第126話 モルガート王子の来訪
交易都市ミュムルの内部にあるボッシュ砦から出発した魔導飛行船ウォルべス号は、追い風を受けて西へと進んでいた。ウォルべス号は全長三十二メートル、マスト高二十四メートル、総トン数百三十二トンの三本マストスクーナー型帆船の形をした魔導飛行船だった。
迷宮都市はミュムルを起点とすると北西に位置する。三本足湾まで達すると帆を調整し進路を北西に変える必要があり、乗組員たちが大忙しで甲板を駆け回っている。
モルガート王子は船室でジッとしているのにも飽き甲板に出た。甲板へと続くドアを開けた途端、強い風が王子の服をはためかせる。
甲板をゆっくりと歩き始めた王子の背後には護衛兵二人が影のように従っていた。本来なら四、五人の
護衛兵の一人は顔や腕に数多くの傷を持つ歴戦の武人で、もう一人は黒いローブを着た魔導師らしい壮年の男。その二人からは只者ではない気配が漂い、不審な者を近寄せないバリアを張っていた。
天空は青空が広がり、強い風を受けて膨らむ帆が白く輝いている。モルガート王子が
魔導飛行船の飛行高度は二五〇メートルほどだろうか。前方を見ると海が見える。
「モルガート王子、貴殿も散歩か?」
モルガート王子は舌打ちしかけたのを精神力で止め、笑顔を作って振り向いた。予想通りカザイル王国の公爵ムアトルが立っていた。
ムアトル公爵は同盟を結ぶカザイル王国のミモザ王の実弟で、来年からの関税について交渉に来た全権大使でもあった。
関税交渉は無事終わり帰国するだろうと思っていたのに、モルガート王子が迷宮都市へ行くと知ると同行を願い出たのだ。
同盟国の王弟の願いである。断る事は出来なかった。小太りで高慢ちきな男をモルガート王子は嫌っており迷宮都市に同行したいと言われた時は、この旅を決意した自分を罵倒したい気分になった。
「御機嫌よう、ムアトル公爵。良い天気ですな」
「我が国の技術で造られた魔導飛行船は素晴らしい性能を持っておるようで、今日中には迷宮都市に到着すると聞きましたぞ」
モルガート王子より三つ年上の公爵は、何かに付け自国の技術力を自慢する。その度にモルガート王子は
「ええ、この船は素晴らしい。陸路なら一〇日以上も掛るのに、たった二日で迷宮都市に到着するのですから」
「そうであろう」
ご機嫌で頷くムアトル公爵に、モルガート王子は疑問をぶつけた。
「そう言えば、公爵はどのような理由で迷宮都市へ行かれるのか?」
「……買い物だ。ちょっと欲しい物が有ってね」
モルガート王子は関税交渉で公爵の性格を嫌というほど知った。ムアトル公爵はちょっとした買い物の為に遠い辺境まで気軽に出向くような人物ではなかった。モルガート王子は公爵を試すように言葉をぶつける。
「言って貰えれば代わりに買ってお届けしましたのに」
ムアトル公爵が慌てたように付け加える。
「ああ……いいんだ。観光もしたかったのだよ」
何か隠し事をしているような感じだ。迷宮都市に着いてから公爵の行動を監視させた方がいいかもしれないとモルガート王子は思った。
◆◆◇◆◆=◆◆◇◆◆=◆◆◇◆◆
ダルバル爺さんから呼び出しを受けた翌朝、俺は太守館へ向かった。都市の南側にある高台に建てられている太守館への道は急な上り坂になっており、もし仮に魔物が都市内に侵入した時には防衛陣を、この坂に敷き撃退する計画なのだそうだ。
迷宮都市の歴史の中で高く堅牢な魔物防壁が破られた事が二度あった。一度目は真龍クラムナーガが樹海の奥から現れた時、二度目は
どちらも太守館のある高台に近づく前に追い払われたので、この坂道が本当に防御力として役に立つのか実証されていない。
石造り三階建ての太守館は小さな城のような感じの建物である。窓には昆虫型魔物から剥ぎ取られた透明な羽が嵌めこまれており、中が暗くならないように工夫されていた。
