事をするとメイドの一人が入って来た。痩せた中年のメイドはダルバルたちの姿を見ると恐縮したように身を縮め告げる。


「申し訳ありません。この部屋はダルバル様がお使いでしたか」

「そうだが、誰か使うのか?」

「はい、ヤロシュ様はこの部屋でお酒を召し上がるのが習慣になっておいでで」


 それを聞いたムアトル公爵が口を挟む。

「モルガート殿下の護衛の者たちか。一緒に飲もうではないか」


 ダルバルが許可したので、メイドは運んで来た麦から作られた地酒ミルドと皿に盛った裂きイカ、枝豆をテーブルに並べた。


「ミルドか、ヤロシュは辛口の酒が好きなようだな。これは何だ?」

 ダルバルが裂きイカを指差しメイドに尋ねた。

「ヤロシュ様が持って来られたツマミだそうです」


「珍しいものなのかな。ムアトル公爵はご存じですか?」

 ムアトル公爵は裂きイカを覗き込み。

「何かの干物か? 初めて見る」

 公爵は躊躇いもなく裂きイカを摘んで口に運ぶ。


「あっ、それはヤロシュの……」

 ダルバルが咎めるように言ったが、ムアトル公爵は聞いていなかった。目をつむり全神経を舌に集中しているようだ。ゴクリと飲み込んだ。


「美味い、このような味は初めて……」

 辛口批評家の公爵とは思えない口振りで感想を言うのを聞いて、ダルバルも一つ摘んだ。野菜でも肉でもない味が口の中に広がった。美味い、そして後を引く味だ。


 ムアトル公爵は裂きイカをツマミにラコルをかなり飲み、ダルバルが気付いた時には酔っていた。

 気が付くと皿に盛ってあった裂きイカのほとんどが消えている。そこにヤロシュとニムリスが現れた。


 ダルバルはヤロシュと目が合い、バツの悪そうな顔をする。ヤロシュは目が合うなり、そんな顔をされたので何だろうと考えていると、皿に盛られているはずの裂きイカがほとんど無くなっているのに気付いた。


「あっ、裂きイカ」

「済まん、ちょっとだけ味見をしようと思ったのだが、美味すぎて手が止まらなくなった」


 ダルバルの謝罪を受け入れたヤロシュは、ムアトル公爵を見た。だが、謝る気配はない。高貴な身分の自分に珍味を差し出すのは当然だとでも思っているのだろう。


 赤ら顔のムアトル公爵が、虚ろな目をしてヤロシュを見た。

「おやっ、ヤロシュか。このツマミは何処で手に入れた?」

「知り合いの食堂で考案された新作料理です」


「気に入ったぞ。その食堂とやらに明日案内してくれ」

 ヤロシュは少し躊躇った。趙悠館の食堂は普通の庶民が食事をする場所で、貴族が行くような場所ではないと考えたからだ。ヤロシュがその事を伝えると公爵は構わないと言う。


 ダルバルが気を利かせてヤロシュに助け舟を出す。

「そのツマミが欲しいのなら部下の誰かに買いに行かせます。態々公爵が行かれなくとも」

「いや行く。明日の夕刻だ」



 翌日の夕方、ムアトル公爵とヤロシュ、ダルバル爺さんが護衛を連れて趙悠館にやって来た。俺は困惑しながらも出迎える。俺の顔を見てダルバル爺さんが『またか』という顔をする。


「ムアトル公爵をお連れした。失礼のないように頼むぞ」

 俺は公爵達を仮設住宅の食堂ではなく趙悠館本館の食堂区画に案内した。概ね完成し内装が八割の状態である。仮設住宅の食堂より見栄えは上で、常連客の大工たちと一緒に食事させる訳にもいかないと考えての上だった。


 中には八人ほどが一緒に食事可能なテーブルと椅子が置かれている。広い食堂の中にテーブルが一卓というのは殺風景な感じだが、急遽用意出来たのがこれだけなので仕方ない。


 ムアトル公爵たちは物珍しそうに中を見物し席に着いた。

「公爵様は裂きイカが気に入られてな。まだ、残っているか?」

 ヤロシュが尋ねたので、俺は残っている裂きイカの量を答えた。


「烏賊一杯分が残っています。仲間たちが烏賊釣りに行って大量に釣って来ましたので、明後日には新しく用意出来るのですが……」

「取り敢えず、残ったものを全部貰おう」


 裂きイカを買ったら公爵は帰るだろうと思っていたが、公爵は酒と料理を持って来るように命令した。

 ダルバル爺さんは心配そうな顔をして俺に近付き声を潜めて尋ねる。


「ここの料理は美味いのか?」

 料理なんて人に依って好みが変わるものだ。俺はアカネの料理は美味いと思うが、公爵がどうかは判らない。そうダルバル爺さんに告げる。


「あの公爵は気難しい人なのだ。料理についても相当五月蝿い」

 俺は正直、そんな奴を連れて来るなと言いたかった。


「ここの料理は庶民に出す料理なんで、高い素材なんかは使ってないんですよ」

「美味ければ文句を言わないはずだ」

「太守館の料理にも文句を言ったと聞いているんですけど」


 ダルバル爺さんの表情が曇り肩を落とす。

「料理人に頑張って美味しいものを作れと言うしか無いな」

 その公爵はダルバル爺さんを相当困らせているようだ。


 ダルバル爺さんは心配したが、アカネの料理を公爵は気に入ったようだ。出したのは現地野菜と鎧豚のスペアリブ煮込みと烏賊と海老のパエリア、野菜のマリネ、そして定番の唐揚げである。


 酒は太守館にある高級酒を持参して貰った。

 唐揚げとタルタルソースを出し時、ムアトル公爵が唸るような声を上げた。

「これはタルタルソースではないか。我が国で考案された新しいソースが何故?」


 その声を聞いた俺は、カザイル王国にリアルワールドの人間が転移しているのを確信した。だが、JTGの情報ではカザイル王国への転移門は無かったはず。


 カザイル王国の近くに在る国から訪れた可能性はある。いや、未帰還者がタルタルソースを広めた可能性も考えなければならない。――もしかするとJTGに報告されていない転移門を誰かが隠しているのか。

 俺は昨日発見した転移門を思い出した。


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