太守館の前には二人の門番がおり、俺の顔を見ると挨拶をする。
「ミコト殿、ダルバル様から聞いております。どうぞ、お入り下さい」
太守館で顔パスが可能な自分にちょっと考えさせられる。案内人は目立たないように活動するのが本来の姿だと習っている。
中には盛大に目立っている案内人も居るが、その人達は支配階級に食い込み特権を掴み取って依頼人の安全を確保している。その点、俺は中途半端である。
ダルバルの従士に案内されて応接室に入った。ダルバルとディンが待っており、二人の横を見るとカリス親方も居た。
「お待たせしましたか。申し訳ありません」
「ちょっとカリス親方と話をしていたから丁度良かった」
俺は勧められるままにソファーに座りダルバル爺さんの目を見た。眼の下にくまが出来ている。昨晩はあまり眠れなかったようだ。
「モルガート王子から、迷宮都市を視察する為に訪れると連絡が来た」
「それも魔導飛行船で来るんだよ。僕も欲しいな」
ディンが眼を輝かせて口を挟む。
「魔導飛行船?」
知らない単語に、俺は首を傾げる。
「エルバ子爵の浮遊馬車は見ただろ。あれよりデカイ奴で帆船の形をしてるんだ」
ディンは趙悠館の子供たちや職人たちと話しているうちに庶民の話し方を覚えたようだ。
「シュマルディン、デカイ奴とは何だ。王族らしい話し方をしないか!」
ダルバルがディンの言葉遣いを叱った。ディンは肩を竦め、「御免なさい」と謝るがあまり反省しているようには見えない。伊丹や俺に鍛えられている間は、話し方の矯正は無理かもしれない。
「まあいい、それよりミコトを呼んだのは魔導武器の事で相談があっての事だ」
俺は何だろうと首を捻った。
「もっと購入したいという話なら、時間を頂かないと……」
この前のような不眠不休での製作作業は嫌なので条件を口にした。
「そうではない。早ければ今夜にでも来訪されるモルガート王子に関係する事だ」
俺は見知らぬ王族と魔導武器との関連性について思い浮かばなかった。
「モルガート王子と魔導武器にどんな関係が有るのです?」
「鈍いな。モルガート王子は迷宮都市で新しく開発されたという廉価な魔導武器の威力が見たいと仰られている」
「それなら『剛雷槌槍』を見せればいいのでは……」
ダルバルがしかめっ面をして頷いた。
「そうするつもりでおる。威力については満足して頂けるであろうが、どうやって開発したのか詳しい情報をお求めになるだろう」
俺は嫌な予感がして来た。廉価版魔導武器の中核である簡易魔導核に使われている補助神紋図は薫が開発したものだ。
どうやって開発したかと問われても困る。それに魔物の素材に秘められている源紋を複写する方法はディンやダルバルにも教えるつもりはなかった。
「あの補助神紋図はカオルとミコトが開発したんだよね」
ディンが俺に確認する。俺は薫にこういう補助神紋図が欲しいと仕様を説明し開発して貰っただけである。一応、仕様を決めたのは俺だから開発に参加してるとも言える。
「そうだけど、開発の中心はカオルなんだよな」
ダルバル爺さんが鋭い視線を向けて来た。あの顔は『お前のようなアホ面の小僧に補助神紋図が開発出来るとは思っておらん』と思っていそうだ。俺の被害妄想だろうか?
「そのカオルだが、故郷に帰ったんだな?」
「ええ、帰りました。しばらくは迷宮都市には来ないと思います」
「仕方ない。補助神紋図についてモルガート王子が質問されたなら、ミコトが答えるしかないな」
「そんな……」
ディンが心配そうな顔をして声を上げた。
「ねえ、兄上はミコトの事を連れて行こうとしないかな。有能な人材を集めていると聞くよ」
ダルバル爺さんが真剣な顔で悩み始めた。
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